其の弐十七「確認百八十回」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、私が友人から聞いた、ある男性の話です。
その男性がサイコパス気質であることは、会社でも自宅近所でも知られていたそうです。
表面上は礼儀正しく、言葉遣いも丁寧なのに、どこか人間らしい感情が欠けている。
怒りも喜びも、まるで演技のように見える。そんな人物でした。
友人は一時期、そんな男性と同じ部署で働くことになりました。
友人は男性のことを、最初はただの変わり者だと思っていたそうです。
ですが、日が経つにつれ、理不尽な指示や意味不明な叱責が増え、友人は精神的に大きく疲れていきました。
何かがおかしい。そう感じながらも、仕事を辞めるわけにもいかず、ただ耐える日々が続きます。
そんなある日でした。男性が明らかに妙な行動をとるようになったのです。
書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、鍵をキーボックスに入れる。数秒後、またキーボックスから鍵を取り出し、扉を開け、書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、キーボックスに入れる……
それを、延々と、まるで機械のように繰り返すのです。
何の意味があるのかはわかりません。
ただ、男性は一向にその動作を終えようとしないのです。
友人は、最初こそ滑稽に思いながら眺めていたそうです。
しかし、あまりに続くその単調な動作に、次第に不安を覚え始めました。
まるで、何かに取り憑かれているかのように、男性は無表情のまま、同じ動作を繰り返していたのです。
書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、キーボックスに入れる。鍵を取り出し、扉を開け、書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、キーボックスに入れる……
一体いつまで続くのか。
友人は、彼がこの動作を一体何回繰り返すのか数えてみようと、知らんふりをしながらその様子を見ていました。
書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、キーボックスに入れる。鍵を取り出し、扉を開け、書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、キーボックスに入れる…‥
書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、キーボックスに入れる。鍵を取り出し、扉を開け、書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、キーボックスに入れる…‥
書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、キーボックスに入れる。鍵を取り出し、扉を開け、書庫の中を確認し、扉を閉め、施錠し、キーボックスに入れる…‥
数え始めて三十分。
「よし、確認できた。」
男性がそう言ったのは、ちょうど百八十回目の動作を終えたときだったそうです。
この時の男性の声は、どこか安堵しているかのようだったといいます。
ですが、友人が見た男性の目は、明らかに何かに取り憑かれたような、虚ろな目をしていました。
男性は何を確認したのか。友人は、聞こうとは思いませんでした。
サイコパス気質の彼に、そんな質問をすることが、何かの“地雷”になるような気がしたのです。
何も聞くこともなく、無駄に話しかけることもなく、そのまま友人は退社しました。
友人から聞いた話では、この男性には他にも奇妙な癖や問題行動があったそうです。
人の私物を勝手に動かす。誰もいない会議室で独り言を繰り返す。
深夜に社内の照明をすべて点けて歩く。
ですが、私の記憶に残っているのは、この百八十回の確認の話だけです。
友人の語ったこの男性の話の中で、それがあまりにも異様に感じるものだったから。
何かを確認するために、百八十回も同じ動作を繰り返す。
それは、ただの強迫性の行動なのか。それとも、もっと別の何かが?
私は、友人から聞いた話を思い返すたびに、こんなことを思うのです。
男性は、本当に何かに取り憑かれていたのではないか。
書庫の中に、何かがいたのではないか。
百八十回目に、ようやく“それ”が消えたのではないか。
逆に、百八十回目に“それ”が彼の中に入ったのではないか、と。
友人から聞いたこの話、本当なんだそうです。




