2.祈る
類とはかなり距離を取ったり、壁やドアを隔てたら彼の心の声が聞こえなくなるので、類と離れている間は心の平穏が戻ってくる。
家を出てからやっと類の心の声が聞こえなくなって、早めに飲み会会場の居酒屋に着いてからの三琴はテーブルに突っ伏してため息をついた。
「(今頃二人は……)」
類に対して「頑張れ」と言ってきたにもかかわらず実際に二人が今なにをしているのかと想像したら、まだお酒も飲んでいないのに頭痛に襲われた。
好きな人の心の声が聞こえるというのは、ものすごくストレスである。
類は相手の名前を呼ばないので憶測でしかないのだが、自分の弟を好きなのかと思うと、二人はお似合いだと思いつつ結構なストレスになっているのだ。二人に挟まれている自分はどういう立ち位置でいたらいいのか、非常に困ってしまうから。
「はぁ、しんどい……」
「どうした、三琴。またえらく疲れてんじゃん」
「ん~……」
三琴と同じく早めに会場に着いた友人の夜久旭が、テーブルに突っ伏している三琴の頭をぽんぽん撫でる。
今日の飲み会は、最近疲れきっている三琴を心配してくれた旭が計画してくれたのだ。
「今なら酒飲まなくても匂いだけで酔えそう……」
「大丈夫か?疲れてるというより、具合が悪いんじゃねーの?」
「ううん、具合は悪くないんだけどさ……」
疲れている三琴の頭をくしゃくしゃっと撫でて「そういえば、今日はマシな服着てるじゃん」と指摘された。
「絢斗が貸してくれた」
「さすが絢斗くん。三琴の素材を活かしたいいコーデ」
「絢斗がコーデを組んでくれたわけじゃないけどね……」
「あ、そうなの?もしかして友達の類くん?」
「そ〜…」
「へぇ!やっぱりセンスがいい子同士友達になるんだな」
類は友を呼ぶ、ということわざ通りである。
二人とも高身長のイケメンで、普段は制服だが私服のセンスも似通っていて二人が並んでいると雑誌の切り抜きみたいにおしゃれなのだ。
やっぱり、結ばれる人というのは神様から決められているのだろう。
そう思うくらい、絢斗と類はお似合いなカップルになる(もしかしたら、もうカップルかもしれないが)だろうなと、兄の目から見ても思うくらいだ。
「どうせ俺はおしゃれでもないし、可愛くもないし、イケメンでもないし、お尻もぷりぷりじゃないですよ……」
「え?お尻がなんて?」
「なんでもなぁい……」
楽しい飲み会が始まるはずなのに、最近色んなことを考えすぎてため息しか出てこない。
根気強く慰めてくれる旭には申し訳ないけれど、このヘンテコな能力がどうにかなってくれないと、三琴の心の平穏は戻ってこないのだ。
「もしかして、例の好きな人と何かあったのか?」
「あったと言えばあったし、ないと言えばない……」
「なんだそりゃ」
「うー…だって、そうとしか言えないんだもん……」
なにかあったかと問われると、体を触られたり類の目の前で着替えをしたこと。
なにもなかったというのは、彼が相変わらず絢斗を好きだったこと。
旭は三琴が弟の親友である類を好きなのも、好きな人の声が聞こえるようになったのも知らない。三琴が事情をを話さないから、なぜか最近疲弊していると心配してくれているのだ。
「たとえばさぁ……旭はもし、好きな人の心の声が聞こえるようになったらどうする?」
「そりゃまた突拍子もない例え話だな。好きな人の心の声かぁ…聞きたいとは思わないけど、自分がどう思われてるのか気にはなるかも」
「もしそれで、好きな人に好きな人がいるって分かったら?」
「んー…俺なら告白するかな」
「えー、なんでぇ…?傷つくだけじゃん、そんなの……」
