死神を信じるな
一人の青年が今日、死んだ。
人が死ぬ事はそれほど珍しいことではない。
事故、自殺、殺人、戦争、飢餓、病、人が死ぬ理由などいくらでもある。
その青年も今日、事故で死んだ。青年は自身の死体を幽体となって見下ろしていた。
「……死んだのはよくわかった。現に自分の死体、見下ろしてる訳だしね」
自分の顎に手を当てていかにも今考え中のポーズをとる。雨が降っているが雫は全て彼を無視して身体をすり抜けている。
彼は今、自身の死んだ事故現場の上空を浮遊している。別にそこに自縛しているつもりはない。如何したらいいか解らないだけである。
「……死神でも来るのかな?」
そう口にした瞬間、背後から急に声がした。
「死神は敵だ」
うお!っと情けない声をあげて青年は振り向いた。後ろに立っていた、というより浮いていたのは白い髪の少女だった。
「死神は敵だ。あれの言葉を信じると転生は愚か消滅させられるぞ」
少女はただこちらを見つめ、言葉を続ける。青年自身はまったく話を聞けていない。
「……君、誰? 君も死んでるのか?」
少女は問いに答えようともしない。そしてまた話始めた。
「死神の言葉を信じるな。死神は言葉巧みにお前らファントムを本当の死へと誘う」
青年は訝しげに白い髪の少女を見つめている。
背丈からするに十歳前後のように見えるが、少女の言葉遣いからか、自分より年上のような気がする。腰まで垂れた長い白髪が神秘的な何かを連想させた。
合いも変わらず少女は話を進める。
「貴様はどうなりたい? 消滅か? 転生か? それともこの世界に留まるか?」
「……普通ならみんなどうするんだ?」
青年は目の前にいる少女を怪しいと思いながらもなぜか質問を返した。
「普通なら転生……でもほとんどが死神に食われる」
食われるという表現に色々な想像を膨らませて青年は少し身震いした。自分も食われるのだろうか? 食われるという単語から青年の連想した死神像は大きな化け物だった。
死んで尚そんな化け物に食われなきゃいけないのは余りにもイヤだ。ならば普通に新しい人生を送りたい。
青年が妄想で恐怖心を膨らませていると、自分の袖を引っ張られてるのに気が付いた。少女の小さな手が青年の袖を掴んでいた。
「死神が来た。ここから移動する」
「え? あ! ちょっと うあ!」
身体が急に投げ飛ばされるような感覚に見舞われた。不と辺りを見渡すと風景が高速で通りすぎて行った。青年は少女に凄い速さで引っ張られているのに初めて気づいた。
バイクぐらいの速さは出ている。青年はそう感じたが、何か他の違和感を感じた。しかし、その思考を遮るように少女の声が聞こえた。
「後ろを見てみろ。死神が追ってくる」
少女の言葉に従い後ろを見てみる。背後からは羽根をつけた人間が追ってきていた。
「……天使?」
見たままの感想を述べた後、すぐに否定の言葉が帰ってきた。
「あれが死神だ。死んだばかりの人間は天使だと言ってあれをすぐに信用する。そして食われていくのだ」
「……なるほど」
少女の言葉に納得してそのまま少女の後頭部を見た。少女の長い髪は少しも揺れず、自分の髪も服も風に揺れている気配もない、風すらも自身を無視していた。
「……死ぬ、って嫌だな」
気づいた途端にずっとエレベーターに乗っているような、気持ち悪い感覚を感じた。
「死んでもまた生き返ればいい、転生はお前が一からやり直せるようにお前の命を還元するのだ。お前の意識、知識、記憶、すべてを0に戻す、天国に行った後、ガフの門を通れば魂は勝手に還元される。後はガフの部屋で自分の出生を待てばいい」
「はぁ?……つまり天国に行けば勝手に転生できるんだろ?」
言われた意味を半分も理解せずに青年は諦めた。
後ろを見ると先程までいた死神? はすでに遠くに見えていた。
「前を見ろ、あそこを超えれば天国に行くのは簡単だ」
少女が開いた手で前を指差した。指の先には薄い、虹色のベールのようなものが見えた。
「オーロラ? うわ! さっすが天国! キレイだな」
天国という響きにさっきまでの不安を消してはしゃぐ青年を見て少女は初めて笑みを浮かべた。
虹色のベールが目の前まで迫ると後ろには死神はいなかった。青年が少女を見るとすでに少女はベールに手を潜らせていた。
「早く来い、私は腹が減っているのだ」
「ああ、わかった」
少女は完全にベールを潜り、ベールの向こう側にいた。青年も慌ててベールを指先で触れた。
ベールは何の感覚もなく指先を受け入れた。
「……あれ? ココは?」
ベールの先にあったのは今までの雑居ビル群とは違い荒野だった。土は紅く、目に入るのは燃えたかのように枯れた木々だった。
「それでは頂きます」
青年の背後から不穏な声が聞こえ、後ろを振り向いたがそこには誰もいなかった。
「おい、どこにいったんだ? ココまで来て置いてくって事はないよな? おい!」
急に消えた少女を探すように大声で叫んだが無常にも何一つ反応は帰ってこなかった。
「マジでいなくなっちまった。それにさっきの声なんだ?」
警戒するように辺りを見渡すが何一つ見つけることはできなかった。急に一人になった事からか青年は大分動揺していた。そのせいで自分の身に起こった異変に気付くのが遅れた。
「痛!」
急に痛みを感じた右手を見ると、青年の右手は燃え上がっていた。だんだん火は大きくなり固形燃料を燃やすように体を燃やしていった。
「おっおい! コレが転生か? 馬鹿やろう! こんな痛ぇの聞いてないぞ! おい! うっうわああああぁぁぁ……」
紅い崖の頂に白い髪の少女がいた。少女は左手を軽く上げ、無表情のまま何かを唱えた。
すると崖の下のほうから大きな火の塊が音もなく少女のほうに浮かび上がってきた。
「おいしそう」
少女が口を開くと火は流れるように少女の口に滑り込んでいった。喉を鳴らして飲み込む様は何とも美味しそうだった。
火がすべて少女に飲み込まれると一言だけ、少女は言った。
「ごちそうさま」