閑話・3
「良かったのか、話をしなくて」
カグラの元に戻ってきたアズミは、少しばかり揶揄うように問いかけた。
カグラは黙ってアズミの前を歩いている。振り返る様子はない。
「……サガミは昔から大人しい子でさ、自分の気持ちをあまり話さないんだ」
誰もいない薄暗い裏路地を、二人は警戒しながら進む。
「……サガミのあんな姿、初めて見た」
「なるほど、ショックだったのか」
「どうだろう。ショックだったのかな」
最初にサガミがナギに斬りかかったとき、止めに入るために自然と体が動いていた。けれどいつもと様子の違うサガミに圧倒されて、カグラは途中で足を止めた。
「……サガミは前を向いているんだと思ったよ」
「おまえは向いていないのか?」
「少なくとも僕はサガミのために龍の解放をしようとしているんだから、そうしているうちはまだ立ち止まっているんじゃないかな」
「なるほど……?」
分かったような、分からないような。アズミはそんな感情を隠すことなく、訝しげな顔で首を傾げている。
「……そうか。おまえは金龍の器に憧れていたんだったな。だから元気がないのか」
核心をつく言葉に、カグラはぐっと言葉をのみ込んだ。
あらゆることに衝撃を受けたというのが本音だった。ナギの企み。キサラギがスパイだったこと。サガミの姿。何もかもに衝撃を受けて、最後には虚無感だけが取り残された。
生きている側と死んでいる側。それが何よりの大きな壁なのかもしれない。
今は鼠の国で動いているから身を隠していられるが、これからはそうもいかないだろう。カグラは死んだことにされ、すでに大々的な葬式までもが終わっているから気軽に姿を見せるわけにもいかない。
カグラには自由がない。だけどサガミは生きていて、前を向いて歩いている。ナギに裏切られたことは悲しく、残酷な言葉も突き刺さってはいるが、何よりそのサガミとの壁がカグラには一番引っかかっている。
「それで。落ち込みながらどこに行っているんだ」
「狼の国に行く。……陛下に何かがあれば、銀龍の実体が危険に晒されるかもしれないだろ。金龍は自由に戻ることができるとしても、銀龍はまだ不自由な身だからね。サガミが龍の宮に行くと思うから、僕が銀龍の実体を守らないと」
カグラの勇ましい背中を見ながら、アズミはピタリと足を止めた。
「……アズミ?」
気付いたカグラが振り返る。アズミに表情はない。
「……どうしたの?」
「いや……おまえ、私との約束を忘れたのか?」
「忘れてないよ。だけど……アズミだって分かってるだろ? 銀龍はすごくサガミを気に入ってる。引き離そうとすれば殺されるかも」
「……まあ、そうだな。銀龍にしては珍しい」
「珍しい?」
「ああ。アサギに毒の入った食事を運んでいたのが人間の女だったから、銀龍は人間の中でも女が特に嫌いなんだよ。だが銀龍はおまえのほうが気に入らんらしいな」
「僕が献身的でつまらなくてナギに憧れてたからね」
「拗ねるなよ、人間は面倒くさいな」
「……だけど、アズミが龍人族と一緒に行かずに僕のところに戻ってきたときは嬉しかった。アズミがいなかったら僕はいろいろな衝撃で泣いてたかも」
冗談めいた声を出しているが、カグラは振り返らなかった。
アズミは呆れたように肩を竦める。
「おまえはなかなか面白いからな。仕方なくだ」
「そっか、仕方なく」
「気に入らないか」
「ううん。……キサラギがアズミの大切な一族ってどういうこと?」
「…………耳がいいな」
「よく考えたら僕、アズミのことも何も知らないよね。……僕は今誰かにとって、どんな存在になれるんだろう。たとえば、アズミにとって。……僕は、救いになれたりするのかな」
そんな存在になる必要もないだろう。アズミはなぜか、そんな言葉も言えなかった。
少しして、ようやくカグラが振り返る。その瞳にはすでに憂いはない。
「狼の国は緑が豊かなんだよ。皇宮には狼の国でしか見られない花がたくさん咲いてる。アズミもきっと気に入ると思う」
「……はぁ。これだから人間は……」
「何?」
「いいや。……相変わらず馬鹿で愚かで、愛おしい隣人だと思うよ」
アズミが笑う。その顔には皮肉や嘲りは浮かんでおらず、ただ純粋に自身への呆れのみが浮かんでいるようだった。