「でもさ、それが分かったところで好きな気持ちがなくなるわけじゃないじゃん?それならいっそのこと、真正面から言って玉砕したほうが吹っ切れるかなって」
旭の言う通り、心の声が聞こえたとしても好きな気持ちはすぐになくなるわけじゃない。でも好きな人に好きな人がいると知って、それだけでも傷ついているのに、告白までして傷つくなんて三琴には考えられなかった。
ドMじゃあるまいし、何度も何度も自ら傷つきにいく勇気は三琴にはない。
もしも三琴が告白したのがきっかけで、類が夕凪家に来ることがなくなったら――
もしも類と絢斗の友達関係まで崩れるようなことがあったら――
そう考えると、容易には行動できないのである。
「傷ついたとしても、俺が前に進むために必要なことだからだな。いつまでもその人だけ見てるわけにはいかないし……」
「そっか、そうだよねぇ……」
「まぁ、振られたら慰めてやるから」
「振られる前提で話するなよぉ……」
「え、だって相手には好きな人がいるんだろ?じゃー振られるじゃん」
「旭のいじわるッ!」
「あはは!ごめんって。振られたら次の恋!合コンセッティングしてやるからさ」
ちなみに旭は高校時代からの友達で、三琴の恋愛対象が同性なのは知っている。
実は高校時代、他校の男子と付き合っていたことがあった。気を付けていたつもりだったけれど、手を繋いで歩いているのを旭に見られたのだ。
それで泣きながらカミングアウトしたら旭はケロッとして「大丈夫、俺も!」と、太陽のような眩しい笑顔を見せてくれた時は安心して失神するかと思った。
それ以来、三琴と旭はなんでも話せる友達なのだが、今回ばかりは好きな人が誰なのかも、心の声が聞こえるようになったことも話していない。
人に話したところでこの能力が消えるわけでもあるまいし、頭がおかしくなったと思われたくなかった。いつかこの能力が自然消滅するまで、三琴は一人でこの虚しさと向き合わなければならないのだ。
「三琴くん、最近なんか元気ないんだって?」
「私らが慰めてあげよっかー?」
「うう、らいじょーぶれす……」
「呂律回ってないのかわいー!」
「三琴くんって意外とお酒弱いよねぇ」
「よわくない、つよくないらけれす……」
「あはは、それって一緒なんだよ〜!」
飲み会が始まるといつもよりもハイペースでお酒が進んだ三琴は、普段ならあまり飲まないビールの3杯目を注文しようとしたところで旭に止められた。
「はいはい、ごめんね〜!三琴、こうなったらすぐ寝ちゃうお子ちゃまだから!こっちで引き取りまーす!」
「そう言ってぇ、旭くんが三琴くんに手出してるとかないよね?」
「ないない、こいつ全然タイプじゃないから」
「ぜんぜんタイプじゃないって、なんら!どーせおれはお尻もぷりぷりじゃないし、かわいくないですよっ!」
「お尻……?」
「ごめんごめん、なんでもないでーす!ほら三琴、タクシー呼んだから今日はもう帰ろうな?」
「いやら!まだ飲むんらー!」
「うん、帰ろう帰ろう」
旭から無理やりタクシーに乗せられ、家までの道のりで輝いている街の明かりをぼんやり眺めていた。そしてタクシーの運転手から「お客さん、着きましたよ」と言われてハッとしたのだが、家に帰ってきてしまったのだ。
「やっば……」
タクシーを引き止めておくわけにもいかないのでお金を払い、酔いが覚めた三琴は家の前で立ちすくんでしまう。
時計を見ると深夜の1時になっていて、リビングにも絢斗の部屋にも明かりはついていない。ついているといえば、家の明かりは玄関の外灯だけだった。
「もしかして類くんが……いや、ないない。都合のいい夢見すぎ!」
