其の八「きもだめし」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
肝試し
それは、怖いもの好きな人にとって夏の夜の風物詩のようでいて、
実はとても危うい”儀式”なのかもしれません。
オカルト好きな友人同士で集まり、懐中電灯を片手に噂の心霊スポットへ向かう。
廃墟になった病院、山奥のトンネル、使われなくなった学校。
場所は様々ですが、そこには必ず「何かがいる」と言う噂があります。
「ここ、出るらしいよ」
「ここ、昔殺人事件があったんだって」
「ここ、心霊写真が撮れるって」
そんな言葉を交わしながら、彼らはそこに足を踏み入れる。
怖がりながらも、どこか心は期待している。
ここで何かが起きることを。
ここで何かを見てしまうことを。
しかし、肝試しの怖さはそれだけではありません。
これは私が以前、お酒の席で聞いた話。
ある若者たちが、深夜に有名な心霊スポットである廃トンネル(場所は伏せておきます)へ肝試しに行ったときのこと。
噂通りその廃トンネル内は、湿気で壁には苔が生え、どこか空気が重く感じ、何かが出そうという強い雰囲気だけは感じられる場所でした。
しかし、ただそれだけで、何も起きなかった。
誰も恐怖で声を上げることなく、撮った写真にも何も写ることもなく、期待を裏切られた思いでそこから帰ってきたのですが、その後、彼らのうちの一人が急に体調を崩したそうです。
病院に行っても原因不明。眠れず、食欲もなく、いつも何かに見られているような気がすると言い出した彼。家の中で物音がしたり、鏡に何かが映ったような気がしたり…
結局彼は、神社でお祓いを受けることになりました。
そのとき神主さんから彼はこう言われたのです。
「何かが憑いています。ですが、それはその場所で“何かを見た”からではありません。“何も見なかった”からこそ、気付けなかったのです。」
心霊スポットという場所には、何かが潜んでいる。それは、姿を見せることもあれば、見せないこともある。しかし、見えなかったからといって、何もないとは限らない。
むしろ、何も起きなかった時こそ、注意が必要なのかも。
そしてこれはもうひとつの別の話。
その人も肝試しに行ったときには何も異変はなかったのですが、数日後に家族が次々と怪我をするという現象がおきました。階段から落ちる、包丁で指を切る、車で接触事故。どれも偶然のようでいて、こう続くと不気味なものです。
その人もまた、お祓いを受け神主から言われました。
「あなた自身には憑いていません。ですが、あなたを通じて、家族に影響が出ています。」と。
心霊スポットとは、ただの場所ではありません。
そこには、何か見えない「気配」が漂っています。人の気配に反応し、近づき、時にそこを訪れた人にふわりと軽やかに取り憑く。
その場で何かを見たから怖いのではなく、その場で何も見えなかったからこそ、気づかないうちにその「気配」を連れて帰ってしまう。
そして、これは誰にでも起こりうることなのです。
肝試しに行って、怖い思いをした。何かに取り憑かれた気がして、お祓いに行った。そんな話は、今も昔も、数え切れないほどあります。
でも、本当に怖いのは「何も起きなかった」と思っている人の背後に、すでに「何か」が憑いているかもしれないということ。
聞いた話ですけど心霊スポットって、何が起きても、何も起きなくても、知らず知らずのうちに何らかが憑いてしまうそうですよ。
この話は私がお酒の席で聞いた話なので、もしかするとその場で作った話「作り話」かもしれません。
でも、私は思うのです。
肝試しに行ったその時に何も起きなかったとしても、霊障はすでに始まっている。
この話、本当かもしれません。




