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これから広まるかもしれない怖い作り話  作者: 井越歩夢


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其の七十参「のります、の声」

これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない

いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。


全部で壱百八話。どれも短い物語です。


しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、

時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、

時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。


そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。

これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。


この話、本当なんです。



これは、私が友人(仮にAさんとします)から聞いた話です。

それは会社という、もっとも日常的で“安全”だと思っていた場所で起きた出来事でした。


◇◆◇


週末の夕方。

その日の仕事を終えたAさんは、同僚と二人で会社ビル3階のエレベーターホールにいました。


昇降ボタンを押し、エレベーターを待ちながら他愛もない話をしていたところ──久しぶりに飲みに行こうという流れになったその時、エレベーターが到着し、軽い電子音とともに扉が開きました。


二人は自然に乗り込み、Aさんが「1階」のボタンを押します。


「ドアが閉まります」


いつもの機械音声。

ここまでは、何の変哲もない日常の一コマでした。


しかし──その直後です。


「……のります」


Aさんの耳に、小さく、しかしはっきりとした“女性の声”が聞こえたのです。


Aさんは思わずバッと扉の方を見ました。

同僚も同じように、反射的に扉の方へ視線を向けたそうです。


しかし、そこには誰もいませんでした。


エレベーターの前にも、扉の向こうの廊下にも、人影はない。

なのに、確かに聞こえた。


女性の声で──「……のります」と。


数秒の静寂のあと、何事もなかったかのように扉はスーッと閉まり、エレベーターはゆっくりと1階へ下降を始めました。

その間、Aさんも同僚も、じっと黙っていたそうです。


エレベーターの中は妙に静かで、機械の振動音だけがザーッと響いていました。

いつもなら気にも留めないその音が、この時のAさんには、やけに大きく、ねっとりとまとわりつくように感じられたといいます。


1階に着き、扉が開くと、二人は逃げるようにエレベーターを出ました。

ほぼ同時に、少し速足で。


そしてAさんは、耐えきれずに同僚に尋ねました。


「……なあ。さっき『ドアが閉まります』のあと、何か聞こえた?」


同僚は少し顔を強張らせながら答えました。


「……聞こえた。女の声で『……のります』って。」


その瞬間、Aさんは背筋がゾゾゾとしたと言います。

これは自分だけの聞き間違いではない。同僚も、同じ女性の声で、同じ言葉を聞いていた。


──あの時、エレベーターの前には誰もいなかったのに。


◇◆◇


Aさんの会社が入っているビルは築十年ほどで、特に古いわけでもありません。

心霊的ないわくもなく、過去に事故があったという話もない。


だからこそ、Aさんは余計に気味が悪かったと言います。


「のります」という声は、機械音声ではなかった。


まぎれもなく人間の女性の声。

それも、妙に近くでそっと囁かれたような、湿った響きだったそうです。


それ以来、Aさんはあの声を思い出すたびに、ある疑問が頭をよぎると言います。


──あれは、本当に“誰もいなかった”のか?


エレベーターのセンサーは、人が近づけば必ず反応する。

扉が閉まる前に人がいれば、必ず開く。しかし、あの時は何も起きなかった。


ただ、声だけが聞こえた。

女性の声で──「のります」と。


◇◆◇


後日、Aさんはエレベーターの定期メンテナンスに来ていたビル管理会社の方と顔を合わせる機会があり、さりげなく聞いてみたそうです。


「エレベーターの音声に不具合はありませんか?」


返ってきた答えはこうでした。


「特に異常はありませんよ。」


その言葉でAさんは確信しました。あの声は、機械の誤作動などではない。

では──あれは何だったのか。


目に見えない“誰か”が乗り込もうとしていたのか。

それとも──すでに乗っていたのか。


Aさんはその日以来、エレベーターに乗るとき、つい身構えてしまうようになったそうです。「誰もいない」と分かっていても、どうしても気になってしまう。


──また、あの声が聞こえるのではないかと。


「……のります」


◇◆◇


これは、Aさんから聞いた話です。

会社という、もっとも日常的な場所で起きた、ほんの小さな異変。

日常の中に紛れ込む“異質なもの”ほど、後を引く怖さはありません。


あの声は誰だったのか。

何が、エレベーターに“乗ろうとしていた”のか。


そして──あの日、本当に乗っていたのはAさんと同僚の二人だけだったのでしょうか。


私はAさんからこの話を聞いて以来、エレベーターの「ドアが閉まります」という音声を聞くたびに、そっと耳を澄ませてしまいます。


……そのあとに、何か聞こえないかと。


この話、本当なんです。


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