空気が読めなかったわたし
騒動直後の二人です。
二人取り残された会社前。急にしんと静まり返った。そばにある道路を走る車の音が響き渡る。
わたしは何を言ったらいいのかわからない。鮫島さんも一言もしゃべらなかった。
さっきの鮫島さんの怒りは凄まじかった。今も怒っているのだろうか? 無言に耐えかねて、とにかく謝ろうと口を開いた。
「あの、鮫島さんに迷惑がかかるかもと思って、我慢してたのに結局切れちゃいました。部長さんや部下の方に生意気な口叩いてすみませんでした。それからまだ知り合ったばかりなのに全てを知っているかのような発言も、聞きようによっては悪口としか取れない発言もごめんなさい」
怖くて鮫島さんの顔を見れずに頭を下げっぱなしで謝るが、無言。すごい怒ってる? 本当なら目を見て謝罪が妥当なのに、今はその勇気がありません!!
「あと、周囲に人だかりができているにもかかわらず、それに気づかず告白まがいなことをしてすみま……」
この続きは言えなかった。
突然ぐっと腕を引き寄せられて、顔を上げる。すると何か柔らかいものが唇に当たる。思わず目を見開いた。何が何だかわからない。鮫島さんの手が腰に回され、一度唇から柔らかいものが離れて、再び塞がれたところでようやく状況が理解できた。
キキキ、キスされてる―――! 何で? どうして? 怒ってるんじゃないの?
というか息ってどうするの? 止めるの? 今は止めてるけど長くは持ちません……。ってファーストキスなのにこんな色気もクソもないことを考えているんだろう。色気、色気……。鮫島さんの唇、柔らかいな……。て、照れる! レモンの味はしないな。おい、いつの時代だよ!
鮫島さんが唇を離したから、気づかれないようにこっそり酸素を吸い込む。呼吸が落ち着いたところで彼を見上げる。
「さっきの言葉……、すごく嬉しかった」
わたしの頭に、はてなが浮かぶ。さっきの言葉って? 嬉しがられること言ったっけ?
「欠点まで好きって言われているみたいだった。前に言ったでしょ? これまで近づいてきた女はほとんど顔とか肩書き目当てだったって。でもラナはそんなこと無視して、ありのままの俺を見ようとしてくれた」
ん? 今、”俺”って言いました? これまでずっと“私”だったのに。これって本音さらしてますって感じがする。
「どんな職業の俺でもいいって言ってくれて、……ひどいこと言われていたのに俺のために我慢しようとしてくれてありがとう」
ただ突っ立って聞いていると、鮫島さんの腕の間に抱き込まれてしまう。そのまま見上げると彼の顔がすごく近い。暗くてもわかるほど色っぽい。
「ごめん。ラナが『いい』って言うまで待つ、って言ったけど……、無理かも」
はい? どういうことですか? 再びはてなが浮かぶ。
「今日……、家に帰したくない」
それって、つまりのところ……。えええっ! 初チューしたばっかりなのにすぐって……。ええっ!?
明らかにパニック状態のわたし。鮫島さんはこういうときに見せる、いつもの意地悪でからかってる感じは全くなかった。色っぽくて熱を帯びた眼差しからフェロモンが出ているようで、わたしの思考を停止させる。
「今すぐラナを俺のものにしたい」
うぎゃあ! 何という殺し文句ですかっ! この間の電話なんてどれだけ温かったのか。
この展開、もしや幸運の赤いスカートの……。『スカートはいて、足見せて、誘惑すればイチコロ』というサヤカちゃんの言葉が浮かぶ。もしや知らずのうちに誘惑できていた!? そんなまさか!
ん……、ちょっと待てよ。今日わたし、どんな下着だ? ヤ、ヤバイ。使い古したやつだ。みちると一緒にいたときに買った勝負下着は『まだ勝負なんて来ないもーん』ってタグすら切ってない。完全に引かれる。どうしよう。
ぐるぐる考えを巡らすわたしに再びキスを落とした鮫島さんが顔を覗き込み、とどめの一言。
「ラナ……、駄目か?」
完・全・崩・壊。今までウジウジ考えていたことなんて、どこか遠く宇宙の彼方へ。脳みそとけました。もういい。このまま流れに乗っかりましょう。下着は……、ばれる前に脱いじゃえばいいや。『わたしも帰りたくない。大好きです』と言おう。うん、そうしよう。
『樫本ラナ、今日大人の階段を昇りきりまーす!』と心の中で宣言したとき。
ぐぅ~~~~、きゅるるる~~~~~
この甘い雰囲気にそぐわぬ音が、静かなこの場に響き渡る。
コラァ! 私の腹ぁ! 空気読めぇ!! このムード最高潮に何鳴ってくれてんだ、馬鹿!!
