心臓に悪い一日 後編
お知らせです。前編をかなり修正しました。後編とは直接関係ありませんが、よろしかったらご覧ください。あとがきに小話も投下しました。
さて初めての彼女のお宅訪問です。
車に乗り樫本家に向かう途中、手土産に和菓子を購入した。ラナから「手土産なんていりませんよ」と言われたものの、やはり必要だと判断した。
第一印象は大事だ。彼女の父親とは面識はあるものの、昨日の一件で顔を合わせるのが非常に気まずい。おそらく彼女の両親は俺とラナの関係が進んだと思っているに違いない。昨日の今日での対面は肝が冷える。ラナも、もう少し両親との対面に猶予をくれてもいいと思うのだが、きっと深く考えていないだろう。彼女はそういう子だから仕方ない。
そうこうしているうちに樫本家に到着した。ラナが玄関のドアを開けて「ただいま~。鮫島さん連れて来た~」と大声で声をかけた。すると初めに顔を見せたのは、変わり者の印象を持つラナの母親だった。
「まぁ! いらっしゃい。お待ちしていました」
「はじめまして。鮫島と申します。本日はお招きいただき……」
「いやぁね、そんな畏まらないで。ささ、あがってちょうだい」
あまりの勢いに負けて靴を脱ぐ。母親に手土産を渡し、リビングに通される。ソファーにラナの父親が座っていた。俺の姿を見ても表情をあまり変えずに立ち上がって出迎えてくれた。
「いらっしゃい。待っていたよ」
「ご無沙汰しています。お招きいただき、ありがとうございます」
そう言って頭を下げた。勧められるままにソファーに腰かける。父親は俺の正面に座った。ラナはキッチンで母親と何か話している。
俺は今かなり緊張している。父親と二人きりのこの場は居たたまれない。無言の重圧を感じる。すると父親が言いづらそうに口を開いた。
「……昨日は、娘が世話になった……」
「いえ……」
リビングはシーンと静まり返っていた。重苦しい沈黙が俺に苦痛を与える。
気まずい。いっそ何もなかったことを言ってしまった方がいいのかもしれない。男としては情けない話だが、長い付き合いになるかもしれないこの人とは親しい関係を築きたい。
「あの……、私とラナさんはその、まだ清い交際でして……。考えておられることは何も……」
そう告げると表情を変えずに「そうか」と一言だけ言った。その一方で、お茶を持ってきた母親が俺の言葉を聞いていたようで、この重い雰囲気を一気に破壊した。
「いやだ。せっかくお膳立てしたのに。残念だわ……」
「お母さんの策略にはそうそう乗りませんよーだっ」
ラナが反論するが、さすがは母親。彼女がどうしたのかをピタリと言い当てた。
「どうせ疲労困憊で眠りこけたんでしょう? 鮫島さん、本当にごめんなさいね。育て方を間違えたみたい」
「そこまで言うこと、なくない?」
「いえ、気にしていませんから」
ちゃんとフォローに回るが、聞く耳を持たずに娘をとがめる様に言葉を紡ぐ。
「こんな素敵な彼と二人きりでいて、ぐーすか寝ちゃうなんて信じられない! それもクリスマスの夜というムード満点のときに、よ。お母さんの娘なら、自分から押し倒すぐらいしなきゃ!」
「するかぁ! そんなこと!」
ギャーギャー噛み付くラナを尻目に、噛み付かれた本人は自分の夫の横に腰かけて土産の和菓子の箱を開ける。「まぁ、わたしこれ好きなのぉ」と和菓子を手にご満悦だ。夫は妻の行動にも表情を変えずにお茶をすする。
ラナのマイペースと表情の豊かさは確実に母親似だ。父親はあまり表情を変えない。竹田専務と一緒のときもそれは変わらないから、決して俺に対して不機嫌さを感じているわけではなさそうだ。
和菓子を囲み、しだいに場は和やかになってきた。この表情豊かな母親がいるだけで、父親の無表情の重圧が和らぐ気がした。
しかしラナが「昼ご飯作ったんだ」と一言言った途端、両親は苦い顔をした。彼女に用事を言いつけてリビングから出した後、すぐ二人そろってソファーを立つ。少しして父親は胃薬、母親は水を手に戻ってきた。
「すぐに飲みなさい」
「ごめんなさいね。あの子、料理の才能皆無なの」
恐縮しつつ胃薬を喉に流し込む。知らぬは本人のみか。いっそ本人に知らせた方がいいのでは?
リビングで両親と談笑した後、ラナに連れられて二階に上がる。二階のつきあたりにある彼女の部屋に案内された。
そこには女の子らしさとは縁遠い品物の数々。機械の部品、工具、導線……。本棚には推理小説に交じって機械工学の本や、プログラミングの本。机の上には英文で書かれた論文らしきものもある。
「……ここ、ラナの部屋だよね? お父さんの部屋では……」
ラナの父親は電子機器の会社でエンジニアをしている。父親の部屋というならわかる。しかし彼女は首を横に振る。
「正真正銘わたしの部屋ですよ? まぁ初めて来た人にはかなりびっくりされますけど。こう見えて工科大学、出てるんですよ。専攻したのは電子情報工学でしたけど、機械いじりも好きなんです」
工科大卒!? 意外過ぎる。じゃあどうしてフリーターしてるんだ?
