第1話
ラルグに連れられて、サガミたちは龍人族の住処へと戻ってきた。動き出すのは翌日からとなる。まずは鼠の国を出る算段を立てなければならないため、夜に話し合いをしようとラルグらと決め、一旦龍人族とは離れた。とはいえ龍人族は建物の外で監視をしているから、遠く離れた場所に居るというわけではない。みな空を見上げては、自由にのびのびと泳ぐ金龍の影を見て笑っていた。
「サガミ様、傷を確認させてください」
二人が居るのは建物では一番広い部屋だった。荒廃しているから綺麗というわけではない。
キサラギはすかさずサガミに詰め寄る。サガミはシートの剥がれたぼろけたチェアに腰掛けた。
「もう大丈夫だよ。キサラギも座って」
「私はこちらで。傷が塞がっていることを、この目で確認させてください」
やや呆れたサガミが服の裾を掴み、腹が見えるようにたくし上げる。
痛々しい傷が一つ、へその左上に残っていた。突き抜けていたから背にも残っているのだろう。その傷に苦しげに眉を寄せると、キサラギは「ありがとうございます」と目を逸らす。
「血も滲んでいなくて安心いたしました」
「痛そうな顔」
「……そうですね。守れなかった自分に嫌気がさします」
ずいぶんと落ち込んだ声音である。サガミは服を戻して、軽く息を吐き出した。
「痛みを理解する直前で、銀龍が私を奥に押し込んだの。たぶん庇ってくれたんだと思う。だから痛くもなかったし、何が起きたのかも分からなかった」
「そう、ですか……」
沈黙が重たい。やや気まずそうな雰囲気はあったが、そんな空気を裂いたのはキサラギだった。
「……どこから話せば良いでしょうか」
「……話したいところからでいいよ。私は全部知りたいけど、私の知りたいことがキサラギの話したいことじゃないでしょ」
「ですが……」
「キサラギは最後、ナギについて行かなかった。だからいいの。信じるの」
そんなことを言うくせに、サガミは興味もなさそうにチェアの背に深くもたれた。キサラギにはそれが救いだった。
少しだけ間を置き、キサラギは緊張気味に息を吸い込む。
「龍殺しの一族をご存知ですか?」
「……初めて聞いた」
「そうですか。カグラ様からは一度触れられましたが、サガミ様から反応がなかったのはそういうことでしたか」
「カグラは何か言った?」
「……いいえ、何も。ただ一言、今は幸せなのかと、そう聞いてくださりました」
「カグラらしいね」
「はい、本当に。これからも共にいることを許してくれますかと、そう聞いたときにはひどく怒られましたね」
困ったような笑みを浮かべ、キサラギは一つ息を吐く。緊張が解けたようだ。
「事情を知る者が『龍殺し』と聞くと、誰もが私たちを恐れます。関わらないよう、巻き込まれないよう距離を置き、龍を殺すなんてと忌み嫌う」
「多くの人が龍殺しの一族のことを知っているの? どうしてその一族の見分けがつくの? 私は知らなかったし分からなかった。反応を思い出しても、龍人族の人たちも知らなかったんだと思う。みんなどのタイミングで知るんだろう」
「龍殺しの一族は、誰の目にも触れないよう、誰かに見つからないようにと短いスパンで場所を移して暮らしています。見つかればすぐに、確実に殺されるからです。私の両親もそうでした。……龍殺しの一族などただの言い伝えだと信じていない者がほとんどですよ。だから噂程度にしか知られず、その存在は狭い範囲にとどまっています」
キサラギは、着ていたシャツのボタンをゆっくりと外す。
そういえばこれまでキサラギが露出の多い服を着ているところを見たことがない。暑い時期にも袖が長く、少し前にも、サガミが手当てをしようと襟を引っ張っただけで手を払われた。
「龍殺しの一族は呪われています。総じて短命であり、死の間際には強烈な痛みを全身に感じながら、血を吹き出してもがき苦しみながら死ぬと聞きました。真偽は分かりません。ですが大人になるにつれ、その話が嘘であるとは到底思えなくなりました」