一瞬呆然とした鮫島さんだったが、すぐに過去最高の大爆笑をし始めた。以前とは比べ物にならないほどの笑いっぷりに、わたしはこれでもかっていうぐらい赤くなる。
ううっ、ぶっ壊れたムード……。時間よ、戻れ。
数分間に渡り笑い倒した鮫島さんが自分の目尻から涙を拭った。
「やっぱりラナといると退屈しない。つまらないときなんてないね」
今日はこんな形で笑いなんて取りたくなかったんですけどね。いじけるわたしの頭をわしゃわしゃと撫でると、わたしの手を掴む。
「じゃあ約束通り焼肉に行こうか。お腹すいたしね」
そう言って歩き出した。今日は大人の階段が壊れたみたい。残念という気持ちと安心が入り混じっている。とにかく今日の教訓は“今後は下着だけはちゃんとしよう”だね。
「一体どこから聞いていたんですか?」
焼肉屋へ向かう途中に疑問を投げかけた。
「えっと『フリーターですけど』って言ったぐらいからかな」
「そんな前から!?」
「本当はもっと早く止めようとしたけど、竹田専務が『面白そうだからもう少し待とう』って」
おーじーちゃーんー(怒)。悪趣味だぞ。
「あの子、元々勤務態度が良くないし、俺に言い寄ってくる素振りがあって困っていたんだ。ちょうどいい機会だったよ。これでもう大丈夫だろうな」
「お役に立てて光栄です」
いい女よけになりましたね。わたしは公衆の面前で告白かました女として、言い伝えられて笑いものにされる運命なのでしょう。ええ、きっとそう。
ここで気づいた。今更だけど、きちんとわたしの気持ちを伝えた方がいいかな? うーん、でも伝わってるか! いいや。また今度ってことで。
それから鮫島さんは苦笑した。
「しかし『一文無しでも大好き』には驚いたな」
「言っておきますけど、本当に一文無しはちょっと嫌です。ギリギリ生活できるぐらいは稼いでもらいたいです」
「ラナは本当に変わっているね。二人で生活できる分ぐらいは稼ぐから安心して」
う、さらっとすごいこと言われたような気が……。でも店に到着したことでうやむやになってしまった。
席に案内されて注文するときになる。
「じゃんじゃん頼んでいいよ。ごちそうする」
そう言われたが、首を横に振った。ちゃんと銀行でお金おろしてきましたよ? そう言うと少し怒った表情になる。
「ラナの“自分の分は自分で”方式には納得してないよ。見合いのときならいざ知らず、今は駄目。俺とラナ、どれだけ年齢が違うと思っているの。一応大手企業の役付きだから、そこそこ稼いでいるよ。デート費用ぐらい払わせて」
いやいや、ここ高いですって。全額鮫島さん持ちは悪い。
「素直に奢られなさい。俺の彼女ならね」
くそう。そう言われてしまうと反論できない。“カノジョ”だって。うわぁ、いい響き。
女の子らしく『わたくし、小食なもので』とか言って気取ろうかと思ったけど、いいにおいに負けてガツガツおいしくいただきました(笑)。
「相変わらずおいしそうに食べるね」
ニコニコしている彼を見てわたしも幸せな気分になる。
食事を終えて店を出たが、案の定お泊りはなく、駅で別れることになった。ふと別れ際にこう言われた。
「スカート珍しいね。こんなに寒いのに女の子は大変だね」
……はい、思った通り。ちょっと前の甘々な雰囲気は皆無。
「風邪ひかないように温かくしなさい。気をつけて。おやすみ」
歩いていく彼の後姿を見ながら顔がにやけてしまう。普通の言葉なのに、とても甘い。心配してくれる気持ちがとても嬉しい。きっとスカートのなせる技だな。うん、きっとそう。この機会にどんどんスカートに挑戦していこうかな。
帰宅し、お風呂で温まり、ベッドに潜り込む。
今日はいろいろあったな。でもやっぱり一番はファーストキスとその後の激甘な鮫島さんだな。あのときはわけがわからずオロオロしてたけど、今考えても悶える。
さすが大人の男。色気が半端ない。流されかけたし、フェロモンから何か出てるな。大人の階段昇り損ねた。いいんだか、悪いんだか判断はできない。
それに引き替え、わたしの空気の読めないこと。あそこでお腹鳴る? たしかに焼肉だからって昼食かなり控えたけど。
悶えたり反省したりして脳を酷使しすぎたためか、目を閉じるとストンと眠りについた。
鮫島大暴走!の巻でした。
次回で一区切りつきます。