『ちゃんと帰ってきてくださいね』
家を出る前に類から言われた言葉を思い出す。
もしかして玄関の外灯をつけっぱなしにしてくれたのは類の気遣いかもと思いつつ、そんな都合がいい話あるわけがないとぷるぷる頭を横に振った。
「た、ただい、まぁ……」
一応、小さな声でそう言ってみたけれど、家の中は真っ暗でシンと静まり返っていた。
今のところ絢斗の可愛らしい声は聞こえないし、ベッドがひどく軋む音も聞こえてこないことに、三琴は思わずほっと胸を撫で下ろす。
二人とも眠っているかもしれないと思い、物音を立てないように家の中に入った。三琴の部屋は絢斗と同じ2階にあるが、シャワーを浴びたらリビングで眠ることに決め、浴室へゆっくりと足を進めた。
「はぁ〜……!旭の家に泊まらせてもらえばよかった……」
旭は何も知らないので、三琴のためを思ってタクシーを呼んでくれた彼には感謝しないといけない。
途中で気がついて適当なビジネスホテルに泊まればよかったなと後悔しても、帰ってきてしまったものはどうしようもない。
「さっさと済ませよう……」
音を立てないようにシャワーを浴びるのは難しいけれど、物音に気づいて起きてくる前になんとか済ませなければ。
べろべろに酔っ払っていたはずなのにこの状況に頭が冴え渡っている三琴は、今なら忍者になれるかもというほど静かにシャワーを浴びた。
「着替えて移動したらこっちのもん……!」
浴室に着替えがあって助かった。
シャワーを浴び終えればこっちのものだとルンルン気分で体を拭いていると、鍵を閉めるのを忘れていたドアがガチャリと開いた。
「あれっ、えっ、三琴さ……!?」
そんな声が聞こえて振り向くと、そこには顔を真っ赤にした類が立っていたのだ。
「わ、わぁっ!?るるるる類くん!?」
「いや、えっと、あの……っ!わ、わざとじゃなくて……!」
『やべぇ、えっっろ……!!!!』
類は裸の三琴を見て顔を真っ赤に染め上げ、唇を噛み締めていた。そして、三琴の頭の中に怒涛の声が流れ込んできたのだ。
『湯上がりで火照った肌とかやばすぎる…ッ!酒入ってぽやぽやしてんのたまんねぇ…でも女の人も来てたんだよな…その人たちにも見せたんならショック。なんで僕、高校生なんだろ。あーでもまじで…ほっせぇ腰掴んで後ろから…ネタ用に目に焼き付けよう。つーか首も鎖骨も濡れててえっろ。キスマークと歯型だらけにしてやりてぇ。あーまじで好きすぎる。大好き。はぁ、キスしたい。三琴さんの恋人なら、いくらでもできるのにな……。僕はしちゃダメなんだよな……』
頭の中に流れ込んできた『類の心の声』を整理すると、つまり、彼の好きな人は――
「……えぇっ、俺!?」
「な、なにがですか!?」
類の『好きな人』が三琴自身だと気がついて思わず声を上げてしまった。
そんなまさか、そんなわけない!
類は絢斗のことが好きなはずで――!
そんなことを思っていても、前だけをタオルで隠している状態の三琴を見て『い、いつまで見てていいのかな……めっちゃ嬉しいし興奮するんだけど……』という類の声が容赦無く流れ込んでくる。
三琴は何も言えずに口をぱくぱくさせ、顔を真っ赤に染め上げている様子に類は不思議そうな顔をしていた。
「(いや、いやいや!その顔するのは俺のほうなの!)」
類は今、シャワー後の三琴の裸体を見てものすごい妄想をしていたのだ。
今日は三琴を始め、夕凪家の両親もいない絶好のイチャイチャチャンスタイムだろうと思い、類の背中を押すかのように家を出たのに。
まさかずっと三琴が勘違いをしていて、類は最初から絢斗のことを好きじゃなかったということか――!?