キサラギの腕から袖が抜ける。
それは、おおよそ人の肌とは思えない風貌だった。上半身に広がる黒と、打たれ、斬られ、熱いものを押しつけられたような火傷の跡が複数残る。それでも痛々しく見えないのは、まるで龍が這っているような線状の黒が、キサラギの上半身を覆い尽くすほど広がっているからだろうか。
サガミは落ちたシャツよりも、キサラギの体から目が離せなかった。
「この黒のアザが広がるたびに痛みます。ほんの一ミリでさえ激痛です。……これが全身に広がったとき、私の命が終わるのでしょう」
「……だけど、そんな痛そうな素振り……」
「痛みには慣れています。龍殺しは侮蔑の対象です。ナギ様が手を差し伸べて下さるまで、私は奴隷以下の暮らしをしておりました」
人為的な傷はそのときについたのだろう。あまりにも痛々しく、サガミは目を伏せた。
「……ナギとはどこで?」
「私が十の頃、虎の国で隠れて暮らしていたときでした。虎の国民は基本的に単独で住居を構え群れずに過ごしていますが、周囲に無関心というわけではなく、よそ者へのアンテナは一級品です。私たちはそれを知らず踏み入れ、アザを暴かれ龍殺しであると一部地域に広められました。それからの日々はご想像の通りです。そんな地獄のような日々を過ごしている中で、視察にきていたナギ様が偶然見つけてくださったのです」
キサラギは脱いだシャツを着直しながら、思い出すように言葉を続ける。
「ナギ様が私たち家族を見つけたのは本当に奇跡です。ナギ様が気まぐれに動き、道に迷っていなければ出会えていなかったでしょう。そんな奇跡を、両親は正しく理解していました。両親は迷うことなく自身らが囮となる選択をし、ナギ様に私を差し出したのです」
キサラギはシャツのボタンを襟までしっかりと閉めた。
傷はもう見えない。サガミがよく知っているキサラギである。
「ナギ様は恩人です。私を拾い、育ててくださりました」
「……恩人に言われたから、スパイなんてこともやってたの?」
声は淡々としていた。キサラギはサガミを一瞥したが、悲観しているわけでもない無表情を見て目を逸らす。
「……ナギ様は変わりました。カグラ様が憧れたナギ様は、権力争いの中で歪んでしまったのです」
「歴史書を読んだとき、獅子の国の人は特に野心が強いってあった。王族はその中でも別格で、ライバルを蹴落としてでものし上がるって。……ナギにはそんなイメージなかったけど」
「その通りです。ナギ様は獅子の国の王族にしては、私に手を差し伸べるほどに優しい性質をしておりました。だからこそナギ様の兄殿下方は、ナギ様が龍に選ばれたことが許せなかったのです」
継承者を選ぶのは龍。そういえば龍帝王がそんな話をしていた。
「妬みの中で蔑まれ、命すら危ぶまれる環境で、ナギ様は変わるしかありませんでした。……何を言っても後の祭りです。ナギ様はもう……」
「そう、後の祭り。ナギの境遇には興味ないよ。……私は理由が知りたかった。どうしてキサラギがナギに従ったのか。どうしてカグラを殺したのか」
微かに怒りが滲んだ。正しく感じ取ったキサラギはハッと顔をあげる。
「そんな顔しないでよ。私がいじめているみたい」
「いえ……その……」
「本当はもうどうでもいいの。……カグラを殺した黒幕は死んじゃった。復讐心はなくなって、残ったのは私が王だっていう残酷な現実だけ」
サガミはボロけたチェアに深くもたれかかる。
「……龍の解放も必要なくなっちゃったね。龍人族の人たちはやる気になってるのに。あーあ。全部面倒くさいなぁ。息をするって、こんなに重たいことだったっけ」
「サガミ様……」
キサラギはぐっと拳を握りしめる。
サガミが復讐という生きる目的を失った以上、すべてを話すよりほかはない。そうでなければ、サガミが自死を選ぶかもしれない。
サガミがぼんやりとキサラギを見ている。そこにはすでに覇気は感じられない。
「……カグラ様は、生きております」
脱力したサガミの指先が揺れる。




