其の五「異名マニア」
これから語るのは、もしかすると、これから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない、「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、時に、見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そして、ひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは私が、ある事件記者から聞いた「異名マニア」という呼び名がふさわしい者の話。
その正体は不明。年齢も、職業も、性別も、顔も、何もわかっていない。
ただ、残された事件の痕跡だけが、確かに存在していた。
連続殺人事件の現場に、不可解なメッセージが残されていた。
最初の事件は、ある地方都市で起きた。
被害者は中年男性。自宅の寝室で、不可解な状況で発見された。
争った形跡はなく、死因も不明。
だが、壁には赤いペンでこう書かれていた。
『影は裁きを下す』
警察は捜査を開始したが、手がかりは乏しかった。
そんな中、マスコミはこの奇妙なメッセージに飛びついた。
そして、犯人にこんな異名をつけた。
「影の処刑人」
その名は、瞬く間に広まった。新聞の見出しに、テレビの特集に、SNSに、ネットの掲示板に。
人々は事件を恐れながらも、その異名に惹かれた。
それがまるで、物語の登場人物のように。
そして、第二の事件が起きた。
今度の被害者は若い女性。公園のベンチで、眠るように座ったまま亡くなっていた。
死因は不明。だが、近くの木の幹に、またしても赤いペンで書かれていた。
『影は正義を問う』
報道は過熱した。「影の処刑人、再び現る」「異名の男、次なる標的は?」
そんな見出しが紙面を軽やかに踊った。
そして、犯人はそれを見ていた。
報道されるたびに、犯人の気分は高揚した。異名が広まるほど、快楽は増していく。自分が「物語の中の存在」になっていく感覚。誰もがその名を口にし、恐れ、語り合う。犯人はその異名を誇りに思っていた。
「影の処刑人」それは犯人にとって、ただの呼び名ではなかった。自分の存在を証明する印だった。犯人は、異名を得ることで「生きている」と感じていたのだ。
だが、ある日を境に、報道は突如途絶えた。
三件目の事件が起きた直後だった。被害者は高齢の男性。自宅の庭で倒れていた。
例の赤いメッセージも残されていた。だが、マスコミはそれを報じなかった。
警察が情報を伏せたのか、報道規制がかかったのか。理由は不明だった。
それに合わせるかのように、「影の処刑人」の犯行もぴたりと止まった。
以後、同様の事件は起きていない。赤いメッセージも、異名も、報道も、すべてが沈黙した。
だが、犯人が捕まったわけではない。逮捕の報道もなければ、告白もない。
犯人は、今もどこかにいる。静かに、ひっそりと、息を潜めて。
そして、今もその異名で呼ばれることを欲しているのだ。
「影の処刑人」その名が再び報じられる日を、待っている。
誰かが語り始めるのを、誰かが思い出すのを、誰かが恐れるのを。
そして「影の処刑人」の異名が広まることで、犯人は再び目を覚ます。
これは私が、ある事件記者から聞いた「異名マニア」という呼び名がふさわしい者の話。
この話、嘘だと思いますか?でも、私は彼からこう聞いています。
この話、本当なんだと。




