其の九十壱「百話目の影」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これから広まるかもしれない怖い作り話を書き始めて、今回で九十壱話目。
全壱百八話の怖い話を書く──そう決めた始まりについて、
どうして壱百八話にしたのかを、今になっても思い出すことが出来ません。
多分、それほどこの“壱百八”という数字に、作者として強いこだわりがなかったからなのだろう……
そんな気さえしてきます。(チョットチョットー( ̄▽ ̄;)(笑))
それはそれとして。
怪談百物語など、こうした怖い話は“百”を区切りにしていることが多い。
そう感じた私は、その理由について少し調べてみました。
◇◆◇
怪談が「百物語」のように百話で区切られている印象が強いのは、
日本の文化や歴史に深く根ざした、いくつかの理由があるそうです。
古来、日本では「百」という数は単なる数量ではなく、
物事が極限まで積み重なった状態を象徴する特別な数字とされてきました。
百戦錬磨、百鬼夜行──
こうした言葉に見られるように、百は“完全”“到達点”を意味し、
怪談を百話語るという行為は「恐怖を極める儀式」として受け止められていたのだとか。
また、江戸時代に流行した百物語は、怪異を呼び出すための儀式的な遊びでもあったようです。
百本の蝋燭を灯し、一話語るごとに一本ずつ消し、
最後の一本が消えると“何かが現れる”と信じられていた──と。
こうして見ると、百物語はまるで、こっくりさんのような降霊術にも思えてきます。
さらに、怪談集や読み物の形式として「百話構成」が広まり、
百という数字が“物語のまとまり”として定着したことも大きく、
こうした歴史的背景が重なって、現代でも怪談と百話の結びつきが強く印象づけられている……
ということでした。
◇◆◇
では、なぜ私は“壱百八”という話数を最初に設定したのか。
思い浮かぶのは、煩悩の数。除夜の鐘。
けれど、その確証はありません。
ただ、壱百八という数を、この物語を書き始めるときに
私は何の迷いもなく、サラリと入力していた──
それだけは確かで、今の私にはそうとしか言えません。
しかし、百の区切りについて調べたことで、ひとつ迷いが生まれました。
そのきっかけとなったのは、この一文です。
「江戸時代に流行した百物語は、怪異を呼び出すための儀式的な遊びでもあったようです。
百本の蝋燭を灯し、一話語るごとに一本ずつ消し、最後の一本が消えると何かが現れる――」
蝋燭を消すということは無いにせよ、
この物語の百話を書き終えたときに……
まさか、本当に“何か”が現れるのではないか──
私はこの物語を、九十九話で止めるべきなのか。
それとも、確かな理由は忘れてしまっていても、最初に決めた壱百八話まで書ききるべきなのか。
◇◆◇
毎日、この怖い話を創作しているにもかかわらず、
私は怖いものが大の苦手です。
其の壱百を書いた後、私のところには……何が現れるのでしょう。
もしも、この物語の投稿が百話でぷつりと止まることがあったら。
その時は、どうか……何かを察してください。
この話、本当なんです。




