3.紡ぐ
あれから結局眠れるわけもなく、一晩中類に抱きしめられていた三琴はすっかり寝不足だった。
しかも絢斗から『類から聞いてるかもしれないけど、泊まりに行ってるから』なんて遅すぎるメッセージが夜中に送られてきていた。
先に伝えてくれたらよかったのに、絢斗は類とは違って少し奔放なところがある。恋人の元で羽目を外して問題を起こさなければいいけど……なんて心配事もあったからか、一睡もできなかったのだ。
「おはようござます、三琴さん」
「お、はよ……」
別になにかやましいことがあったわけではないけれど、自分の好きな人と一晩同じベッドで眠って、目が覚めたらぽやっとした優しい顔をしている類の顔が目の前に飛び込んできて三琴は気絶しそうだった。
しかも寝起きなので元々低い声が掠れていて、高校2年生とは思えないほどセクシーだ。
『寝起きの三琴さん、ぽやぽやしてて可愛すぎ……このままキスしたい』
朝から胸焼けしそうなほど甘い声が頭の中に響く。
類の好きな人が三琴だと分かった途端、彼の心の声がチョコレートや生クリームのようにどろどろと甘ったるくてむせ返りそうだ。
昨晩から三琴の名前を心の中で呼ぶようになった類は、今までの過激な妄想プラス三琴をとろとろに甘やかしたいという欲にまみれている。
ずっと好きだった彼から告白されたのに、なぜか返事をするタイミングを与えられなかったので、いつまで耐えたらいいものか。
類は三琴は全く彼に対して好意を抱いていないと思っているのか、三琴をどう攻略していこうか頭の中でプランを立てている。
そのプランの最初は――
「三琴さん、お腹空きません?」
「え?」
「もしよかったら僕が作ります。いつも作ってもらってるので」
「類くん、料理できるの?」
「こう見えても、一応は。うちの親も忙しい人たちなんで、昔から自分で作ることが多かったんですよ」
「そうなんだ、知らなかった……」
確かにいつも三琴が料理をしていたら、ちょこちょこっと隣にやってきて『何か手伝いますか?』といつも言ってくれていた。
料理ができるなら手伝ってもらったらよかったなと後悔したけれど、それでも新しい類の一面を知られて嬉しかった。
「実は二人とも海外赴任中なんです」
「そうなの!?じゃあ今は一人で暮らしてるってこと?」
「です。僕が高校に入学してすぐ海外赴任が決まって……さすがに、努力して入った学校をすぐ辞めたくなかったので、一人暮らしって感じに」
「大変だね……」
「定期的にどっちか帰ってきますし、一人のほうが楽なので」
「でも、寂しくない?」
三琴たちの両親は仕事もプライベートも忙しいから、絢斗が高校生になった頃からよく二人で週末旅行に出かけたり、平日はひたすら仕事に明け暮れている。
でも、基本的に帰ってくるのはこの家だし、全く会わないという日はないのだ。
類の家庭はそれとは違って二人とも海外にいるということは、定期的に帰ってくると言っても結構期間は空いてしまうだろう。
高校生と言われれば類は大人っぽいけれど、まだ高校生の彼が一人で暮らしているなんて、三琴は自分が高校生の頃では考えられなかった。
もし三琴たちが類と同じ状況になったら、三琴には絢斗がいるから両親がいなくてもやっていけたかもしれないが、彼は一人っ子。一人で家にいるのは寂しいだろうなと勝手に想像してしまった。
「……寂しいって言ったら、三琴さんが来てくれますか?」
「へ……」
「一人じゃ寂しいです、三琴さん。だから僕の家、来てください」
「んな……っ!」
ど、どこでそんな口説き文句を習うんだ!?
