第4話
「金龍。あなた、そんな男の中にいて楽しいの? アズミの大切な一族どころか、アサギすら害そうとしている最も愚かな人間なのに」
ピクリと、ナギの指先が揺れた。ナギ自身も驚いているのか、自身の手を見下ろし眉を寄せる。
「? なんだ……?」
「あはは! いやだ、気付かなかったなんて言うつもり? その男は世界を掌握しようとしているのよ? たとえばこの子が傀儡の王になったとして、それからはどうすると思う? 今世界を握っているのはアサギ。その存在に手出しをしないとでも?」
ナギの指先が震える。ナギは震える手を押さえるように握るが、止まることはない。
「やめろ、なんだこれは!」
「あなたは中から見ていたはずよ。その男がこれまでどんな動きをしていたか。鉱山、秘境の滝のほとり、荒野の絶壁、なんてところかしら。赤鉄が採取できて、クプラの実がなる今は誰にも知られていない場所」
「やめろ!」
「アサギはまた人間に貶められるのねえ! それも今度は金龍の宿る人間に! あははは! 面白い! 笑い話だわ! 大丈夫よ、それでもアサギは許してくれる。だからアサギがどんな言葉をくれたのか、すべてが終わった後に教えてくれないかしら」
「やめろぉっ!」
「あなたの気配をたどるなんて簡単な話。……あなたは昔から自尊心が強くて、こそこそすることに慣れていなかったもの」
「……金龍様」
誰がつぶやいたのかは分からない。龍人族の誰かがポツリとつぶやくと、ナギががくりと膝から崩れ落ちた。
目はうつろだ。焦点も合っていない。
「……ナギ様……?」
静まりかえったその場には、キサラギのつぶやきが大きく響く。
「……俺は……ただ、世界が……」
ナギはとうとう、前方に倒れた。
「……手に、入れば……みんな……また……」
ぼこりとナギの背が膨らむ。その異様な光景に、キサラギも龍人族も一歩足を引いた。
「……俺を……見て……」
直後。
膨らんだ背中が激しく弾けた。そこからは半透明の巨大な龍の頭が現れ、天に向かってずるずると伸びていく。
金色に輝く半透明の巨大な龍。凄惨な現場の中心からそれが空に向かうのを、その場に居た全員が見守ることしか出来ない。
サガミの体から唐突に力が抜けた。地面に落ちる直前、側にいたキサラギが受け止める。
「サガミ様! 大丈夫ですか!」
「サガミ様!」
ラルグも駆け寄り、二人はサガミに息があることを確認してひとまず胸を撫で下ろした。
「……あれは……」
キサラギが空を仰ぐ。ラルグもそれを追いかけ、茫然と龍を見ていた。
「……金龍様がナギ様から出た、のでしょうか……」
「金龍がその男を見限っただけのことだ」
降ってきた声に、その場にいた全員が振り仰いだ。
三階ほどの高さの建物の屋上に、女が立っていた。サングラスをかけた、血色の悪い女だった。つまらなそうに見下ろしていたかと思えば、食い破られたナギを見て嘲笑を浮かべる。
「アズミ様……? あなたはまさか、アズミ様ではありませんか!?」
ラルグが叫ぶと、女の視線もそちらに移る。
「……知らない顔だと思ったが、どこかで会ったか?」
「いいえ、お初にお目にかかります! あなた様のことは両親から……いえ、もっと前、祖父、曽祖父の代から一族に渡り任されております!」
アズミの目が、その場にいるすべての者をぐるりと滑る。
「……龍人族か。まだ生きていたのか」
ラルグが近くにいたウィジェに何かをささやくと、ウィジェより龍人族へと伝わっていく。龍人族はみなアズミを見上げ、すぐに頭を下げた。
「……銀龍はその娘がよほど気に入ったようだ。まさか生かす選択をするとは」
アズミがサングラスを外した。金色の瞳には、縦に割れた瞳孔がある。
「アズミ様、我々と共に行きましょう。我々はこれより自由を手にする算段があります」
「残念だ、愛しい同士よ。実は私にも友人ができたんだ。少々訳ありでね、別行動をさせてもらう。——どうやらその友人は、銀龍にも好まれていないようだしな」
「そう……ですか」
ラルグは残念そうにしていたが、それ以上は何も言わなかった。
アズミが背を向ける直前、ちらりとキサラギを一瞥した。キサラギはぐっと硬直する。そんなキサラギを見下ろし、アズミは微かに微笑んだ。
次の瞬間には、その姿はすでにない。アズミがいた場所を、全員がぼんやりと見上げていた。
「ん、うっ……」
「サガミ様!」
キサラギの腕の中でサガミが微かに身動ぐ。ラルグもすぐに駆け寄った。
「……何……? あれ……私……」
「良かった……良かったです。傷は痛みますか?」
「ううん、不思議なんだけど、どこも痛くなくて……ちょっと気怠いくらい」
サガミはなんとか自力で地に座る。平衡感覚がやや危ういが、意識はしっかりとしている。
やがてサガミは空を仰いだ。
「……ああ、そっか。ナギは死んだんだね」
「はい。……終わりました。すべて」
サガミの目的は終えた。カグラの仇は討った。
次は何をするべきなんだろう。呆然とする横顔を見て、キサラギは何も言えなかった。
「……金龍様が喜んでおられます。あのようなお姿はもう二度と見られないものと思っておりました」
サガミの心情を知らないラルグが、空を見て涙ぐむ。
「ありがとうございます。……解放など無茶なことをと思っていたのですが、あのようなお姿を拝見すると、こうあるべきだったのだと心から思えます」
龍人族が一斉に頭を下げる。
サガミはかろうじてうなずいたが、その瞳には感情がない。
「……サガミ様のお体が心配です。本日は休ませていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます。我々の住処へ戻りましょう」
キサラギには、サガミをこの場からいったん連れ出すことしか出来なかった。
龍人族が前を歩く。ナギの側に転がっていた天野叢雲を携え、サガミとキサラギは龍人族に守られながら進んでいた。
「サガミ様、戻ってすぐに一度傷を見せてください」
「……もう大丈夫だよ」
「いいえ。……あなたが血を流して動かなくなったとき、私の心臓も同時に止まるかと思いました。安心させていただきたいのです」
サガミの目はキサラギを映さない。ただ前を見ているだけだった。
こんな様子のサガミに話すべきだろうか。キサラギは一瞬迷ったが、意を決して口を開く。
「……話したいこともございます。よろしければ、少しお時間をいただけますか」
そこでようやく、サガミがキサラギを見上げた。キサラギの表情は暗い。
「分かった」
サガミの手の内にある天叢雲剣。剣は剣。龍ではない。その言葉の通り、神剣はただ剣としての重みのみを感じさせた。




