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第2話


   *


 式典が終わるまでは、龍の宮での滞在を余儀なくされた。一週間と少し、カグラの死を探るために動くことはできないらしい。龍王の間を出てすぐにリランからそれを聞かされ、サガミは次も行動を考えていた。

「サガミ様、どうされました?」

 部屋への案内役の使用人に聞こえないようにと、キサラギは潜めた声で問いかける。サガミはキサラギに視線を向けなかった。

「……龍の宮には書庫があったよね?」

「ええ、まあ……集められた文献は一般には出回っていないものも多いと聞きます」

「カグラが殺された可能性を調べたい」

「……可能性?」

 何を言い出したのかと、キサラギは思わず眉を寄せた。

「もしも国同士の何かに巻き込まれていたのなら、近隣諸国を調べる必要があると思う。一週間は動けないし、その間に調べられることは調べておきたいの」

「……なるほど」

「遠回りだけど」

 小さく息を吸い込んで、サガミは真剣な眼差しでようやくキサラギを見上げた。

「カグラが王様になって、私はどこかの国に嫁ぐんだって思ってたから、マナーしか学んで来なかった。それだけでいいって言われてた。私はただお行儀良く笑っていたらいいからって、カグラばっかりが勉強してた」

「サガミ様……」

「神剣のこともよく知らない。だから学ぶ必要がある。――協力して、キサラギ」

 サガミが立ち止まると、キサラギも同じように歩みをやめた。

「……仰せのままに」

 キサラギの声音は固い。けれどサガミは気付かないフリをして、少し先を歩く使用人に続く。

 龍の宮は静かだ。使用人も弁えているから、足音一つ響かせない。聞こえているのはサガミの小さな足音だけで、話し声もしなかった。

 キサラギの前を歩くサガミが、不意に頭を揺らす。周囲を伺っているような動きだ。

「サガミ様?」

「……聞こえないの?」

 背後の戸惑いを察したのか、使用人も足を止めた。

「女の人が歌ってる。周りがこんなに静かなのに、この声が聞こえない?」

 キサラギは使用人を見るが、使用人もサガミが何を言っているのか分からないようだった。

「私たちの耳には、何も」

 サガミは尚も周囲に視線を配り、声がする場所を探していた。

 サガミの耳には聞こえている。女が気持ちよさそうに歌っているのだ。その声は、サガミが神剣を継承したあの日に聞こえてきたものと同じである。

「どうして聞こえないの? すぐそばにいる」

「サガミ様、落ち着いて」

「この声なの。この声に誘われて、あの日――」

 直後、サガミの腕に鱗が浮いた。銀の鱗だ。腕を覆ったかと思えば、体にまで侵食する。

「いや! やめて!」

「サガミ様!」

 腰を抜かしたサガミを、キサラギがうまく受け止めた。

「いや! 怖い! 何これ、気持ち悪い!」

 楽しそうな歌が聞こえる。サガミは必死に鱗を剥がすように腕や体を引っ掻いていたけれど、やがて糸が切れたかのように倒れ込んだ。


   *


「まったく、困ったものだ」

 降ってきた言葉と同時に、サガミの双眸が開く。

 ひどく汗をかいていた。肩で息をして、心臓も早く騒がしい。

 夢を見ていた。とても嫌な夢だった。それだけは覚えているけれど、今はもう何も思い出せない。

 深呼吸を繰り返し、ようやく状況を考える。

 サガミは今日、龍の宮に来た。改めてナギに挨拶をして、龍帝王陛下への謁見も済ませた。そして――そしてサガミは、どうなったのだろう。

 起き上がって腕を見る。そこに鱗はない。

「余に久々に会い、銀龍が喜んでいたようだな」

 サガミはソファに寝かされていたらしい。案外近くに居る声の主へと視線を向ければ、広々と置かれた正面のソファに龍帝王が優雅に腰掛けていた。

「し、失礼いたしました! ご無礼を!」

 サガミは慌てて起き上がる。

「獅子の王が近くに居なかったのだから仕方があるまい。――そもそも、銀龍が暴走した原因は余だ。余が鎮めるのが最も効率が良い」

 どうやら龍帝王に会って、サガミの中に居る銀龍が暴走したらしい。歌い出すほど上機嫌だったことを思い出せば、その結論にもうなずける。

(キサラギは……)

 さりげなく室内を確認したが、その姿はどこにもない。

「あの付き人なら別室で待機している。慌てるな。少し休め」

「……はい」

 しかし、この重苦しい空気からは早めに逃れたい。なんとかして理由を探すけれど、とっさには見つけられそうにもなかった。

「……あの付き人は、ずっと貴様とともにあるのか」

 重たい沈黙を裂いたのは、意外にも龍帝王だった。

 なぜ今キサラギのことを聞かれたのか。サガミはひとまず「はい」と短く返事をしたが、龍帝王は「そうか」とどこか嬉しげに微笑むだけで、それ以上に何かを言うことはなかった。

 ふたたび沈黙が過ぎる。やはり気まずい。サガミはなんとか話題を探し、伏せた視線が偶然、龍帝王の足に落ちた。足首にあの輪っかが浮いている。そしてそこにはやはり、不思議な紋様が記されていた。