絢斗もいつの間にかお泊まりするほど仲がいい恋人がいるようだし、今時の高校生は本当に大人っぽい……。
これが類と同い年の男女が相手なら一瞬で落ちてしまうだろう。
三琴は類を好きだと言えど、今まで散々過激な妄想を聞いていたので少しばかり耐性ができていたのか、気絶することはなかったのでよく頑張っているほうだ。
「お、大人をからかっちゃいけません……!」
「からかってないですよ。本気で、三琴さんに来てほしいです……寂しいから」
「なんか、全然寂しくなさそうに見えるけど!?」
「それは、今は三琴さんが一緒にいてくれてるからです」
こつん、額を触れ合わせて甘えたような視線を向けられると、三琴の胸はきゅうっと甘く締め付けられた。
「(か、かっこいいのに可愛いの、ずるい……!)」
類は好きな人にはそんな顔を見せるのかと思ったら、自分が特別なのかもと舞い上がってしまう。
ないはずの母性本能がくすぐられ、年下の可愛い男の子を養いたい!と変なことを思ってしまった。
「三琴さんがうちに来てくれたら、やりたいことがあるんです」
「やりたいこと?」
「僕が三琴さんに夕飯を作って一緒に食べたいです。あとは映画を見たりゲームして、なんでもない話とか……三琴さんの話を聞きたい。それで、あわよくばキスしたり」
「ちょ、ちょっと!最後めちゃくちゃ欲望がダダ漏れだったけど!」
「許してください。健全な高校生ですから、僕」
腰を引き寄せられてもっと密着したときに感じた『それ』に、三琴は体が火照るのを感じた。
そんな三琴を見て類が目を細めて笑っていて、あまりの恥ずかしさに三琴は年上の威厳なんて関係なく思わず俯いてしまった。
「僕と付き合ったらものすごく大切にして、もういいって言われるくらい甘やかして、僕なしじゃ生きていけないくらい、三琴さんを愛してあげる」
だから僕に堕ちて、三琴さん。
類の素直な声と気持ちが同時に聞こえてきて、三琴の頭はもうキャパオーバーだった。
「おおおお腹!お腹すいたな、俺っ!」
「ふふ、そうですか。じゃあ作りますね」
類には三琴の心の声が聞こえなくても、きっと三琴が動揺したのはバレバレだ。
類はくすくす小さく笑いながらベッドから立ち上がり、それに三琴も続いて着替えなどを済ませた。
「三琴さん、座っててください」
「いや、でも……なにか手伝うよ?」
「あはは、いつもと逆ですね。僕の気持ち分かりました?」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
夕凪家のキッチンで類が料理をしている姿を見るのは初めてで新鮮だった。それゆえ、何か不自由なことはないかと案じて隣に立っていたのだが、柔らかく笑う類に大丈夫だと言われてしまった。
自分の家なのに類から『座ってて』と言われ、彼が作ってくれる朝食を待つ時間にそわそわしてしまう。
テレビを見るふりをしてキッチンにいる類を盗み見たら彼は慣れた手つきで料理をしていて、その姿にまたきゅんとした。
「……そんなに心配ですか?」
「えっ」
「そんな怖い顔で監視しなくても、何も壊さないですって」
「いや、そんな心配はしてないけど……」
大学生にもなって好きな人が料理している姿にきゅんとしていたなんて、なんだか恥ずかしくて自分の気持ちを隠すのに必死だった。
両想いだと分かったから別に気持ちを隠さなくてもいいのだけれど、類に翻弄されてばかりじゃ面白くない。
まだわずかに残っている三琴の年上としてのプライドが邪魔をして、少し意地を張ってしまうのだ。
「キッチンと材料、使わせてもらってありがとうございます。簡単なものだけなんですけど……三琴さんのお口に合えば嬉しいです」
「うっわ、うちにあるものでこんなおしゃれな朝食作れたの!?」
普段あまり使わない大きめな皿にワンプレートでおしゃれな朝食が盛り付けられていた。
プレートにはミニサラダとヨーグルト、目玉焼きとベーコン、それにサンドイッチまで乗っている。そして三琴好みの甘めのコーヒーまで淹れてくれた。
こんなにおしゃれな朝食はホテルでしか食べたことがない。類が泊まった翌朝でもトーストとスクランブルエッグとコーヒーなんていう、なんとも手抜きな朝食を出していた。
きっと今まで、類は自分が作ったほうがマシだと思っていただろう。
「ちなみに、今日は特別仕様なだけなんで」
「え?」
「三琴さんに作る朝食だからちょっと見栄えよくしただけで、普段は全然こだわってないですから。って、こんなこと普通言っちゃいけないですよね」
朝から何度きゅんとしたらいいのか、苦笑する類の顔にまた胸が締め付けられた。
『今日は特別』たったそれだけの言葉に、頬が緩むのが分かった。
「あ!なんで俺が半熟派だって知ってるの?」
「なんでって、ずっと見てたからです。僕が泊まった日の翌朝、出してくれる朝食をいつも見てました」
「そ、それはなんか恥ずかしい……」
「あはっ、すみません。好きな人のことは色々知りたいタイプなんです」
「そ、なんだ……」
類は好きな人のことはなんでも知りたいタイプだし、落とすと決めた人に対してはストレートに気持ちを伝えるタイプらしい。
せっかく作ってくれた朝食は、類がニコニコしながらずっと見つめてくるので、半分以上味がしなかった。
