名の変更許可申立書・添付陳述書(新しい名:ドブ平)
美しい名前は、刃物でございます。
と、大上段に申しましたが、刃物は言い過ぎでございました。錐くらいのものでございます。毎日すこしずつ刺さる、という点で、錐でございます。
三十四年、この錐と暮らしました。
# 名の変更許可申立書・添付陳述書(新しい名:ドブ平)
東京家庭裁判所 御中
名の変更許可申立事件 陳述書
申立人 東雲 麗
## 一
申し上げます。裁判官さま。申立人、東雲麗、三十四歳、男でございます。私は、ドブ平になりたいのでございます。
最初にひとつだけお願いがございます。この先をお読みになりましても、どうか書記官さまと顔をお見合わせにならないでいただきたい。私は真顔で書いております。生まれてこのかた、これほどの真顔は、ございません。
## 二
美しい名前は、刃物でございます。
と、大上段に申しましたが、刃物は言い過ぎでございました。錐くらいのものでございます。毎日すこしずつ刺さる、という点で、錐でございます。
三十四年、この錐と暮らしました。四月の出席簿では、先生がかならず私の名の前で二度、息を吸いました。病院の待合で「東雲麗さまぁ」と呼ばれて立ちますと、待合室が、しんとなります。猫背の中年男が立つからでございます。お巡りさんは私の免許証を二度ながめてから、本部に照会をかけました。容疑は、名前が美しすぎることでございます。友人の結婚式では、芳名帳の私の欄にだけ、新婦友人の印がついておりました。
そして三十四年。私は一度も、この名に追いついたことがないのでございます。顔が、名に負けております。十対ゼロで、負けております。
決めましたのは五年前の冬でございます。区役所の窓口で「うらら様の代理の方ですか」と訊かれ、本人ですと申しましたら委任状の用紙が出てまいり、いえ本人ですと申しましたら奥から上司が出てまいり、お連れさまはと訊かれ、おりませんと申しましたら三人目の方が保険証の不正使用に関する貼り紙を黙って指でお示しになった――あの午後でございます。
その晩、決めました。
## 三
戸籍法第百七条の二に、こうございます。正当な事由によって名を変更しようとする者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出なければならない。
調べました。正当な事由とは、奇妙な名である、難しくて読めない、同姓同名がいて困る、異性とまぎらわしい、通称として永年使用した――おおむね、この顔ぶれだそうでございます。十五歳から本人が申し立てられるのだそうでございます。私は十九年、出遅れました。手数料は収入印紙で八百円。八百円。三十四年の、お値段でございます。
ここで裁判官さま、私は気づいてしまったのでございます。これは、醜い名を救うための法律でございます。奇妙な名、読めない名は、救われる。美しすぎる名を、法は、想定しておりません。なるほど「異性とまぎらわしい」で、私の申立て自体は通るでありましょう。通って、私は健太になれるのでございます。翔太にも、なれるのでございましょう。
しかし裁判官さま。健太では、だめなのでございます。健太は、いつかまた、誰かが褒めるのでございます。ドブ平を褒める者は、おりません。ドブ平に期待する者も、おりません。ドブ平は、はじめから全部を免除された名でございます。私は、免除されたいのでございます。
これは世間への復讐ではございません。いえ、すこしは復讐でございます。配分で申しますと、九対一で、復讐ではございません。
なお、片仮名は戸籍の名に使えます。確認済みでございます。「ド」も「ブ」も、使えます。国は、ちゃんと用意してくれていたのでございます。
## 四
ところが、でございます。変更後の名のほうが珍奇でありますと、許可は出にくいのだそうでございます。本で読みました。裁判所は、私を健太にはしてくださいますが、ドブ平にだけは、してくださらないのでございます。
残る道は一本、「通称として永年使用」でございました。ならば、使うまでのことでございます。私は、ドブ平を生きることにいたしました。
年賀状は五年分、すべてドブ平の名で出しました。一年目、伯母から「悪い宗教なら、早く言いなさい」と返書がまいりました。二年目の宛名は「ドブ平くんへ」でございました。切り替えの早い人でございます。判子は三文判の棚にございませんでしたので、特注いたしました。千五百八十円。判子屋のご主人は「彫りますけど」とだけおっしゃいました。名刺は勤め先の印刷機で千枚、無論、自腹でございます。経費では落ちません。落ちるわけが、ないのでございます。
回覧板に、ドブ平。クリーニングの預かり札に、ドブ平。居酒屋のボトルに、ドブ平。
三年目には、商店街で「ドブさん、今日は鯖がいいよ」と声がかかるようになりました。子どもらは「ドブちゃん」と呼びます。犬も、なぜか寄ってまいります。
ドブ平には、友人がいるのでございます。麗に三十四年なかったものが、ドブ平には五年でできたのでございます。おかしいではないか。――おかしくは、ないのでございます。ドブ平に見栄を張る必要は、誰にもないからでございます。
申し添えます。銀行と保険証だけは、いまも麗のままでございます。病院は今日も「東雲麗さまぁ」と呼びます。それから、母の手紙だけは、最後まで「麗へ」でございました。その返事に私が何と署名していたかは、ここには書きません。
## 五
本年一月、申立てにあがりました。窓口の方は書面を一瞥して、おっしゃいました。
「ドブ平、で間違いないですね」
「間違いございません」
「通称の実績は」
「五年でございます。段ボールに、ふた箱」
「結構です」
それだけでございました。帰りぎわ、その方は「お名前のことでお見えになる方、月にお一人はいらっしゃいますよ」と、世間話のように。待合の長椅子では、放送が「桜小路雫さま、桜小路雫さま」と呼び、巌のような大男が、のっそりと立ちました。目が合いまして、互いに深く、礼をいたしました。同志でございました。
## 六
裁判官さま。長々と申し上げました。私の三十四年は、名に追いつこうとして果たせなかった三十四年でございます。この五年は、名から逃げおおせた、はじめての五年でございます。証拠は段ボールふた箱、伯母の年賀状、特注の判子、それから、鯖の声でございます。
なにとぞ、ご許可を賜りたく。なにとぞ。
ドブ平、と。役所の紙に、そう書いていただきたいのでございます。
## 付記
審判は、春のはじめに下りました。審判書には、許可する、とだけございました。区役所に届けを出し、新しい住民票をいただきました。東雲ドブ平。よい字面でございます。九対一で、よい字面でございます。
数日して、母から手紙が参りました。表に「ドブ平へ」とございました。三十四年で、はじめて見る宛名でございました。母の字は、すこし、ふるえておりました。
私は、ドブ平になったのでございます。
ドブ川の水も、そろそろ、ぬるむころでございます。




