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かつて平和だった世界へ。名もなき龍より  作者: 長野智
第4章

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第6話

「龍殺しは人類だ。一族に限った話じゃない」

「しかし呪われた一族は存在します。数十年前には、獅子の国にて拷問にかけられた夫婦がいたと聞きますが?」

「彼らは理解者だ。僕はそう聞いた」

 カグラの言葉を最後に、その場には静寂が落ちた。カゾンも訝しげな顔をしている。キサラギにも言葉の意味が分からなかった。

「“龍殺し”とされるアザは確かにとある一族には残されている。だけどそれはただの印であり、龍からすれば“加護”を与えただけだった。……人間が龍に関し無知なように、龍も人間に関して無知だ。だから龍は、自分たちの“加護”が人間にどのような影響を及ぼすのかを知らなかった」


 ——とある龍が居た。龍に群れはない。仲間意識は強いがその意思があるだけで、人間たちのようにずっと共にあるわけでもない。基本的には龍は孤独だ。しかしそれが普通であるから、それが“孤独”であることなど分からないような生き物である。

 そんな龍の元に、とある男がやってきた。人間は良い隣人だ。彼女にもその意識はあったから、男がやってきても何とも思わなかった。

「わ、驚いた、こんなところに龍が居るとは」

 男は無邪気で明るく、そして底抜けにお人好しだった。

 男は彼女が独りと知ると、それからは頻繁に通うようになった。彼女にとってはまったく興味のないことを話しては一人で笑っている。最初は彼女も面倒くさく思っていたものだが、だんだんと男の話題に耳を傾けるようになった。

「おまえは何のためにそんな話をするんだ。私にとってはどうでも良い」

 目的が知りたくて聞いたのだが、男は少しばかり驚いたあと、すぐにうーんと首を傾げる。

「そうだなぁ……俺たちのことを知ってほしいって思って」

「知る? 私たちは人間をよく知っている。いつも見ている」

「うん。もっとだよ。もっと知ってほしかった。同じくらい、知りたいとも思う」

 彼女には男の言っている意味が分からなかった。

 男はいつも彼女の近くにいた。しばらくすると男が一人の女を連れてきた。結婚をするのだという。龍で言うところの“番”だと説明をして、それからは二人で訪れるようになった。数年が経つと女が来なくなった。腹に子どもが居るから遠出ができなくなったらしい。男はしばらく一人で訪れたが、少し来なくなったかと思えば、次には女と子どもと三人で訪れた。

 彼女は気がつけば彼らの来訪を待つようになった。

 次はどんな話を聞かせてくれるのか。子は歩けるようになったのか。また馬鹿なことで言い合いになっているかもしれない。考えただけで、彼女は楽しい気持ちになれた。

「最近、随分楽しそうだな」

 彼女の兄が言う。素直になれない彼女はつんとしたが、自分が浮かれていることは彼女が一番分かっていた。

 子が成長し、男と女は老いていく。やがて男と女は来られなくなり、子だけがやってくるようになった。そのうち、子も番を作る。子ができる。その子もまた——。

 繰り返されるうち、彼女は彼らを見守るようになった。人間のことはずっと良い隣人という認識ではあったが、彼らのことは特別愛おしいと思えた。

 彼女と彼らの逢瀬が繰り返され、いくらが経った頃か。人間が突然、龍と龍人族を襲い始めた。彼女がどう動こうかと考えていると、彼女の元に、彼らがやってきた。その頃には彼らは複数人の“一族”となり、すべてが彼女を心配しているようだった。

「どうか逃げてほしい。遠くに行ってくれ。我々がここに来る人間をどうにかするから、その隙に!」

「人間がこんなことをしてごめんなさい。私たちはあなたを絶対に殺さない。殺させないわ。この命に代えても守ってみせる」

「まずい、足音が聞こえた。おまえ、一緒に来い。陽動する」

「分かった」

 数名が足音へと向かう。彼女はおかしくて少し笑ってしまった。

「……そうか。そうか。ありがとう、愛おしい者たちよ」

「わ、分かってくれたか! それならば急いで……」

「おまえたちは私の恩人だ。おまえたちのおかげで寂しさと愛しさを知れた。おまえたちは、どうか幸福に生きてくれ」


 ——龍の加護は、人間には強すぎた。幸福には生きられなかった。アザが現れ、それが出る者は短命であり、人柱なのだと脚色され、やがて“龍殺しの呪い”だと歴史に刻まれることとなった。


