魔法の杖、お作りします
──ここは心の拠り所。今日はどんな気持ち?
風が吹くと、カタカタと窓が揺れた。ここを譲り受けたときから、窓の建付けが悪い。日が沈めば気温も下がる。そっとカーテンを閉めて、定位置に戻った。
作業台兼接客のためのカウンターには、整理しかけの素材と、杖を作るための道具が並ぶ。
ここは魔法を使うのに必要な、杖の専門店だ。
杖の土台となる木材を磨いていると、キィと店の扉が鳴いた。
「いらっしゃいませ」
声を掛けながらちらりと視線を向けると、難しい顔をした青年が立っていた。眉間に刻まれた皺は、怒っているとか機嫌が悪いとかではなく、何かを堪えているように見える。
ここに来るお客様は「哀しい」か「嬉しい」か、どちらかの感情を抱いていることが多い。その方が、出来上がりが美しくなるからだ。
表情を見る限り、このお客様は前者だろう。目の下のクマも酷い。
お客様はぐるりと狭い店内を見回すと、ゆっくりとした足取りでこちらに近寄ってきた。
「こちらは感情を昇華して、杖にしてくれる店だと聞いたのですが」
「はい」
短く返事をすると、お客様は躊躇うように顔を背けてから、何かを決心したようにぐっと拳を握りこんだ。
それから肩で息を吸うと、もう一度こちらに顔を向け、ようやく口を開いた。
「私の感情を杖にして頂きたく」
「承りました」
私の即答に、お客様はぴくりと肩を跳ねさせた。この店はそういう店だ。むしろ杖を作ること以外は門前払いである。
「どうぞお掛けください」
カウンターの椅子を勧めると、お客様は羽織っていた外套を脱いで手元で丸めて、顔を強張らせながら浅く腰掛けた。
別に取って食いやしないのに、時々根も葉もない噂で怯えられる。怯えるくらいなら来なければいいのに。
それでも人は、自分ではどうしようもなくなった感情を、上手く消化することができないのだから困ったものだ。
お客様を横目に観察しつつ、入り口の扉横に垂れた紐を引いた。作業はお一人様限定だ。紐が繋がった先、外の札を入店禁止にして、目の前のお客様に集中する。
カウンターの中に戻ると、お客様は未だ居心地悪そうに俯いていた。
「当店ではお客様の感情を引き出して、杖の結晶を生成します。少し変な感覚はあるかもしれませんが、身体に害はありません。よろしいでしょうか」
「はい」
不安そうな表情は隠せていなくても、返事ははっきりとしている。友人とやらから、概要は聞いていそうだと判断した。
「まずは土台からですが、持ち手の木の種類にご希望は?」
「ああ、ええと……お、お勧めはあるでしょうか」
変なお客様だ。魔法を使う者であれば手に馴染んだ素材くらいあるだろうに。
「普段はどんなものを?こだわりがなければ、変えない方が使いやすいと思いますが」
「そうですか…こだわりはないんですけど……」
人によっては今使っているものが気に入らず、何でもいいから変えたいということもある。
「耐久性と高級感があるのは胡桃や桃花心木ですが、少々値が張ります。安価で使いやすいのは松か楢あたりですけど、お好きな色などは」
「何でも……」
お客様はカウンターの木目をじっと見つめながら、ぼそりと呟いた。
何でもいいは時として危険な選択だけれど、この様子なら、木材が気に入らなかったからといって逆上するようなことはないだろう。
「左様ですか。では装飾についてですが、使いたい鉱石や素材についてご要望や、持ち込みの素材があったりは?」
「特に」
その他の要望もない。木材を並べた棚から無難な楢の持ち手を見繕って、カウンターの作業用の布の上に置いた。男性だが細身に見えるので、太すぎないものが良い。
それからカウンターの隅に置いていたランタンに、手を翳して灯りを点す。ゆらりと揺らめく黄色い炎は、人の心を落ち着けるのに効果的だ。
「かしこまりました。それでは結晶生成を始める前に、前払いでお代を頂戴しております」
「ああ、はい。いくらでしょう?」
「三百ガレです」
お客様は懐から革袋を取り出すと、硬貨をカウンターに置いた。
「ちょうどお預かりいたします。それでは、杖にしたい感情についてお伺いします」
ランタンの隣ではほんの少しだけ香を焚く。
哀しみを吐き出すためには、哀しい記憶を掘り起こさねばならない。そうすれば自然と俯き、どんどん気分が落ち込んでしまう。だから、少しでも話しやすくするために、香に魔法をかけてあるのだ。
「経緯の詳細や、関わる固有名詞は仰っていただかなくても問題ありません。杖にしたいのはどのような感情ですか?」
丁寧に、なるべくゆっくりとお客様に語りかける。上着の隠しから、自分の杖を取り出して掲げた。
「……失恋をしました」
