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第七章 志奈星本体 1・2

 第七章 志奈星本体


 1


 安全区画へ戻った頃には、聖麗学院の名はもうニュースの見出しになっていた。


 壁掛けのモニターには、昼間まで品のいい私立校としてしか扱われていなかった学校の校舎が、今は「内部資料流出」「生徒選別疑惑」「提携医療の不透明運用」といった文字付きで映し出されている。

 けれど、そのどの画面にもまだ志奈星薬学公司の名前は出ていなかった。


 そこだけが、妙に不自然だった。


「切ってる」


 結理がモニターを見ながら言う。


「学院名は出しても、志奈星の法人名は出さないように、どこかが先に回してる」


「学院は切り捨てて、会社本体は隠すってことか」


「たぶん、もっと上」


 それだけで十分だった。


 学校はもう燃えている。

 でも、燃えているのは末端だけだ。

 その火の元にいる連中は、まだ綺麗なスーツで会議室に座っている。


 迅は部屋の端で別端末を開き、何本もの通話を短く切っていた。

 省庁名も会社名も出さない。

 だが、どの声も「今すぐ」「切り分け」「凍結」「優先順位」という言葉だけを繰り返している。


 国家と企業の話し方は、案外似ているのかもしれない。


「聖麗の件で稼げるのは、せいぜい半日だ」


 通話を一つ終えたあと、迅がそう言った。


「学院と理事会と保護者ネットワークが揉めている間は、向こうも足並みが揃わない。だが志奈星は、学院が燃える前提で次の箱をもう動かしている」


「次の箱」


 俺が言うと、迅はモニターを切り替えた。


 そこには、湾岸地帯の航空写真が映っている。

 コンテナヤード。

 海沿いの道路。

 そして、海面に突き出した自由貿易区の一角に、無機質なガラスと灰色の建物群。


「志奈星薬学公司 日本臨海統合神経医療センター」


 結理が読み上げる。


「表向きは神経再生医療の物流・解析拠点。

 でも実態は、国内ラインの中枢ハブ」


「白い部屋の先か」


「その先」


 迅が頷く。


「聖麗学院と慈修館は候補者の選別と局所観察。原記録の集約、家族リンク観察、補正計画の承認ライン、外部会議体への送出。それをまとめているのがそこだ」


「じゃあ、学院は前菜だったわけか」


「そういうことになる」


 胸の奥が重くなる。


 白い部屋で見たものだけでも充分に吐き気がした。

 なのに、それはあくまで"学院側のミラー部分"で、本体はまだ別にある。


 蓮の記録も、

 俺の補正計画も、

 美羽の擬似喪失シミュレーションも、

 向こうの本体にはもっと整った形で残っている。


 右手が、静かに熱を持った。


『行くわけね』


 リリスが囁く。


『ようやく、最初からあなたを見下ろしていた本体へ』


「行くしかないだろ」


 小さく呟くと、美羽がソファの端から顔を上げた。


「どこに?」


「志奈星の巣」


 できるだけ軽く言ったつもりだったが、声はあまり軽くならなかった。


 美羽は少しだけ黙って、それから頷いた。


「じゃあ、壊しに行くんだね」


「壊すだけじゃない」


 結理がモニターから目を離さずに言う。


「持って、暴いて、切る。