「彼らは“龍殺し”なんかじゃない。龍に一番に寄り添った、龍がもっとも愛した一族だった」

「その話のどこに信憑性が?」

「僕は龍と友達なんだ」

「……まさか」

「おいカグラ。気配が近い。遊んでいる暇はないぞ」

 強い風が吹く。全員がそちらに振り向くと、いつから居たのか、気がつけばアズミが呆れたように立っていた。

「気配って……銀龍の? どこにある?」

「ひとまずその邪魔な人間どもをどうにかしろ」

「なっ……何者だ! 衛兵!」

「……そうか。おまえが、私と敵対するのか」

 アズミが低く唸ると同時、駆け出したキサラギがカゾンの首元を捉えた。

「全員動くな!」

 抜かれた草薙剣が鈍く光る。それはカゾンの首に押し当てられていた。

「……キサラギ、貴様、自分が何をしているか分かっているのか……!」

「分かっております。……私はあなたを殺すことも躊躇いません。サガミ様がそれを望まれるのであれば」

 再び静寂が広がる。カグラはじっと待ち、アズミはただカゾンの動きを注視しているようだった。

「……っ、衛兵、全員引け」

「しかし、」

「引けと言っている。死にたいのか」

 カゾンが険しい顔をして言ったためか、衛兵は躊躇いながらも剣を下ろした。キサラギもカゾンから手を引く。解放されてすぐ、カゾンはキサラギから距離をとった。

「……貴様らが進むのはイバラの道だ。行き着く先でどうなるのか、傍観でも決め込むとしよう」

「それがよろしいかと思います。……世界は変わる。あなたは、歴史が刻まれる瞬間に立ち会うだけでいい」

「……アズミ、案内して。銀龍はどこに、」

「もう少し奥にある、昔サガミ様がカグラ様に続いて登り降りられなくなった木の近くから入れる地下室です」

 移動の直前、背後から厳しい声が追いかけた。

「この王宮の地下はひと続きの大きな部屋となっておりますので」

 どうしてその情報を与えるのかと。鋭くカゾンを見るカグラに、カゾンは軽く息を吐き出した。

「……昔からあなたは猪突猛進で、何をするにも無駄な行動が多いのでつい」

 カゾンが鍵を投げる。

「感謝するよ」

 しっかりとそれをキャッチしたカグラは、すぐに背を向けた。キサラギは一礼してカグラに続く。ウィジェとアズミは周囲を警戒していた。

「よろしいのですか」

 遠のく背中を見送るカゾンに、衛兵の一人が問いかける。

「……気付かなんだか。彼女は龍だぞ」

「……龍?」

「カグラ様が言っていただろう、龍と友人であると。まさか生きているうちに会えるとは思わなかった。延命治療もしてみるものだな」

 カゾンが目を細め、自身の手を見下ろした。

「……隠蔽された歴史か。これまでは贖罪と思い龍の保護だと息巻いていたが、どうやら史実はあてにならなかったらしい。これほど記憶がないことを恨んだことはない」

「……閣下?」

「気にするな、ただの独り言だ。……私の命もあと少し。真実を知るばかりではなく、龍が少しでも気楽に住める世界になるところが見たいものだ」

 カゾンの袖口からは黒がちらりと覗く。すでに全身を覆うそれはジクジクと痛むが、カゾンはどこか嬉しげだった。

「カゾン閣下。困りますよ、侵入者を見逃してもらっては」

 背後から凍てついた声が届く。先ほどまでの笑みを消したカゾンは渋く振り向いた。

「レブラス中将。……全軍龍の宮に向かわせたはずですが」

 レブラスは狼の軍でも特別我が強く、もっとも扱いにくいとされる男である。精鋭メンバーを率いて残ったのか、レブラスの周囲に居るのは数十名であった。

「自国を守るために残るのは当たり前でしょう。こういった事態のときにこそ攻め入られるリスクが高い。実際、その通りだった」

「彼らは攻めてきたわけではない」

「これだから裏切者は」

 レブラスがライフルを構え、ためらうことなく引き金を引いた。爆音とともにカゾンの体が背後に吹き飛ぶ。

「閣下! カゾン閣下!?」

「裏切者は全員せん滅する。裏庭に行くぞ」


       *


 龍帝王はその日、珍しいことに、龍の宮の屋根の上で寛いでいた。

 彼は普段から特に何かに熱中しているわけでもなければ、何かをしようと思う性分でもない。一日中動かないこともある。あてがわれた部屋でダラダラと過ごし、時折外が気になればふらりと庭園に散歩に出るという、ずいぶんと意味のない過ごし方を繰り返している。

