其の壱百零「怪談百物語の法則」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
入り込む感覚、というのでしょうか。
過集中という感覚を、自覚できるほど一点を――私は今、モニターを凝視している。
書きしるす一文字一文字を射抜くほど凝視していると自覚し、
背筋がゾゾゾなどと言っていられない“引き上げられるような感覚”を肩に受けていると、
それが錯覚か真実か、自己判定できない。
そんな二月二日月曜日の七時四十四分五十秒。
これが、怪談百物語の法則なのでしょうか。
◇◆◇
怪談百物語では、百話目を語り終え、最後の一本の蝋燭を吹き消した瞬間、
この世ならざるものが現れると伝えられています。
百の怪談で場に満ちた“怪異の気”が、暗闇になった瞬間に形を得るという考え方らしく、
そのため昔から、百話目を語らず九十九話で終えるのが安全とされ、
最後の蝋燭を消す行為は“異界への扉を開く儀式”として恐れられているのだとか。
◇◆◇
この物語――これから広まるかもしれない怖い作り話は、
著者である私が、様々な怪談、都市伝説、口伝を聞く中で、
私なりの解釈を持って創作した「創作怪談」です。
伝統的な怪談ではなく、私の思考の中で生まれた物語。
ですから、伝統的な怪談百物語の法則には当たらないものと考えていました。
それでも、其の壱百零を書こうとノートパソコンに向き合ったとき、
いつもと何か違う感覚に襲われ、それは“背筋がゾゾゾ”では言い表せない恐怖でした。
◇◆◇
なぜ私はこの物語を書き始めるとき、最初に「壱百八の怖い作り話」と前書きに書いたのか。
なぜ壱百八なのか。それを思い出すこともできません。
この壱百零話目を書き上げ、投稿のボタンを押したとき、
伝統的な怪談の“百の蝋燭”を消したときのように、何かが起こるのでしょうか。
少し怖いなと思いながら、私はこの原稿を書き終え、
これから其の壱百壱の下書きを始めようと思います。
この話、本当なんです。