「そういえば、昨日絢斗って何時くらいに出て行ったの?」
「あ〜…三琴さんが帰ってくるちょっと前ですかね」
「そっか……絢斗に付き合ってる人がいるって全然知らなかったなぁ……」
「三琴さんにバレたらうるさいからって言ってましたよ」
「えぇ?そんなにうるさく言った覚えないけど……」
「確か三琴さんと同い年だから、反対されそうって」
「俺と同い年!?あいつ、大学生と付き合うなんて生意気な」
「そう言われるだろうからって、絢斗も」
「兄弟だから思考を読まれてたのか……」
別に年上と付き合っているからと言って別れろと言うつもりはないけれど、絢斗のくせに生意気なとは言うだろう。
一体どんな大学生美女に落とされたのか分からないが、どちらにしてもやはり面倒ごとに巻き込まれないのを願うばかりだ。
「絢斗なら大丈夫だと思いますよ。半年何事もなく上手くいってるみたいですし」
「そっか、半年続いてるならまぁ……」
「それに、三琴さんは絢斗じゃなくて自分のことを考えてくださいよ」
「んぇ?」
自分のこと?と思いながら類を見ると、唇の端についたソースをぐいっと指で拭われる。
そしてあろうことか親指で拭ったソースを類はぺろりと舐め取って、妖しい笑みを向けた。
「………僕のこと、好きになりました?」
そんなふうに聞かれて、ごくりと唾を飲み込んだ。
「た、った一晩、なのに……」
「でも、出会って何年も経ちます」
「それはそう、だけど……」
「僕は三琴さんと初めて会った時から好きでした。でも三琴さんは普通に恋人とかいて……」
「待って、なんで俺に恋人がいたこと知ってるの?」
「三琴さんが男性とホテルに入っていくの、見たことあるんで」
「……っ!?」
まさかそんなところを見られていたなんて思っていなかった。
ホテルを使うときは十分場所に注意していたのに、よりによって類に見られているなんて。
恋愛対象が同性だとバレるのはいいけれど、ホテルなんて生々しいところは見られたくなかった。
「三琴さんのことが好きだったから、恋愛対象が同性なんだなと知って正直舞い上がりました。でも、三琴さんがそういうことしてるんだなって思ったら……」
『三琴さんでもそういう欲求があるんだなって、めちゃくちゃ興奮した』
引かれたと思っていたけれど、予想に反して類はそんな三琴に興奮していたらしい。
それと同時に、やっぱりあの過激な妄想は彼の本心なのだなと思うと。三琴の体にぞくりと興奮が走った。
「なんとなく、三琴さんってそういうことに興味なさそうだなって思ってたんです。なんか、そういう匂いがしないっていうか」
「な、なにそれ……」
「でも男とホテルに入るあなたを見て、すごく興奮しました。綺麗だと思ってた三琴さんにも、そういう生々しい部分があるんだなって。そう思ったら……三琴さんに触れたくてたまらなくなったんです」
類が三琴の指先に触れ、やがて二人の指が絡まった。
類は指の股をゆっくり撫でて、挑発的な視線を向けて口元には笑みを浮かべている。
知れば知るほど高校生には見えないほどの色気と、優しいだけではない強引さ。
一体いくついろんな顔を見せれば気が済むのか。この感情を『恋は盲目』と言うのだろうけれど、類のどんな一面を見ても嫌いにはならないだろうなと自分の心に呆れてしまった。
「今度、うちに来てくれませんか?」
「類くんの家に……?」
「はい。うちならゆっくり話せるので」
『いいって言ってほしい。一緒にいたい……』
心の声が聞こえるというのは、本当に厄介だ。
何より、類はずるい。優しかったり強引だったり、意外と駆け引きが上手いことを知った。心の声で全部聞こえてしまうのだけれど、それを知らなければ三琴以外も、それこそ女の子だって簡単に落ちてしまうだろう。
一人で寂しいから家に来てほしいとか、ゆっくり話したいから来てほしいとか、そういうふうに甘えるところは年下の愛嬌があるなと思う。
普段は男前でかっこいい類に甘えられたら、そのギャップに誰でもは誰も逆らえない。
「いい、よ……」
「え、ほ、本当ですか!?やった、嬉しいです!」
ばかばか、俺のばか。
すぐ絆されて、まんまと家に行くことを決めてしまった。
好きな人の家にお邪魔できるチャンスは普通の人なら手放しで喜ぶだろうけれど、三琴はあることを思い出したのだ。
『ほっせぇ腰……男とは思えないぷりぷりなお尻…やっば…今日のオカズにしよ……』
というような、類の過激な心の声を思い出した。
彼は度々『好きな人』にどんなことをしたいのか想像していることがあり、それが結構えげつないのだ。
今までの恋人からもそんなことを言われたことはなかったし、むしろそういう行為が苦手だった三琴は歴代の恋人たちから『思ってたより淡白だし受け身すぎて面白くない』と言われてから少しコンプレックスを抱いている。
だからもしも類とそういう雰囲気になったときに、幻滅されないか不安だ。
「(………いや!高校生相手になにを考えてるんだ俺は!)」
もしもそういう雰囲気になったら、年上で大人である自分が諭さないといけないのに。
なぜ類と『そういうここと』をする前提で考えてしまったのだろうか。
「や、やっぱりさ、あの……!」
この話はなかったことに!