「三琴さん、大丈夫ですか?酔ってるとか……?」
「いや、だ、大丈夫!何でもないから!」
ワンチャン、気のせいということもある。
気のせいだと思いたいが類を直視できなくて後ろを向き、震える手で急いで体を拭いた。
早くここから逃げ出さないと、もう心臓がもたない。今すぐにでも口から心臓が飛び出してきそうで、この空間に耐えられそうになかった。
「あれ、三琴さん。ここにアザが……」
「んひゃっ」
「!」
多分、大体の人が弱いであろう脇腹。
そこに類の指が触れて、思わず声を上げてしまった。先日転倒した時にできたアザだろうが、そんなところを怪我しているのは知らなかったので本当に不意打ちだったのだ。
それにしても変な声が出てしまい、パッと口元を手で覆った。
『い、今の声、なに…びびった…!いや、いきなり触られたらびっくりするか…でもでも、めっちゃ可愛い声だったし…もしかして意識されてるとか……?』
「三琴さん、本当に大丈夫ですか?どこか他に怪我してるとか……」
「あ、ま、待って!今こっち見ないで……っ」
鏡を見なくても自分の顔が真っ赤になっているのが分かる。
素っ裸のまま、自分のことを『そういう目』で見ている類と二人きりの空間はとても異常だ。すぐにここから逃げ出さないといけなかったのに、後ろから顔を覗き込んできた類がごくりと唾を飲むのが分かった。
そんな彼と目が合った瞬間、三琴の細い腕は類に掴まれた。
「る、るいくん、着替えさせて……」
「……後ろ、まだ濡れてるから手伝いますよ」
「え、ちょ……っ!」
三琴が持っていたバスタオルを奪い取り、類はするりと背中を拭いていく。タオル越しに彼の手の体温や感触が伝わってきて、頭がおかしくなりそうだった。
「(こんなところ、絢斗に見られたらどうしよう……!)」
兄さんのバカ!とか、兄さんなんて嫌い!とか、そんなことを言われるかもしれない。絢斗の好きな人をとるようなことはしないけれど、こんなところを見られたら絶対に誤解されてしまう。
「ね、あの、類くん……!そんな、悪いから……っ」
「大丈夫です。三琴さんに風邪ひかせるわけにはいかないので」
「いや、だからって……!な、なにか用事があって来たんじゃないの!?」
「トイレと間違って入ってきちゃっただけです」
「(間違ったって、何年うちに来てるんだよ!)」
そんな間違いあるかなと思いつつ、でもあまりにもこの状況がおかしすぎて体が石になってしまったように動けない。
三琴は小さく震えながら、類にされるがまま体を拭かれることしかできなかった。
『め…っちゃ、綺麗……。ていうか興奮しすぎてやり方強引だったな、引かれるかも……。ああ、でも、好きだな、マジでマジで大好き。今すぐ抱きしめたい、直に触りたい…。三琴さんも、僕を好きならいいのに……』
そんな甘い言葉に、文字通り腰が砕けてしまった。
立っていられなくなってふらついた三琴の体を、後ろにいた類が抱き留める。彼の逞しい腕に支えられて、改めてドキッとした。
しかも類の心の声にも心臓がどくどくと激しく脈打つ。今すぐ返事をしてしまいたいけれど、実際に告白されたわけじゃないから『俺も好き』なんて言えないことに気がついた。
「本当に大丈夫ですか!?」
「きょ、今日はちょっと飲みすぎた、かも……」
「……いつもふらふらになるくらい、飲むんですか?女の人もいるって聞いた、し……」
「普段はそんなことないけど、今日はお酒が進じゃって……」
腰が抜けたのは類くんのせいだよ、と言えるわけもなく。
ふらふらになりながら三琴は類の腕を逃れ、やっとの思いで下着とパジャマを身につけた。
「じゃ、じゃあ俺はもう寝るから……!絢斗が起きる前に、類くんも部屋に戻ってね!」
「あ、待って三琴さん!」
浴室から逃げ出そうとした三琴の細い腕が類に掴まれ、再び心臓がどきりと跳ねる。