お客様はそっと口を開いた。男性にしては高めの声が、狭い店内に滲んでいく。ふわりと漂う言葉を杖に引っ掛けて、糸を紡ぐように手繰り寄せる。
「どうしても結婚したくて、手紙を書いたり、贈り物をしたり……していたんですけど。彼女はいつも、笑顔で受け取ってくれていて」
「その笑顔はさぞ素敵だったんでしょう」
それが時折きらりと光るのは、哀しみだけではないからだ。お相手との記憶は全て、お客様の生きる糧だったことだろう。
「ええ…本当に。花が咲いたみたいに、その場が明るくなって」
くるくると杖の先で宙に円を描くと、言葉は自然に引き出される。
「……でも、俺じゃなかったんです」
──掴んだ。
「彼女には、もっと相応しい人がいて……俺は遊ばれていただけだって、周りは言うんです」
「周りには、あなたの気持ちなんて分かりっこないでしょうに」
ふわりと、お客様の影が揺れた。
持ち手に刻まれるのは、それでも曲がることのない意思を表すような、平行な直線。
「いつか、もしかしたらって……働きかければ変わるかも、しれないから」
その先に伸びるのは、混じり気のない透明な結晶。
「指を咥えてただ見ているだけの人たちとは、違いますものね」
お客様の気持ちに寄り添うような言葉選びを意識して、更に言葉を引き出す。
「そう、俺は、本当に彼女が喜ぶことを探した」
透明に混じり始めた、滲んだ血のような赤は、彼の魔力の色だろうか。
右手で杖を翳しながら、左手でカウンター下の引き出しを探った。意識はカウンター上に向けたまま、手触りで目当ての素材瓶を探り当て、蓋を開けてカウンター上に並べる。
「でも、彼女のことを知らなかったのも確か、なんです……」
「女性は秘密があってこそ美しいとは、よく言ったもので」
ゆっくりと形作られる結晶は、微かな光を帯びている。徐々に姿を現したのは、ギザギザとした花弁を持つ可憐な花だ。
「そんなところも含めて、好き、だったんです」
「ええ、そうなんでしょう」
並べた瓶から差し色に濃紺や深緑を掬いあげ、赤に混ぜれば可憐ながらも引き締まった印象に。
綺麗事だけでは叶わなくても、綺麗な心を汚す必要はない。
「自分の心を、自分で否定する必要はありません」
「そう、ですかね」
「ええ」
生成が終わると光は落ち着き、お客様の前腕ほどの長さの杖となった。
「杖に、カーネーションが咲きましたね」
「カーネーション……?」
楢の持ち手から伸びた感情の結晶は、根本こそ無色だったが、徐々に赤が混じって花弁のような凹凸を成した。
「赤いカーネーションの花言葉は、”純粋な愛”。素敵な恋を、されていらっしゃったんですね」
たとえ周りに貶されても、お客様が大事にしてきた感情だ。そこに嘘偽りはない。
「ありがとう……ございます」
お客様はじっと視線を杖に落としたまま、ぽつぽつと呟いた。その瞳にはじわりと膜が張っている。
「このままでは使いづらいでしょうから、ここに少し手を加えます」
はっきりとした花の形でなくとも、カーネーションは男性が使うには少々可愛らしい。結晶を固定するためにも、補強は必要な作業だ。
自分の杖をしまって、ふうと息を吐いた。
お客様は魂が抜けたように呆けている。そんなに無理やり感情を引っ張り出してはいないはずだが、稀に魔法が強く効きすぎてしまうこともある。
「気分が悪いなどはありませんか?」
「……はい。すみません、少し、驚いてしまって」
お客様は緩く首を振った。
「杖を作られたのは、初めてではないですよね?」
感情から結晶を作るのは確かに珍しい方法だが、杖を作ること自体は何の変哲も無い作業である。
「勿論。ですが、自分の感情がこんなに美しい形になるなんて」
陶然とした溜め息が漏れた。そう言ってもらえると、こちらとしてもやった甲斐があるというものだ。
「人の感情というものは、美しいのですよ」
次の作業を始めようとして、横の棚の瓶に目を移す。
「嫌いな味とかって、あります?」
「……よっぽど甘くなければ」
私の脈絡のない質問に答えながら、お客様は不思議そうに首を傾げた。
「まだ暫くお時間を頂戴いたしますので」
乾燥させた植物の入った瓶の中から、カモミールの絵が描かれたものを手に取った。昨日補充したばかりの新鮮なお茶だ。
中身を二匙ポットに入れて、弱い火にかけていたやかんから湯を注ぐ。ふわりと香る湯気をつい癖で吸い込んだ。少し蒸らしてからカップに淹れた。
「カモミールティーです。どうぞ」
ついでに自分にも淹れて味わう。お客様は恐る恐るカップに口を付け、それからまだ緊張した様子で口を引き結んだ。
「あまり肩に力を入れていると疲れませんか?寛いでいただいて大丈夫ですよ」
そう言いながら、自分の肩の力も抜いた。これから作業をするのに、緊張されるとこちらも力が入ってしまって良くない。
