第4話
龍人族への説明は、ラルグとウィジェが担ってくれた。二人はサガミの意思もしっかりと伝え、作戦会議の翌日、昼が過ぎる頃には、龍人族のすべてが準備を整えてサガミの元へやってきた。
「……いきましょうか」
ラルグはすでに抜け道から外に回っている。少しでも連携が乱れたなら、この作戦はその時点で失敗に終わるだろう。
キサラギも龍人族も緊張したように頷いた。サガミの表情もどこか固い。
「キサラギはこれを持って行って」
差し出したのは、草薙剣だった。
「……しかしこれは、サガミ様の龍の宿る神剣……」
「狼の国に行っても、キサラギの話を信じてもらえなかったときのために。……これを持っていたら、すべての責任が私にあるってひと目で分かる。誰も何も言えないよ」
サガミの強い瞳を前に、キサラギはそれ以上は何も言わなかった。
龍人族を引き連れて歩くサガミを見つけると、鼠の国の住人たちが建物に身を潜める。何を始めるのかと気になっているのだろう。鼠の国は荒くれ者ばかりだからこそ、周囲の動きには敏感である。その習性があれば、壁が壊れた時にも素早く動き始めるはずである。
もちろん鼠の国の者には作戦を伝えてはいない。これはサガミの賭けだった。
「構えて」
扉の前、サガミはそこで足を止めた。あとはラルグが外からやってくるのを待つだけである。
「合図は覚えましたか?」
「はい。全員、間違いなく」
「……銀龍」
サガミが呼びかけると、サガミの肌に銀が走る。かすかに発光して鱗を浮かべるその様は、前よりも龍に近いように思えた。
すでに人ではない。しかしおぞましいとは思えない。キサラギも龍人族も、固唾を飲んで見守っている。
「キサラギ、あとは頼むね」
「……はい。サガミ様もご無事で」
「もちろん。……またいつか、どこかで」
最後の言葉は小さく、キサラギにはよく聞こえなかった。何を言ったのか、キサラギが聞き返そうとした頃、外から話し声が届く。
サガミが天叢雲剣を抜くと同時に、扉が外から開かれた。
ラルグと目があった。微かに頷き合い、サガミたちは一気に扉から飛び出した。
「な、何だ貴様ら!」
「取り押さえろ!」
一番に出てきたサガミを捕らえようと、複数の警備兵が飛びかかる。しかしサガミはするりとすり抜け、背後から出てきた龍人族が警備兵を掴み、地面に倒して腕を捻り上げた。
「ぐあ! 何をする!」
「貴様ら……!」
「鼠の国のゴミどもが、反逆でもするつもりか!」
すべての警備を抑えていることを確認して、キサラギとウィジェは身を隠しながら狼の国へと向かう。振り返ることはない。サガミはそんな背中を見送り、ラルグに乗っかられて動けない男を見下ろした。
「……私は狼の国の王、サガミです」
取り押さえられた警備の男が、地べたに押さえつけられながらもサガミを見上げた。
狼の国の王は有名だ。ニュースでもよく目にする。しかしどうだろう。目の前に居るのは果たして本当に狼の国の王なのだろうか。
男が知るサガミはもっと気弱そうで、あまり覇気も感じなかった。何より肌には銀の鱗などなく、瞳孔が縦に割れてもいない。髪も白銀で、おおよそ人間とは思えない見た目である。男は見ているものが信じられず、言葉もなく口をはくはくと開閉させていた。
「象の国の軍を呼びましたか?」
「……あ、あなた様は……本当に、狼の国の……?」
「象の国の軍が来るまでの時間はどのくらいですか」
無機質な声音だった。男は微かに息をのみ、震える唇を開く。
「あと数分です。……狼の国の王がこのようなことをしたなど、反逆罪に問われます! 狼の国は世界を敵に回すおつもりですか!」
「反逆罪?」
サガミが目線を合わせるようにしゃがみ込むと、男はびくりと肩を揺らした。逃げようとしていたがラルグに押さえられては敵わない。動揺を示すように視線が泳ぐ。
「私からすれば人間はすべて敵。あなたたちを憎んでいるの。人間ごときが私を裁くのならやってみなさい」
声が二つ重なっていた。押さえつけられた男も、ラルグも言葉を失う。しかし次の瞬間には「早く済ませましょう」とサガミの声で言われて、二人はすぐに我に返った。
男の目がふと、サガミの持つ剣に移された。それが天叢雲剣と分かると、男はさらに言葉を失う。
「……それは、獅子の国の、ナギ様の……もしやあなた……」
「ラルグさん、みなさん、ここからは計画通りに」