恐る恐る類を見ると彼は眉間に皺を寄せ、思い詰めたような難しい顔をしていた。そして類の心の声が『もう言ってしまおう』と言っていたのだ。
「三琴さんの部屋、行ってもいいですか?」
「へっ、な、なんで……?」
「三琴さんと話したいというか……だめ、ですか?」
類は大きな瞳をきゅるんと潤ませて、可愛い顔でお願いされる。イケメンのこんな顔は破壊力が高すぎて「ダメです!」とは言いにくかった。
好きな人の好きな人が自分だと分かって頭がおかしくなっているのかもしれない。部屋に行きたいと言われるなんて、やっぱり夢を見ているんじゃないだろうか。
『やっぱダメ、かな……急すぎた?きもいって引かれてる?あ〜、もうちょい上手い言い訳……こういうとこ、子供っぽいって思われてるだろうな、大学生からしたら……』
け、健気、だなぁ……。
そう思うと無性に類のことが愛おしくて、好きのゲージが限界突破しそうだった。
だからこれは、全部全部、恋のせいなのだ。
「い、いい、よ……」
「え!本当ですか?」
「あ、で、でも、ちょっと片付けるから待っててくれる?」
「もちろんですっ」
類にそう言って、三琴は小走りに自分の部屋へ駆け込んだ。
床に散らかっている服をクローゼットの中へ押し込んで、朝起きたままぐちゃぐちゃになっているベッドを綺麗にして、今更意味はないかもしれないけれど消臭スプレーをかなり振りかけた。
「類くん、どうぞ〜…」
「ありがとうございます!」
向かいの部屋に絢斗がいるので小声で呼ぶと、部屋の前で待っていた類はパッと笑顔になる。そして本当に嬉しそうに三琴の部屋へ入ってきて、物珍しそうにきょろきょろしていた。
『う、わぁ……マジで三琴さんの部屋…なんかめっちゃいい匂いする……』
臭いと言われなくてよかったなと密かに安堵した。
それにしても、これからどうしたらいいものか。とりあえず床に座っているけれど、酔っているのもあって三琴はこっくりこっくり、舟を漕いでしまった。
「三琴さん、眠いですか?」
「…ん?ん〜…だいじょうぶ」
「の割に、めっちゃ目がとろんってしてますよ。酒飲んだんですもんね、酔ってるから尚更……」
「だいじょうぶだよ、類くん……何か俺に用事があったんじゃないの?」
「いや、用事っていうか……」
類の話を真剣に聞こうと思っているのに、三琴の意思とは裏腹に睡魔が襲ってくる。
ぐわんっと視界が揺れたと思うと、次の瞬間、類に抱き止められていた。
「大丈夫ですか!?」
「ほぁ……?」
「テーブルにまた頭強打するところでしたよ!俺が押しかけちゃったから無理させてすみません」
「ちょ、るいく……!」
類はそのまま軽々と三琴の体をお姫様抱っこして、ぼふっとベッドに沈めた。
いつも寝ている自分のベッドなのに、類から見下ろされているだけでここがなんだか特別な空間に思える。
不可抗力とはいえ好きな人に押し倒されているので、酔った思考なのも相待って三琴の心臓はドキドキと忙しなく脈打った。
「あの、三琴さん……」
「う、うん?」
「その…一緒に寝てもいいですか?」
「えぇ!?」
部屋に来たいと言った類にさえ驚いたのに、まさか一緒に寝たいとまで言われるとは思わなかった。
俗にいう『ラッキースケベ』状態になってからぶっ飛ばしすぎじゃないか!?なんて思いつつ、三琴の中の小さい悪魔が悪い笑みを浮かべていた。
『こんなチャンスそうそうない!類は俺のことが好きって分かったんだし、一緒に寝るくらいラッキーじゃん!』
と言っている小さな悪魔の囁きにぐらつきかけたとき、悪魔を止める小さな天使まで現れた。
『ダメだよ三琴!そんな簡単に許したら恋人じゃなくて手軽な友達だと思われちゃうよ!』
た、確かに……天使の言うことも一理ある。
