大人の男の悩み
鮫島視点です。
初詣の帰りに設楽の家へやって来た。最近やたらと『早くラナちゃんを連れてこい』と設楽がうるさかった。本当は連れてきたくなかったが、『由理がラナちゃんに会いたがって泣く』などと言われれば仕方ない。俺だって鬼じゃない。
予想した通り、ラナは設楽家に着いた早々から由理ちゃんにベッタリだ。その光景をじっと見つめる。しばらくするとラナは由理ちゃんと眠ってしまった。
「相変わらずよく寝る子ね、ラナちゃんは」
酒井(本来は『設楽』だが、俺はまだ『酒井』と呼んでしまう)が二人に毛布を掛けながら呟いた。設楽に促され、二人が眠るリビングからダイニングに移動する。酒井がかばんを手に設楽に言った。
「これからスーパーに行ってくるわ。あなたが直前まで先輩たちが来ること言ってくれないから、冷蔵庫の中、空っぽじゃない。夕飯作れないわ!」
俺もラナにここに来ることを告げなかったが、設楽も言ってなかったのか。ちょっと申し訳なく感じる。
「酒井、気をつかわせて悪かったな」
謝ると酒井は笑って首を横に振った。
「いいえ。わたしも由理も、ラナちゃんに会いたかったですし。悪いのは悟志さんですから」
玄関に向かう酒井を、設楽がその後に続いて見送るようだ。俺には会話しか聞こえないが。
「悪かったよ。一人で大丈夫か?」
「平気よ。車だもの。それに男同士で積もる話もあるでしょ? 一時間ぐらいしたら帰るわ」
「気をつけろよ」
相変わらず夫婦仲は良いようだ。酒井を見送った設楽はダイニングの椅子に腰かけた。
「鮫島、うちの娘を威嚇するな」
「威嚇? してないだろ」
「してただろ? 由理とラナちゃんをじーっと見て。お前、由理のこと軽く睨んでた。あんな幼い子に嫉妬するなよ。いい大人が」
確かにあの二人を見ていたが、睨んでいるつもりは全くない。嫉妬していない、といえば嘘になるが。
「……もうしない」
俺の態度に設楽は苦笑する。
「まさかお前がそこまでとはな。で、クリスマスどうだったんだよ。ちゃんとラナちゃんがバイト終わる時間教えてやったんだから、当然一緒に過ごしたんだろ?」
俺は黙り込んだ。あの日はどうしようもなかった。話を面白がるであろうこいつにすべてを打ち明けるのは癪だが、こいつ以外に相談できないのも事実だ。設楽に全てを打ち明ける。
ラナの母親の策略で彼女を家に泊めたこと、いい雰囲気になったものの眠られてしまったこと、一晩拷問のような状況だったこと……。
設楽は俺の話を聞いて、こめかみをおさえた。
「お前、我慢強い奴だな。俺なら無理。叩き起こしてヤってる」
「そう言うが、あんな無邪気な顔で眠られてみろ! それに手を出すほど俺は鬼畜じゃない」
設楽は立ち上がってリビングに向かい、ラナの寝顔を覗き込んだ。
「ああ、かわいい寝顔。お前、尊敬するよ」
「おい、寝顔見るな」
設楽は俺の声のトーンが低くなったのに気づき、「おお、怖っ」と首をすくめて戻ってきた。
「しかしその状況で寝るなんて、ラナちゃんは外さないねぇ。お前が哀れで堪らない」
「どうにかならないか? 俺、あまり我慢強くないんだが」
さすがにかわいそうと思ったのか、設楽は真剣に悩みだした。
「そうだな。クリスマスは突然のことで気持ちが固まらなかったんだろう。それにかなり疲れてたみたいだし。だったらかなり前から気持ちの準備させたら? あと環境変えるとかさ。せっかくだから旅行、行けよ。休日出勤の代休、あるだろ?」
確かにあらかじめ言っておくのは有効かもしれない。
「じゃあ、いつがいいんだ?」
「うーん……。そうだ! あるじゃねぇか。とっておきのイベントが」
「イベント?」
「バレンタインだよ。クリスマスの失敗はバレンタインで取り返せ」
バレンタインか。これまでただチョコを渡されるだけの面倒なイベントだった。俺は甘いものが苦手だというのに、チョコをこれでもかというぐらい渡された。今年はその心配もない。その前後の日に出社しなければ、未だにチョコを渡そうとしてくる女性社員も諦めてくれるだろう。
その後、酒井が帰ってきて鍋を作り始めた。もうすぐできあがるころにラナを起こした。ラナは手伝わなかったことを謝っていたが、むしろ眠っていたことが正解だ。彼女に料理をさせるのは心臓に悪い。
鍋を囲み、設楽の家族の温かさに触れたからか、彼女は『こういう家族っていいな』と言い出した。俺も同じことを思っているよ。
設楽家からの帰り道、俺はラナに訊いた。
「ラナ、二月ってまだ予定入れることできる?」
「二月ですか? 大丈夫ですよ。それが何か?」
「バレンタイン、日曜でしょ? 次の日有給取るから、その二日間はあけておいて」
これから俺が言おうとしていることを知ったら、どういう反応をするのだろうか?
「それは構いませんけど、何があるんですか?」
俺は歩きを止めてラナの正面に立って見下ろした。
「バレンタイン、旅行へ行こう。そこでラナの初めてを、俺に頂戴?」
ラナは固まった。俺の言葉がうまく理解できないようだ。しばしの沈黙の後、動揺しながら口を開いた。
「ああああの、それは要するに……」
「そう、それ。ラナが『いい』って言うまで待つと決めたけど、俺あまり我慢強い方じゃないから、あと一ヶ月ちょっとの間に覚悟してほしい。それ以上は自信ない」
俺の本音だ。これ以上待たされたら、正直キツイ。
「今度は人に流されることなく、きちんとラナに決めて欲しいから言ったんだ。わかってくれる?」
そう言うとラナは戸惑いながらも頷いた。
「わ、わかりました」
その言葉が嬉しくて、額に口づけた。
「いい子だね、ラナ」
ラナは顔を赤くする。もう額にキスなんて何回もしているのに、未だに慣れない初心なラナ。今度はちゃんと俺のものになってくれる?
大人ゆえに気を使いすぎて悩んでしまったようです。
次回、バレンタインまでの長い道のりでございます。