其の九十四「創作オカルト遊戯:厄付けゲーム」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
風間です。
今日は、読者様から届いた、背筋がゾゾゾとする
興味深いお便りをご紹介しようと思います。
それでは、どうぞ。
◇◆◇
風間先生へ。
いつも先生の「これから広まるかもしれない怖い作り話」、楽しみに拝読しております。
今回は、先生にお伝えしたい「私が実際に体験した、確かに存在する怖い話」があり、筆を取らせていただきました。
先生は、「厄付けゲーム」というものをご存じでしょうか。
これは私が小学生の頃、クラスの一部でひっそりと流行っていた遊びです。
遊びと言っても、その内容は少し変わっていて――“厄を付けたものを回し合う”というものでした。
使うのは、どこにでもありそうな小さな木片。
それを手にした瞬間、その人に“何らかの厄が付く”とされ、
持っている間は妙な不運が続くのだと噂されていました。
だから、みんな必死で誰かに渡すんです。
机の中にそっと入れたり、カバンに忍ばせたり、ポケットに落とし込んだり。
とにかく「自分の手元に置いておかない」ことが、このゲームのルールでした。
そして――“渡し続けないと、何かが起こる”。
これが「厄付けゲーム」の核心でした。
ここまで聞くと、小学生が考えそうな、どこにでもある「創作オカルト遊戯」だと思われるかもしれません。
実際、当時の私はこの遊びに参加しておらず、冗談半分の悪ふざけだろうと軽く見ていました。
ただ……“渡し続けないと何かが起こる”という設定は、後に冗談では済まされなくなりました。
しばらく木片を持ち続けてしまった子が、原因不明の高熱で数日間、学校を休んだのです。
幸い、彼の熱は下がり、無事学校に戻ってきました。
厄付けゲームをしていた子たちは、安堵と好奇心が入り混じった顔で彼に質問を浴びせました。
しかし彼は多くを語らず、ただ一言。
「夢の中で、よく分からない誰かにずっと呼ばれていた」
それだけでした。
そして――彼が持っていたはずの木片は、どこを探しても見つかりませんでした。
あれから十年以上経ちますが、ふとした瞬間にあの出来事を思い出すことがあります。
もし今も、消えてしまったあの木片がどこかに存在し、誰かの手元に渡っているのだとしたら……
その“厄”は、まだ回り続けているのでしょうか。
先生の怖い作り話を読むたび、私はあのゲームのことを思い出します。
もしよろしければ、いつかこの話を作品の一つとして扱っていただけたら嬉しいです。
これからも先生のご活躍を楽しみにしております。
――〇〇〇〇より(お名前は伏せさせていただきました)
◇◆◇
厄付けゲーム……興味深いですね。
私の学校でも、其の六十1「そまつかなう」のように、
“二十歳までに意味を解き明かさないと呪われる”“死ぬ”“結婚できない”など、
様々な不幸に見舞われるという言葉遊びが流行りました。
これも、彼女の言う「創作オカルト遊戯」の一つでしょう。
創作、冗談――そう思っていても、どこか心にひびく。
本気で信じてはいないはずなのに、それでも妙に怖く感じる。
きっと、「自分の手元に置いておかない」「渡し続けないと何かが起こる」というルールが、
この遊びに“本物の恐怖”のような印象を与え、
それを信じた子どもたちの心に現実の影響を落としたのではないか。
このお便りを読んだ私は、そんなことを思いました。
それにしても――「創作オカルト遊戯」という言葉。
これは、私の中でとても強く響きました。
今回のお便りにあった「厄付けゲーム」。
私の学校で流行った「そまつかなう」。
きっと全国の学校に存在したであろう、数々の“創作オカルト遊戯”。
その時、子どもたちの間で囁かれた怖い遊びを集めてみるのも面白いかもしれません。
読者の皆様。
「あなたの学校で流行った創作オカルト遊戯」がありましたら、ぜひ教えていただけると嬉しく思います。
背筋がゾゾゾとするような、あの頃の“創作オカルト遊戯のお話”。お待ちしています。
この話、本当に興味深いです。