「では、緊張を解すために話しかけても、いいですか?」
「ええ、構いません」
「この店は友人に聞いて知ったのですが、いつからやっているのですか?」
「ちょうど一年くらいになるでしょうか」
お客様が落ち着いたところで、私は作業の再開だ。必要な素材を探すために、壁一面の引き出しを次々に開けていく。固定する金具一つ取っても、色や意匠の組み合わせで完成の雰囲気ががらりと変わるので、できたばかりの杖と見比べながら目当ての部品を取り出した。
「今はそんなに客を取ってはいないのですか?」
「そうですね。一日に何本も作れるわけではないですし、私自身に余裕がないとできないことですから」
魔力にも限界はあるし、集中力だって無限ではない。努力だけではどうにもならないことを知っているので、無暗に客を取ることもない。
「失礼ながら、生活は成り立つのですか?」
「ええ。魔法の杖は一日に作れる数が限られますが、杖用の素材を売ったりもしていて」
材料が揃ったら持ち手と結晶の接合部分に金具を取り付け、綺麗に磨いていく。
「ご友人は何と?」
作業に集中を向けたまま、目だけで様子を伺う。
「ああ、気持ちにけりをつけられるかもしれない場所があると……あまりにも、落ち込んでいたんだと思います。貴女にもお恥ずかしいところをお見せして、すみません」
お客様は袖でごしごしと、雑に涙を拭った。
「そうですか。気持ちを切り替えるのにご利用いただくことは多いです」
見た目のバランスと、持ったときの感覚を確認しながら、のみと金槌で少しずつ結晶を削り形を整える。静かな店内には、コンコンという堅い音が響いた。
「男性の客も来るんですか?」
「ええ。感情は女性の方が豊かと思われがちですが、男性は表に出さないだけなので。意外と男性にこそ必要なことなんじゃないかと、最近は思っています」
結晶がへこんだところ、輪になっているところ、そういう箇所を見つけては、派手にならないように気をつけながら装飾を足していく。
「確かに、感情を可視化していただいたお陰で、踏ん切りを付けられそうです」
感情とどう向き合うかはそれぞれの勝手だが、本人のやりたいように進む助けになるのなら、活用してくれるといい。
「普段はどういった格好をされますか?今日の雰囲気で纏めてしまっても大丈夫ですか?」
「大丈夫です……なんだか使うのが勿体ないですね」
お客様は整っていく杖を見ながら、ふっと表情を緩めた。
「恐らく他で作るよりは、派手になりがちですからね。ただ、結晶の赤色が抜けるまでは、ちゃんとお使いいただけますよ」
次に筆を取って、持ち手に装飾を描き足す。新しく仕入れた金の絵の具がいい感じだ。鈍く光を反射して、控えめな上品さがある。
「感情は移り変わっていくものです。二度と同じ形にはならないので、思い出として集めて飾っていると仰ってくださる方もいます」
持ち手と結晶の境の金具にも、紋様を描いていく。お客様に馴染むように、魔法を使いながら。
「俺も、思い出にできるでしょうか」
「無理にしようとしなくても、いいのではないですか?」
筆を置いてからは仕上げに取り掛かる。再び自分の杖を上着の隠しから取り出して、空に紋を刻んだ。
「その想いに浸りたいときは、あるでしょうから。それを悪だとは、私は思いません」
その紋に杖を通して、装飾を固定させる。
「……そういう考え方もあるんですね」
ぽつりと、誰に言うでもなく、お客様は独り言ちた。
「これで完成です。いかがでしょうか」
「とても、素敵です。感情を引き出されるのは、不思議な感覚でした」
お客様はまじまじと杖を見つめた。その隙に梱包用の箱を取り出し、緩衝材を敷き詰める。
「先程もお伝えしたとおり、結晶の赤が抜けるまでお使いいただけますが、しまうでも飾るでもお好きにどうぞ」
それから完成した杖を持ち上げて、お客様に差し出した。
「一度持ってみます?」
お客様は目を伏せた。
「いえ、帰ってからひっそりと噛み締めます」
「左様ですか。それではお包みしますね」
緩衝材に埋もれた杖は、落ち着いたように箱に詰められた。丁寧に蓋をして、赤いリボンをかける。
「大切にしてあげてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
箱を差し出すと、お客様は大事そうに撫でた。
それから丸めていた外套を羽織り、優しく箱を抱える。
「また、来てもいいでしょうか」
「お待ちしております」
──ここは、心の拠り所。次の来店は、どんな気持ち?
ご覧いただきありがとうございました。
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