三琴はぐるぐる考え込んでいたが、類があまりにしゅんとした可愛い顔をしながら「ダメ、ですか……?」と言ってくるものだから、負けてしまったのはいうまでもない。
「じゃあ、お邪魔します」
「はい、どーぞ……」
完全なる成り行きで、合法的に好きな人と同じベッドで寝ている――
お互いに好きだと伝えたわけでもないのにとてつもなくおかしい状況だが、今まで勘違いして何年も過ごしてきたのだからこのくらい許されるだろう。
『うっっっわ……!ベッドの中、三琴さんの匂いでいっぱいすぎて、ちょっとヤバいかも……っ』
後ろから抱きしめられる形でベッドに入ると、背中からでも三琴の暴れ狂った鼓動が聞こえてしまうんじゃないだろうか。
その証拠に類の心臓がドキドキと忙しく脈っているのが背中越しに伝わってきて、彼が本当に好きでいてくれることが伝わるようで、あまりの緊張に口から心臓が飛び出してきそうだった。
「あ、あのさ……絢斗が類くんが帰ってこないって怪しむんじゃない……?」
「実は絢斗……いないんですよね」
「え?いないってどういうこと?」
「恋人の家に泊まりに行きました。僕は留守番です」
「は、はぁ!?類くんに留守番させて泊まりに行ったって本当に!?」
衝撃の事実に三琴はぐるりと後ろを振り返って類と顔を見合わせた。
類は変な嘘をつくタイプではないし、本当のことなのだろう。眉を下げながら「すみません、黙っててって言われて……」と言うので、この場にいない絢斗のことで類を問い詰めるのは筋違いだなと冷静になった。
「絢斗って付き合ってる人いたんだ……」
「半年前くらいからですね、確か」
「へぇ、そっか……」
絢斗が別の人と付き合っている間、三琴は弟は類と付き合っていると思って過ごしていたのに。
それならそうと早めに教えてよ……!と思いながら、三琴はため息をつくことしかできなかった。
「でも別に、類くんが留守番しなくてもよかったのに」
「それは、だって……三琴さんが帰ってくるかなと思ったから」
「へ?」
「約束したじゃないですか。どんなに遅くなっても帰ってきてくださいねって……」
なぜかじりじりと、類が近づいてくる。もう額がくっついてしまいそうなくらい近づかれて、唇に類の吐息がかかって火傷しそうで。
それと同時に驚いたのは、彼の大きな手に腰を引き寄せられたのだ。
「る、類くん……っ?」
「僕、三琴さんと二人きりになりたかったんです……」
「ぁ、ま、まって……!」
『好き、好き、ごめんなさい。もう無理、好きなんです』
そんな声が頭の中に響いたかと思うと、避ける間もなく類の熱い唇が重なった。
夢にまで見た類の唇は柔らかくて、触れた唇から全身に甘い熱が広がっていくようだった。ただ、あまりにも驚きすぎて何の反応もできずに固まっていると、熱を孕んだ類の目がじっと見つめてきて、三琴はごくりと唾を飲みこんだ。
三琴が何も言えずにいると、類が自身の唇を舐めながら三琴の唇を見て、腰を引き寄せている彼の手にぐっと力がこもるのが分かる。
もう一度類の顔が近づいてきて、思わずきゅっと目を瞑ると再び彼の唇が重なった。
なぜだか、こういう時に限って心の声が聞こえない。
自分が焦っているからなのか、類の声まで聞く余裕がないのだ。
なんせ、彼から触れるだけではない、キスをされて――
「……っは、三琴さん…」
「る、るい、く……」
「すきです、三琴さん。三琴さんが僕を好きじゃなくても、好きになってもらいます」
「へぁ……?」
「僕は絶対、あなたの恋人になりますから」
心のどこかではまだ、類の好きな人が自分だったらいいのにと思っていたけれど。
彼に『好き』と伝える前に獲物を狩るような目に射抜かれてしまって、三琴は何も言えなかった。
「覚悟してね、三琴さん」
そう言って、彼は濡れた唇をぺろりと舐めた。