 向こうがまた"事故"にできない形で」


 その言葉が、妙にしっくりきた。


   2


 蓮は、仮設の安静室にいた。


 台場の会議場で暴れた時より、港湾倉庫で痛みを分け合った時より、少しだけ人の顔に戻ってきている。

 右腕はまだ筋を残したまま固定されているが、呼吸は前より静かだった。


 美羽が部屋へ入ると、蓮は最初だけびくっとした。

 けれど次の瞬間には、その目の中の獣みたいな警戒が少しだけ薄くなる。


「……みう」


 まだ一度しか会っていないのに、名前を覚えていたらしい。


「うん。美羽」


 美羽は平然とベッド脇の椅子に座った。

 怖くないわけじゃないだろうに、そういうところだけは本当に強い。


「お兄ちゃんたち、また行くって」


 蓮は少しだけ目を伏せる。


「しろいへやは、もっと、ある」


「どこに?」


 俺が訊くと、蓮はゆっくりと天井を見た。


「うみが、みえる。

 でも、まどは、あかない。

 しろい、へやが、いっぱい。

 あおいほし、したに、つめたいおと」


 断片的だ。

 でも結理は横で即座に地図を引いていた。


「海が見えるけど窓が開かない。

 自由区側の解析棟上階。

 "青い星"ってのは志奈星の逆光ロゴか、搬送フロアの表示。

 冷たい音はサーバか搬送ライン」


 迅もそれを聞きながら頷く。


「臨海統合センターの第三棟上層。

 解析と観察の複合区画だな」


 蓮はさらに小さく言う。


「かあさんのこえ、そこ、ない」


 胸の奥が少しだけ痛む。


「白い部屋には残ってた。

 でも、海のとこにはない。

 きれいに、きえてた」


「原本を削って、学院側のミラーにだけ断片を残してたのか」


 結理が低く言う。


「じゃあ向こうにあるのは、"残したい必要な記録"だけ。

 消したいものは、白い部屋側を焼けば終わる」


 迅が端末の画面を閉じた。


「だから本体を押さえる必要がある。今夜中に」


「今夜?」


 俺が言うと、迅は頷く。


「聖麗の件で向こうも動いている。

 学院ハブが切れ、白い部屋の存在が露出し、No.03が逸走した。

 この三つが重なった以上、志奈星本体は"証拠整理"に入る」


「つまり都合の悪いものは焼く」


「あるいは移す」


 どっちでも同じだ。

 こっちが遅れれば、残るのはきれいに言い換えられた報告書だけになる。


 蓮がそこで、俺を見た。


「しずお」


「ん?」


「おれの、なまえ、けさないで」


 一瞬、言葉が出なかった。


 コードでも残余宿主でもなく、相良蓮という名前を。

 それを記録の中から消させるな、という意味だ。


「消させない」


 即答だった。


「お前の名前も、母さんの声も、ちゃんと残してやる」


 蓮は目を閉じた。

 眠ったわけじゃない。

 たぶん、その約束だけを体のどこかに置いたんだと思う。


『いい子』


 リリスが静かに囁く。


『その約束は、たぶんあなた自身のためにもなるわ』




   1


 安全区画へ戻った頃には、聖麗学院の名はもうニュースの見出しになっていた。


 壁掛けのモニターには、昼間まで品のいい私立校としてしか扱われていなかった学校の校舎が、今は「内部資料流出」「生徒選別疑惑」「提携医療の不透明運用」といった文字付きで映し出されている。