 そんな龍帝王が珍しく屋根に登っている。使用人たちは慌てていたが、シキとリランによって騒動は沈められた。

「陛下。金龍が気になりますか」

「ああ、見よ。あのように伸び伸びと」

 龍帝王の隣にやってきた二人も、龍帝王の視線を追って空を見上げる。遠くの空で金龍が泳いでいた。

「……狼の国の王が謀反を起こしたそうです。陛下も危険ですので、室内にお戻りください」

「狼の国……ああ、あのサガミという娘か。謀反とはどのような」

「獅子の国の王を殺し、鼠の国を壊したと」

「ふっ……ははは! そうかそうか! あの娘、そのような大事を!」

 シキとリランが目を剥いた。

 囚われてからいくらか経つが、龍帝王が声を上げて笑ったことなどない。いや、囚われる前でもありえなかったことである。

「面白い。どのような結末を迎えるのか……ふふ、楽しいなぁ。このような気持ちになったのはいくらぶりか」

「……やけに構うようですが、何か理由が?」

「理由などない。強いて言うならば……」

 カグラを失ったサガミの孤独な瞳が、どこか妹を思い出させたからだろうか。

「……陛下?」

「気にするな。……お、金龍め。実体が危険に晒されていると気付いたな」

 空を泳いでいた金龍がどこかに消えたのを見て、龍帝王が楽しげにつぶやく。

 直後、地が揺れた。

 獅子の国から空気を裂くような声とも音ともいえない何かが届く。龍の宮に居る使用人たちの中には、その何かを聞いて気を失った者も居た。

 獅子の国より、龍が舞う。実体を得た金龍はその黄金の鱗をキラキラと反射させながら、久々の自由に浮かれているようだ。

「お元気そうですね」

「そうだな。……気に入っていた人間が死んだということには、もう興味がないらしい。切り替えの早さはさすがは龍と言うべきか」

「……陛下。狼の国の王、サガミ王のことですが」

 何かを思い出したように、リランがふと口を挟む。

「象の軍より連絡があったのですが、サガミ王は龍の宮に向かっているそうです」

「……ここに? なぜ」

「目的は分かりません」

 金龍が解放されたのは、サガミがナギを殺したからである。人に降ろされた龍が解放されるにはそれ以外に理由がない。ナギが自害しない限り、同じ龍を殺せるのは龍帝王かサガミくらいなものだ。ともすれば犯人は分かる。龍帝王は二人については何も知らないが、そうしなければならない理由があったのだろうとは思っていた。

「しかし余は……」

 自身の足首を見て、龍帝王が目を細める。

「……そうですね。あなたはきっと逃げないのでしょう」

「そう思うか」

「思いますよ。いつまでもその枷を外さないのですから」

 楽しそうに笑うリランとは違い、シキはどこか呆れていた。

「……そういえば、あの娘もこの枷に気付いたが」

「なるほど。それで『また来い』と誘ったのですか」

「面白い娘だと思ったからな。……この古いまじないに行き着いたかも分からぬが」

「……それは無理かもしれませんね。龍人族が居ればまだ、」

 シキは途中で何かに気付き、はたと肩を揺らした。

「気付くのが遅いな。あの娘が鼠の国を壊したと聞いた時点で分かっていると思っていたが」

「……ああ、納得しました。鼠の国に向かわせたのも陛下ですね?」

「悪戯が成功した気分だ」

 龍帝王は心底楽しげに笑う。シキも苦笑を漏らしていたが、嬉しげな雰囲気は隠せていない。

「……まさか、こんなにも懐かしい気持ちになれるとは思いませんでした」

「シキ、仲が良かった人が居たよね。小さい頃いつも面倒を見てくれていた……」

「ラルグだな。おまえだって一緒に世話になっただろう」

「そうそう、ラルグさん。……あの人が鼠の国から出してくれなかったら、私たちはこうして陛下の……アサギ様そばに居られませんでした」

「人間を裏切る形になることは不安そうにしていたが」

「そうでもしないと鼠の国からは出られないんだよ」

「そういえば貴様らは命からがら抜けてきたんだったか」

 そうは聞くが、龍帝王はあまり興味はなさそうだ。

「私たちよりも、ラルグさんのほうが命が危なかったんですよ。正面突破なんかできないからと壁の穴を利用しましたが、タイミングが悪く結局見つかりましたし。……ですが、陛下のお側にあるために、そうまでして送り出されました」

 懐かしい話に笑みを浮かべながら、シキもリランも朗らかに話す。龍帝王は退屈になってきたのか大きなあくびを漏らしていた。

「そろそろ中に戻りましょう」

「そうですね。いつ、何が起きるか分からない状況です」

「ああ、そうだな」

 最後に一度金龍を一瞥し、龍帝王はのんびりとした仕草でバルコニーに着地する。

 シキとリランもそれに続く。龍帝王はいまだ空を見上げていた。

「……あの娘は、ここまでたどり着けるだろうか」

 いったい何の憂いがあるのか。龍帝王のつぶやきに、二人は目を見合わせた。

「あの脆弱で力もない勇敢な人間の娘が、怪我もなくここまでたどり着けたならいいと、そう思っただけだ」

 龍の宮を突破するのは難しい。なにせ狼の国と獅子の国の軍が構えている。自国の軍を前に、サガミがこれまでのように強行できるのかも危ういだろう。

 龍帝王はようやく空から目を離し、室内に戻る。シキとリランが最後に見たのは、空に焦がれる瞳だった。

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