其の弐十六「楽園崩壊まで」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、私が「楽園実験」を知ったときにふと考えたことです。
ユニバース25。その名を初めて聞いたとき、私は何かSF作品?という響きに聞こえました。しかし、それは現実に行われた、列記とした科学実験でした。
アメリカの科学者ジョン・カルフーンが行ったこの実験は、
「もし動物が何の不自由もない理想の環境で暮らしたら、どうなるのか?」という問いから始まりました。
彼は、食べ物、水、住む場所、安全。すべてが揃った“楽園”のような空間を作り、そこに8匹のネズミを入れました。
ネズミたちは安心して暮らし、子どもを産み、数は600匹以上にまで増えました。
最初は平和でした。争いもなく、秩序が保たれていたのですが……
しかし、ある時期を境に、ネズミたちの行動に異変が現れます。
ケンカが増え、子育てを放棄する親が現れ、争いを避けて毛づくろいばかりする、“美男ネズミ”が登場しました。
群れは崩れ、ネズミたちは孤立し、繁殖をやめました。
無気力、暴力、育児放棄。それらが広がり、社会は静かに崩壊していったのです。
そして、ついには子どもを産まなくなり、ネズミたちは全滅しました。
この実験は、「物が足りていても、心や社会のバランスが崩れると生き延びられない」ということを示しているように思います。豊かさだけでは、幸せにはなれない。
そして私は、これをネズミの話でありながら、どこか人間社会の鏡のようにも思いました。
さらに驚いたのは、この実験が25回繰り返されたということです。
ユニバース25。その「25」は、同じ条件で同じ実験を25回行ったことを意味しているそうです。
そして、結果は毎回同じ。25回、ネズミの社会は滅亡したのです。
ここで、私はふと考えました。
では、これをネズミではなく人間に当てはめたらどうなるのだろう?
同じような“楽園”を人間に与えたら。
人間が物質的に満たされた環境に置かれたとき、果たして人間社会はどれほど持ちこたえられるのか。
人間の時間に換算したら、滅亡まで何年かかるのか。
最近、AIの使い方を模索している私は、それをAIに計算させてみました。
ネズミの寿命、繁殖速度、社会構造。それらを人間のスケールに置き換え、同じような条件でシミュレーションを行ったのです。
その結果に、私は唖然としました。
これは本当に起こり得るのか?そう思わずにはいられませんでした。
私が見た計算結果は、あえてここでは出しません。
ただ一つだけ言えるのは、「想像以上に短い」ということ。そしてもしかすると、もう始まっているのかもしれないということ。
今の社会を“楽園”だとするならば。物質的に満たされ、飢えもなく、争いも表面上は抑えられているとするならば、人間社会の崩壊まで、あとどれほどの時間が残されているのか。
私は、この話「ユニバース25楽園実験」を、ただの実験として片づけることができませんでした。
ネズミたちは、何も足りないものがなかった。それでも、ネズミたちは滅びました。
満たされることが、滅びの始まりなのだとしたら。
人間社会は、何かが足りていないからこそ、今のところ崩壊を免れているのかもしれない。
もしかすると何かが足りないことは、ある意味、滅びを回避できる救いなのかもしれない。
「楽園」とは、必ずしも幸福ではなく静かに崩れていく滅びの場所なのかもしれない。
この話、本当だとすれば。
仮に今の人間社会が楽園だとしたら、崩壊まで残された時間はあと〇〇〇年……