 けれど、そのどの画面にもまだ志奈星薬学公司の名前は出ていなかった。


 そこだけが、妙に不自然だった。


「切ってる」


 結理がモニターを見ながら言う。


「学院名は出しても、志奈星の法人名は出さないように、どこかが先に回してる」


「学院は切り捨てて、会社本体は隠すってことか」


「たぶん、もっと上」


 それだけで十分だった。


 学校はもう燃えている。

 でも、燃えているのは末端だけだ。

 その火の元にいる連中は、まだ綺麗なスーツで会議室に座っている。


 迅は部屋の端で別端末を開き、何本もの通話を短く切っていた。

 省庁名も会社名も出さない。

 だが、どの声も「今すぐ」「切り分け」「凍結」「優先順位」という言葉だけを繰り返している。


 国家と企業の話し方は、案外似ているのかもしれない。


「聖麗の件で稼げるのは、せいぜい半日だ」


 通話を一つ終えたあと、迅がそう言った。


「学院と理事会と保護者ネットワークが揉めている間は、向こうも足並みが揃わない。だが志奈星は、学院が燃える前提で次の箱をもう動かしている」


「次の箱」


 俺が言うと、迅はモニターを切り替えた。


 そこには、湾岸地帯の航空写真が映っている。

 コンテナヤード。

 海沿いの道路。

 そして、海面に突き出した自由貿易区の一角に、無機質なガラスと灰色の建物群。


「志奈星薬学公司 日本臨海統合神経医療センター」


 結理が読み上げる。


「表向きは神経再生医療の物流・解析拠点。

 でも実態は、国内ラインの中枢ハブ」


「白い部屋の先か」


「その先」


 迅が頷く。


「聖麗学院と慈修館は候補者の選別と局所観察。原記録の集約、家族リンク観察、補正計画の承認ライン、外部会議体への送出。それをまとめているのがそこだ」


「じゃあ、学院は前菜だったわけか」


「そういうことになる」


 胸の奥が重くなる。


 白い部屋で見たものだけでも充分に吐き気がした。

 なのに、それはあくまで"学院側のミラー部分"で、本体はまだ別にある。


 蓮の記録も、

 俺の補正計画も、

 美羽の擬似喪失シミュレーションも、

 向こうの本体にはもっと整った形で残っている。


 右手が、静かに熱を持った。


『行くわけね』


 リリスが囁く。


『ようやく、最初からあなたを見下ろしていた本体へ』


「行くしかないだろ」


 小さく呟くと、美羽がソファの端から顔を上げた。


「どこに?」


「志奈星の巣」


 できるだけ軽く言ったつもりだったが、声はあまり軽くならなかった。


 美羽は少しだけ黙って、それから頷いた。


「じゃあ、壊しに行くんだね」


「壊すだけじゃない」


 結理がモニターから目を離さずに言う。


「持って、暴いて、切る。

 向こうがまた"事故"にできない形で」


 その言葉が、妙にしっくりきた。


   2


 蓮は、仮設の安静室にいた。


 台場の会議場で暴れた時より、港湾倉庫で痛みを分け合った時より、少しだけ人の顔に戻ってきている。

 右腕はまだ筋を残したまま固定されているが、呼吸は前より静かだった。


 美羽が部屋へ入ると、蓮は最初だけびくっとした。

 けれど次の瞬間には、その目の中の獣みたいな警戒が少しだけ薄くなる。


「……みう」


 まだ一度しか会っていないのに、名前を覚えていたらしい。


「うん。美羽」


 美羽は平然とベッド脇の椅子に座った。

 怖くないわけじゃないだろうに、そういうところだけは本当に強い。


「お兄ちゃんたち、また行くって」


 蓮は少しだけ目を伏せる。


「しろいへやは、もっと、ある」


「どこに?」


 俺が訊くと、蓮はゆっくりと天井を見た。


「うみが、みえる。

 でも、まどは、あかない。

 しろい、へやが、いっぱい。

 あおいほし、したに、つめたいおと」


 断片的だ。

 でも結理は横で即座に地図を引いていた。


「海が見えるけど窓が開かない。

 自由区側の解析棟上階。

 "青い星"ってのは志奈星の逆光ロゴか、搬送フロアの表示。

 冷たい音はサーバか搬送ライン」


 迅もそれを聞きながら頷く。


「臨海統合センターの第三棟上層。

 解析と観察の複合区画だな」


 蓮はさらに小さく言う。


「かあさんのこえ、そこ、ない」


 胸の奥が少しだけ痛む。


「白い部屋には残ってた。

 でも、海のとこにはない。

 きれいに、きえてた」


「原本を削って、学院側のミラーにだけ断片を残してたのか」


 結理が低く言う。


「じゃあ向こうにあるのは、"残したい必要な記録"だけ。

 消したいものは、白い部屋側を焼けば終わる」


 迅が端末の画面を閉じた。


「だから本体を押さえる必要がある。今夜中に」


「今夜?」


 俺が言うと、迅は頷く。


「聖麗の件で向こうも動いている。

 学院ハブが切れ、白い部屋の存在が露出し、No.03が逸走した。

 この三つが重なった以上、志奈星本体は"証拠整理"に入る」


「つまり都合の悪いものは焼く」


「あるいは移す」


 どっちでも同じだ。

 こっちが遅れれば、残るのはきれいに言い換えられた報告書だけになる。


 蓮がそこで、俺を見た。


「しずお」


「ん?」


「おれの、なまえ、けさないで」


 一瞬、言葉が出なかった。


 コードでも残余宿主でもなく、相良蓮という名前を。

 それを記録の中から消させるな、という意味だ。


「消させない」


 即答だった。


「お前の名前も、母さんの声も、ちゃんと残してやる」


 蓮は目を閉じた。

 眠ったわけじゃない。

 たぶん、その約束だけを体のどこかに置いたんだと思う。


『いい子』


 リリスが静かに囁く。


『その約束は、たぶんあなた自身のためにもなるわ』



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