と言おうとしたとき、タイミングがいいのか悪いのか、絢斗が帰ってきたのでこの話はそのまま『約束』になった。
その『約束』を三琴から言い出さないといけないのか、類のほうから言ってくれるのかソワソワしていたらあっという間に二週間が経ってしまった。
「はぁ……女子高生か俺は……」
「店員さん、ため息ばーっかりついてるよ、さっきから」
「店員さんは今日はお休みです……」
「なんだそりゃ」
三琴がバイトをしているカフェに勉強をしにきていた旭にコーヒーのおかわりを注ぎにいくと、店員のくせに暗いとお叱りを受けた。
たかが二週間、類から何も言われなかっただけだ。
あの『約束』がどうなっているか普通は年上である三琴が聞いたほうがいいと思うけれど、もし冗談だったら本気にしていると笑われるのも嫌だし、逆に心待ちにしていると笑われるのも恥ずかしい。
しかも先週、類は珍しく夕凪家に遊びに来なかった。
あんなことがあった翌週だから、類とどんな顔をして会えばいいのか分からなかったからドキドキしていたけれど、緊張するだけ無駄だったようだ。
そして驚くべきことに、三琴と類は連絡先の交換をしていない。
『約束』をちゃんと『約束』として日にちを決めるのは困難だったのだ。だから尚更、類が夕凪家に来てくれないと全くと言っていいほど交流がないのである。
こういうとき、同級生であり親友の絢斗が心底羨ましい。いつでも好きなときに類と話ができたり、メッセージを送れたりするのだから。
「あ、三琴さん!」
類を求めすぎて、とうとう幻聴まで――
そう思いながらレジに立つと、そこには本当に制服を着た類と絢斗がいたのだ。
「三琴さんのバイト先、絢斗から聞きました。押しかけてすみません」
「いや、そんな……来てくれてありがとう。嬉しいよ」
心の準備ができていなかったので、突然現れた類の姿に心の中は狂喜乱舞だった。
それを表に出さないようにするのが大変で、極めて平静を装ったがバレていないだろうか。
「あの、三琴さん」
「うん?」
「バイトのあとって、時間ありますか?」
「バイトのあと?うん、あとは帰るだけだけど……」
「じゃあ、この前の"約束"……いきなりですけど、今日じゃダメですか?」
「え……っ!」
まさかの申し出に思わず心臓が大きく跳ねる。
ずっと待ち焦がれていた類との約束が突然やってくるなんて予想していなかったけれど、突然の申し出で困るという感情よりも嬉しいという感情が勝った。
「嬉しいけど、でも、絢斗が……」
「絢斗、今日も恋人のところに泊まりに行きたいそうです」
「……俺にも一言あっていいのに…」
「実は僕も今日学校で言われたんです。だから思い切って三琴さんを誘ってみようと思って」
「そ、そっか……!そういうことなら、うん……お邪魔させてもらおうかな」
「やった!連絡先を知らなかったので、どうやって誘おうか悩んでて。来てよかったです」
やはり類も同じことを考えていたらしい。
今は仕事中だからスマホを出して連絡先を交換することはできないけれど、バイトが終わる頃に類が迎えにきてくれることで話がまとまった。
類が来てくれたあとから三琴は別人のようにバリバリ仕事をこなし、まだ帰っていなかった旭から「なにがお前をそんなに変えたんだ……?」と驚いていたのは言うまでもない。
「店長、あの……ケーキを買って帰ってもいいですか?」
「もちろん。支払いはいいから、好きなものを持って帰って」
「いいんですか?」
「三琴くんのおかげで店が儲かってるからね。ボーナスボーナス」
「?」
確かにいつも三琴がバイトに入るときは鬼のように忙しい。特に女性客に人気のカフェだし、なによりケーキが絶品なので人気店なのも分かる。
だから店長の言う『三琴くんのおかげ』の意味がわからなくて首を捻ると、店長は苦笑しながら三琴の肩をぽんぽん叩いた。
「類くん、喜んでくれるかな……」
時々ケーキを持って帰ってくると、類はいつもチョコケーキを食べているイメージがあるので、チョコケーキとショートケーキを一つずつ持って帰ることにした。
なんせ家にお邪魔する話が急に決まったことなので、手土産といったらケーキしか思いつかなかったのだ。
今すぐ用意できるのがケーキしかなかったけれど、類の顔を思い浮かべながら選んだものなので真心だけは目一杯込めている。
「……今日、類くんに告白しよう」
これ以上の駆け引きはもういらない。
ただ、類の気持ちと同じだけの気持ちを返したい。
そう思いながら、三琴はこれから過ごす類との時間に思いを馳せた。