「それ……」

 思わず口をついて出た。すると龍帝王の視線が、サガミの視線の先へと向かう。

「ああ、これか。気にするな。お守りのようなものだ」

「お守り、ですか」

 龍帝王が目を細める。見極めるような目だ。

「この文字が読めるか?」

「文字? これは模様ではないのですか?」

「なるほど、まだその段階ではないか」

 模様だと思っていたのは、どうやら文字だったようだ。サガミが無知であるから知らないというわけでもないのだろう。きっと、時代の流れの中で消えたどこかの国の文字である。

 龍帝王は読めるのか、少しそれを見下ろしていたが、すぐに目を逸らした。

「銀龍が女を選ぶなど珍しい。余がここに居るのは、貴様に少し興味があったからだ」

「珍しい……?」

「銀龍は雌だ。同じ性の者を選ぶなどこれまでにはなかった。金龍は雄だがあれは活発なやつで、女などにあまり興味がない。毎度、余を護る役は男二人だった」

 感情が乗らない淡々とした声音だ。嘘を言っているようでもない。サガミには龍帝王の真意は探れなかったが、特に機嫌が悪いわけではないらしい。

「久しく聞いていなかった銀龍の歌を聞いて、余は気分が良い。貴様の声も悪くはない。会話を許す。何かを話せ」

 サガミが一人で喋るわけでもないために、話せと言われても何を話せば良いのかは分からないのだが……サガミはひとまず、倒れる前に気になっていたことを思い出す。

「……神剣とは、何ですか」

「唐突だな」

「王になったので、それも深く知らないままではいけないと思っています。一番お詳しいのは陛下ですから、陛下にお聞きしたく」

「なるほど。話せとは言ったが、余に質問をするとは豪胆なものだ。……いいだろう。時間もある」

 龍帝王から流れている太い尻尾が、一度ぶらりと大きく揺れた。

「そもそも神剣とは、人間が持つただの神器だ。天叢雲剣も草薙剣も、所詮は『器』にすぎない。剣は剣だ。龍ではない」

「……ですが今は龍が」

「そうだ。龍が宿っている。――その昔、人間が剣に龍を降ろした。それが始まりだ」

 もう一度、尾が揺れた。

「龍を降ろす……? そんなことができるんですか?」

「面白いことを言う。現に、出来ているではないか」

「そうですが、そうではなくて……陛下はどうして、その神器に降ろされなかったのですか」

 龍の双眸が鋭くサガミを射抜く。それにはつい、サガミの背もピンと伸びた。

「天龍とは龍の長だ。人間にも手出しができなかった」

「私が龍を神剣に宿した人間であれば、一番に長を神剣にと考えます。そうすれば龍がすべて従うからです。言い方を悪くすれば、龍を使役できます。……それに、今この場に陛下がいて、人間の監視下にある状態で『手出しができなかった』とは思えません」

「……なかなか面白い。して、貴様の結論は」

 この世界の共通の認識は、「神剣」には龍が宿っていて、それを二国の王に取り込んで龍帝王陛下を護る役を担う、というものである。誰もがそれを疑っていないし、そうであると信じていた。

(……でも、人間が強制的に『降ろした』のなら……)

 人間が龍を侵略したとしか思えない。龍帝王がとらわれているなら尚更、彼を人質に強制的に金龍と銀龍を神剣に降したのではないだろうか。

「陛下は人質にされているんですか」

 やけに強い声が出た。龍帝王に気にしている様子ない。少しほど間が落ちたが、静寂を裂いたのは龍帝王だった。

「それを知ってどうする。イエスであれノーであれ、貴様の人生には関係のないことだ」

「……もしも史実が嘘をついているのなら、龍はもっと声を上げて自由に、」

「声を上げて逃げ出してどうなる。人は龍を恐れ、追うだろう。戦争でも起こすのか。——龍は負けぬぞ。大勢の人間が死ぬ。この世界は地獄と化す」

 サガミはぎゅうと眉を寄せた。

「……『人は龍を恐れ』? まるで、そうなることが確定しているみたいな言い方ですね。人が龍を恐れたから争い、その中で陛下は人質にされ、金龍と銀龍は神剣に降ろされたということですか?」

 今度は、幾分重たい間が落ちた。龍帝王はゆうに三十秒は黙り込むと、どういう意図か短く息を吐く。

「貴様はなかなか面白い人間だな。裏表がない。腹の奥が空っぽだ。思ったことは口に出す。目的とは離れていても、目の前のことが気になれば探る」

「私は世間知らずで無知なので、今は何事も学ばなければなりません。それこそ、龍と人の正しい歴史も」

「知る必要のない歴史は多くある。貴様は貴様の成すべきことを成せ」

 部屋を出る直前、龍帝王は「また来たら良い。貴様との時間は嫌いではない」とサガミに言葉を残した。そんな誉なことにもサガミはうまく笑えず、軽く会釈をして終わる。胸中は苦い。これもきっと、龍帝王には筒抜けだったのだろう。


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