その疑問をぶつけると「理由があるんですよ~」と呟く。
「ちゃんととある中小企業に内定貰ってたんです。そこは会社の規模は小さいんですけど、興味がある分野に強い企業で、どうしてもそこで働きたかったんです。でも卒業する少し前に設備投資の負債が重くのしかかって倒産したんです。会社は大手企業から支援を受けたんですけど、内定取り消しになっちゃいました」
ラナにそんな過去があったとは驚いた。てっきり高卒フリーターかと思っていた。
「で、今さら就活もなぁ……と思ってフリーターです。この生活も不安定ですけど結構楽しいですよ。で、今は修理したり壊れた機械を分解して新しく作ったりしてます。趣味ですね。完全に父の影響です」
「じゃあこの英文の論文は?」
「大学の恩師がたまに送ってくるんです。どっかの学会で外国人のおじさんが発表した論文らしいです。『よかったら読んで感想教えて』って」
「英語、読めるの?」
「読めるし、書けます。でも聞き取れないし、話せません」
……変わっている。すごく変わっている。
「話せないんだ?」
「はい。外国なんて行く用事ないですし、話せる必要ないじゃないですか。わたしは日本から出ません。骨は日本に埋めます」
そこまで言う必要があるか? 特に骨のくだり。
またラナの意外な一面を知ることができた。知れば知るほど興味が湧く。おかしな子だ。
しばらくラナの部屋にあるものを話題にして二人でたくさん話した。ラナは本当に出会ったことのないタイプの子だ。俺は文系なので機械の話をされても全くわからないのだが、彼女が楽しそうに話す顔を見ているだけで満足だ。何時間でも聴いていられそうだ。
ラナの部屋に来て二時間ほど経った頃、突然彼女が立ち上がって棚から何かを取り出した。
「そうそう、プレゼント忘れてました。受け取ってください!」
手渡された長細い箱。開けるとそれはネクタイだった。
「何をプレゼントしたらいいのか迷ったんですけど、ネクタイなら会社にしていけるかなぁって」
「ありがとう。大切にするよ」
立っているラナを腕を引いて座らせて、そっと抱き寄せた。腕の中で俺を見上げる彼女の額に口づける。その瞬間に頬を染めて俯く。顎を掴んで顔を上向かせて唇を塞ぐ。リップ音が静かな部屋に響く。もう少し深く唇を味わいたいと思ったとき……
「ラナ~、鮫島さ~ん! 夕飯できたわよ~!!」
母親の声に驚いたラナは、慌てて俺の腕から抜け出した。
「そんな顔して下に降りたら、ご両親勘違いしちゃうよ」
照れた顔がかわいくて、そうからかうとプイッと未だ赤い顔をそむけた。そのしぐさが愛しい。ああ、まずい。密室でそんな顔されたら堪らない。また我慢を強いられた。
ラナが落ち着いてから下に降りた。ダイニングには和食が並んでいた。ありがたく頂く。昼に食べた彼女の料理とは正反対の完璧な手料理だった。どれもこれもレシピが訊きたくなるような味だった。ラナも母親のように料理上手だったらもっとよかったのに。もちろん、料理が下手でもこれから学べばいいから問題はないのだが。
辺りはすっかり暗くなった。そろそろお暇することにした。玄関で両親に見送られる。
「またいつでも来なさい」
「そうよぉ。いつでも大歓迎よ」
「ありがとうございます。失礼します」
ラナは外まで出て見送ってくれた。
「今日はうちまで来てくれてありがとうございました。その……昨日は本当にごめんなさい」
「それはもういいから。プレゼント、ありがとう」
「こちらこそありがとうございます。いつも着けますね」
別れるのが名残惜しい。ラナもうちに連れて帰りたいところだが、明日はバイトらしい。
「早く休みなさい。疲れがまだ取れていないだろう?」
「それは鮫島さんも同じです。明日はゆっくり休んでください」
それからラナに触れるだけのキスをして、車に乗り込んだ。
「気をつけてくださいね」
そう言って手を振るラナに微笑み、車を走らせた。
心臓に悪い一日だったが、彼女の新たな一面を知れたことが嬉しい。これから少しずつ、お互いを理解していきたい。そう思う。
工業系の話は何となくです。詳しいことはわかりません。意外性を重視した結果です。
さて次回はいよいよ年が明けます。クリスマス後のイベントです。
☆おまけ その1 『ラナと鮫島がラナの部屋に行った後の樫本夫妻』
妻「あなた」
夫「……何だ」
妻「ホッとし過ぎよ。あの二人に何もなくてよかったって思っているんでしょ?」
夫「そんなことはない」
妻「嘘。顔を見ればわかるわ」
夫「……」
樫本父の微妙な表情の変化は樫本母しかわからない
☆おまけ その2 『帰宅した鮫島の苦悩』
部屋に戻りキッチンに向かう。コンロの上にはラナが作ったカレーが入った鍋が置いてある。
まさか買った材料をすべて使うとは思わなかった。この大量のカレーをどうするべきか……。
棚からカレーに合いそうなスパイスを持ってきた。固まっているルウに水を入れて火にかける。硬さを調整し、味見しながらスパイスを入れる。
……うん、これなら食べられそうだ。冷めたら冷凍しておこう。
ラナの初めての手料理を何とか完食しようとする鮫島の優しさでした。