遠くからざわめきが届く。象の国の住人が戦車を見て避難をしている声だった。象の国は軍事にもっとも長けているから、そのスピード感にも驚きはない。
ラルグは力加減を間違えないように押さえつけている男の首を軽く締めて落とすと、すぐに立ち上がる。目で龍人族とやりとりをする。戦車が見え始めた頃、ラルグ以外の龍人族は散り散りに駆け出した。
「まいりましょう」
「お願いします」
ラルグに横抱きにされ、サガミは共にその場から立ち去る。
『鼠の国の者、速やかに壁の中に戻りなさい。これは警告だ。逆らえば、鼠の国を滅ぼすことになる』
散り散りになった龍人族がそこかしこからひょこりと顔を出す。三台の戦車がそちらに狙いを定めたが、彼らが焦ることはない。やがて司令官のような男が一台の戦車から出てきた。
『命がおしければ中に戻れ。脅しではない。我々は国民のためならば鼠の国を沈めることも厭わない』
一分待つ。そう言われても龍人族は動かない。むしろ象の国の軍を嘲笑うかのように、戦車の付近でうろうろとし始めた。ラルグとサガミは背後の木の影に控えていた。象の国の司令官にはサガミであるとは気付かれなかったようだ。サガミはタイミングを間違えないようにと司令官の動きをよく見ている。ラルグもほかの龍人族も、間違ってでも人間を傷つけないようにと真剣に計画を進めていた。
『交渉は決裂だ』
司令官が手をあげると、すべての砲身がそれぞれに向けられた。サガミに向いているものは一つもない。やはり気付かれてはいないらしい。
司令官が手を振り下ろす。躊躇いはない。その直後、三本の砲身からは砲弾が勢いよく飛び出した。
轟音が響く。地が揺れ、サガミは思わず耳を押さえた。
砲弾は真っ直ぐに散り散りに控えている龍人族に向かったが、身体能力の高い彼らにはあたることもない。素早い反応を見せた彼らは全力で駆け出す。砲弾も彼らを追う。砲弾はやはり速く、当たるか当たらないかという接戦だ。
「サガミ様、前に出ます。手を」
「よろしくお願いします」
サガミは落ちないようにとラルグにしがみ付いた。
砲弾が飛び交い、鼠の国の壁を壊していた。高いそれは上から崩れ落ち、隠されていた廃れた内側を見せる。
ラルグは瓦礫を避けながらも砲火の中央、戦車の前に現れた。
「私は狼の国の王サガミ!」
砲弾が止んだ。戦車からは象の国の指揮官が顔を出し、その顔に驚愕を貼り付ける。
サガミは持っていた天叢雲剣を掲げた。
「これより龍の宮へ攻め入る!」
ラルグが振り返り、サガミは背後に居る龍人族へと視線を向ける。
「全員続け! 未来を必ず勝ち取るために!」
サガミの声が響き渡る。誰もが動きを止めていたため、その声は象の軍にも届いた。
ラルグが動く。その場から退くと、象の指揮官が弾かれたように我に返った。
「お、狼の裏切りだ! 撃てー! 絶対に捕らえろ! 空軍を要請する!」
「ラルグさん、みなさん、あとは計画通りに!」
サガミの言葉に全員が頷いた。それと同時に砲弾が飛ぶ。サガミ相手にも容赦無く、ラルグはそれを綺麗にかわす。
ラルグや龍人族が動けば動くほど、鼠の国の壁が崩された。
「一旦引きます」
「はい、鼠の国を突っ切ってください」
ラルグたちが崩された鼠の国へと踏み入れると、案の定戦車も追いかけた。しかし、崩れた壁から鼠の国の住人が顔を出す。ようやく解放された彼らは、久々の壁の外に嬉しげに駆け出した。
「全軍、鼠を取り逃すな! 無闇に人が死ぬことになる!」
鼠の国とは、まさに“謎”である。そこにはあらゆる人種が隠され、あらゆる不祥事が隠蔽され、そしてあらゆる罪人たちが逃げ場として暮らしていた。未解決事件の犯人たちはおおよそ鼠の国に逃げ込んだとされている。警察も追うことはしない。鼠の国に入れば、凶悪犯罪犯であろうとも生きていられるかは分からないからである。自ら地獄に飛び込むのであれば追う必要はなし。それが警察の共通認識だった。
だからこそ、鼠の国の住人を自由にさせるわけにはいかない。今はサガミを追うことも重要だが、象の軍は一気にそちらに注意を向けた。
「サガミ様、もう引けませんよ」
鼠の国の住人たちが出口に向いて走るのと逆に、サガミを抱きかかえたラルグが駆ける。
「……大丈夫。後悔はありません」
興奮する住人たちが騒ぎ、遠くからは轟音が届く。けれどもラルグの耳にはそれらすべてがぼやけ、落ち込むサガミの言葉だけがやけに鮮明に聞こえた。




