ep.6
「おかえり」
「寝たんじゃなかったのか」
「この前の実験が気がかりで。僕はもう自室に籠るから。」
最低限の会話を済ませ、彼は静かに自室のドアを閉めた。私はリビングへと足を運ぶ。私の味蕾はもう、味を感じ取る事が出来ないが、夜食として担々麺をズルズルと啜る。舌の上に痛みだけが残る。その腹いせにテーブルに資料をぶちまけ、苦みだけを感じるブラックコーヒーを口に含みため息を吐き、論文をめくってはまたため息を吐く。仕舞いには辛うじて味を感じる葉巻を取りだし、紫煙をくゆらせた。
「ったく、面倒くさいことをヤツは押し付けやがる。」
私がそう言うと椅子のキャスターが回る音がした。その音は段々と近づいてくるようだ。しばらくすると彼が来て、葉巻を見て言った。
「だから、葉巻はダメです。体に良くない。養生してくださいよ。」
私がため息を吐くと、彼は葉巻を取り上げた。
「少しぐらい体を大事にして下さい。体は代替不可能なんですから」
彼は悲しそうに笑う。私には何故笑うのかが分からなかった。
「……お前、言ってることと表情が合ってないぞ」
「渚さんも、古城戸さんみたいに、なっちゃいますよ…」
か弱く呟かれたその名前に、意識が一瞬だけ止まる。古城戸というのは、あの凄惨な同僚だ。古城戸先生は、産まれる前に両親を亡くした彼にとっての父親代わりだった。政府の掌の上で転がされる脳、それが古城戸先生の死んだ後も続く、未来など存在しない人生なのだ。
「私はもう死んだようなもんだ。邪魔すんな」
私はどうしていいのか分からないまま、『どうか、私の想いが伝われば、』と念じながら言った。彼はそんな私に言った。
「じゃあ、僕にもその葉巻くださいよ。」
と言って、私の葉巻を半分で切り、自分も吸い始めた。
「おまっ、」「いいじゃないですか。 明日、世界が終わるんですから。」
私の口を軽く手でふさぎ、彼は笑った。私がその直後に発した単語に彼は触れない。やがて葉巻から静かに紫煙がのぼり、消えてゆく。それを眺める彼の表情に少し嬉しさも秘められている様であった。




