第3話
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鼠の国は入るのは簡単だが、出るのには苦労をする。それは世界共通の認識である。まずはどう出るかというところで、サガミたちは夜にやってきたラルグとウィジェの四人で話し合っていた。
「正面突破は不可能です。鼠の国は外からしか開きませんし、扉も小さく、外には門番が控え、管理棟もあります。異常事態が起きればすぐに隣国の象の国の警備が動きます。規模を考えても、慎重に動くべきかと」
ラルグは大きな岩の上に、簡単に鼠の国と、隣国である象の国を描く。次には現在地に黒い丸をつけ、続けて正門、門番、管理棟の順にただの丸印をつけた。
「そうですね。しかし、龍人族の皆様も共にとなると大移動になりますから、小さな抜け道から見つからずに出られるかどうか……」
キサラギの言葉に合わせ、ラルグはさらに龍人族が知る「抜け道」に星をつける。
「ですがキサラギさん、やはり外に出るには抜け道以外にはありません。鼠の国は最重要警戒国です。門の周辺だけでなく、壁の付近はすべて監視されています」
「カメラですか?」
「はい。位置は把握しています。外の監視カメラについての情報は鼠の国には出回っていますから」
ラルグは今度、ウィジェの言った監視カメラのすべてに黒い丸をつける。
「外と連携して出られる隙を伺うのが一番現実的かもしれませんね。門番の交代の時間や、監視カメラの死角が抜け道以外にないのか、少し調べる必要がありそうです」
ラルグの記す図を見下ろし、キサラギは悩むようにつぶやいた。現段階で、外に出られる未来が見えない。
「外にあてが?」
「狼の国から要請します。サガミ様が中に居ると分かれば大事になりますから、それは伏せますが……よろしいですか、サガミ様」
「……前にも言ったけど、どうして正面から出ないの?」
それまで何かを考えていたサガミが、図を見ながらつぶやいた。
「どう見ても正面突破が一番早い。狼の国に行くにも龍の宮に行くにも象の国の通過は必須。正面突破を避けても見つかれば象の軍は動くよ」
「出来るだけ見つからないように動きたいということです。被害の影響も変わってきます」
「……鼠の国の壁の数キロ範囲内に住居はない。それは象の軍がいつでも鼠の国を殲滅できる環境にするため。知ってるでしょ?」
「ですが、間違って壁が壊れでもしたらそれこそ世界が混乱します。鼠の国で暮らす者を外に出すわけにはいきません」
「私の考えを話すよ」
サガミは前かがみに岩に手をつくと、まず門に指を置く。
「ここから一旦全員が出る。そのためには外から門を開かせる必要がある。だからラルグさんだけ抜け道から外に出て、門から中に入るフリをしてもらいます。扉が開いたら全員が外に出る。スタートはそこからです」
サガミはラルグが持つ軽石を受け取ると、門の前から二本の矢印を生やした。
「ここから二班に分かれます。ラルグさんと私の班は龍の宮へ、キサラギとウィジェさんの班は狼の国へ向かってください」
各班のメンバーはみんなをよく知るラルグさんとウィジェさんにお任せします、と付け加え、サガミは続ける。
「狼の国には銀龍の本体があります。キサラギとウィジェさんには銀龍の本体を守ってほしい。金龍はきっと、自分の本体に危険が迫っていると分かれば自分で戻れるから大丈夫だと思います」
キサラギが「私はサガミ様と共に、」と言うのを、サガミが軽く手を上げて制した。
「象の軍が動くのは早い。なにせ、鼠の国の真横に基地を構えています。管理棟からの連絡が最短なら、ほんの数分で囲まれるでしょう」
認識に相違がないのか、三人は同時に頷く。
「だからこそ慎重に計画を立てましょう。象の軍は世界でも屈指の軍事力を誇ります。龍人族の方々が優れているとはいえ、勝算は限りなく低い」
「……私は、壁を壊したいと思ってる」
その言葉に、弾かれたように口を開いたのはラルグだった。
「サガミ様、それは賛同しかねます。この国がどれほど危険か、暮らしている我々が一番理解しているつもりです。この国が解放されるなど、考えるだけでも恐ろしい」
「……狼の国には収監所があります。狼の国だけじゃない、どこの国にもあるものです。そこに収容されている者と鼠の国の住民で、いったい何が違うんですか? 人が考えるべきは重罪人の行き場所ではなく、重罪を犯さないような世界にする仕組みです」
ラルグはぐっと言葉をのみ込む。
「壁が壊れたなら鼠の国の住民はみな収監所に投獄されるでしょう。それが正しい姿です」
「……それでは、人が死にます」
「目を背けていた代償だよ。……厄介者を壁の中に押し込めて、外の人間はのうのうと暮らす。見ないフリをして向き合わなかった当事者たちは、ただの『被害者』なの?」
その場がシンと、重たい沈黙に包まれた。ラルグやウィジェは渋い顔をし、キサラギは目を伏せる。
「人に死んでほしいわけじゃない。ただ、犠牲が必要なときもある。多少の犠牲は計画に入れておいて。全員が無傷で終われるなんてありえないから」
カグラがよく言っていた。成果を得るには、多少の犠牲が必ず伴う。得ようと思う成果が大きければ大きいほど、その犠牲も大きくなる。サガミは当時「犠牲なんて可哀想だよ」とカグラを責めた。けれど今ならカグラの言葉の意味が分かる。
「それに、無事にすべてが終わっても、人が報復として龍を襲う可能性もある。二種間の関係を保つには、シキさんとリランさんだけが側にいれば良いわけじゃない。龍人族の人たちも、壁の中に帰ってきたらいけないの」
その後のことは考えていなかったのだろう。ラルグもウィジェも困り顔だ。
「象の軍が出てきたら、壁を壊してもらえるように陽動する必要がある。龍人族の方には数名囮になってほしい」
「サガミ様! それはあまりに、」
「分かりました」
答えたのはラルグだった。
「……我々は人よりも動きが速い。人間には我々は殺せません。それを信じてくださっているのですね」
「もちろんです」
「それなら良いのです。……この作戦に異論はありません。我々龍人族はすべて、サガミ様の手足となり、命を賭して従います」
ラルグの隣で、ウィジェも強く頷いた。しかしキサラギは納得がいっていない顔だ。
「安心してよキサラギ。壁を壊せば、鼠の国の住民が出てくる。象の軍は龍人族ばかりを標的にできない」
「それでは、鼠の国の者が殺されてしまいます」
「……人間って難しいね。鼠の国の中ではいつも殺し合いがあって、それを暗黙として理解しているはずなのに、いざ身近な出来事になると突然感情論を吐く。この国に閉じ込めることでむしろ死んでくれと言外に言っているくせに、そんな感情論は今更だと思わない?」
「……サガミ様、」
「情のかけ方は間違えるべきじゃないよ。それこそ無駄な犠牲が出る。……キサラギ、最短で終わらせよう。私は龍の宮から陛下を解放する。キサラギは狼の国の銀龍の本体を守る。……無事に全部が終わったら、キサラギは今度こそカグラを守って」
サガミに強く睨め上げられ、その決意を前にキサラギには何も言えなかった。




