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かつて平和だった世界へ。名もなき龍より  作者: 長野智
第3章

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第3話

「カグラを殺したのはキサラギなの……? どうしてそんなことを……!」

「言ってやれよキサラギ。……おまえは俺の腹心で、狼の国を乗っ取るために送り込まれたネズミでしたってな」

「……じゃあ、ナギがキサラギに……」

「そうだよ。カグラは邪魔だったんだ。でもサガミなら歓迎だ。無知なおまえは傀儡にぴったりだからな。と、思ってたんだが……キサラギ。おまえには失望した。もう計画はどうでもいいから、そいつを殺せ。銀龍を一旦解放し、また神剣に戻す」

「お、お待ちください! 龍の宿る人間を殺めれば龍の命も失うはずです! 銀龍様を求めるのならば、サガミ様を手にかけるべきではありません」

 ラルグはなんとか、サガミを庇うように並ぶ。しかしその唇は震えていた。

「……ああ、そうか。おまえ達は人間にそう言われていたんだったな、かわいそうに。人間は嘘つきだよ。おまえたち龍人族が継承者を殺さないように、そうやって嘘を教えていたんだから」

 ナギが乾いた笑いを浮かべた。

「全部嘘だったんだよ。継承者を殺せば龍が解放される。ただそれだけだ」

 ざわりと、大きく空気が揺れた。風はない。けれど確かに生温い何かが漂っている。

 ナギの肌に浮いていた鱗がさらに濃く変わった。サガミよりも馴染んでいるのか、雰囲気すらも重々しいものがある。自然と足が震える。跪きそうになる。逃げ出したい。泣いてしまいたい。漠然とした不安が膨らみ、呼吸すらも奪われるようだ。

 まさに“龍”が目の前にいた。龍人族は地に伏して、深く頭を下げていた。

「キサラギ、早く殺せ。おまえは獅子の国に戻ってこい」

「……できません」

 キサラギの指先が震えていた。キサラギも龍の気が恐ろしいのだろう。けれど気丈に足を踏ん張り、なんとか堪えている。圧倒されていたサガミはそんなキサラギに気付き、一歩強く前に出た。

「あんたが黒幕だったんだ、ナギ」

「仕方がないだろ、必要なことだったんだ」

「仕方がないことなんか、この世界に一つもない!」

 サガミの全身に鱗が這い、同時に地が割れた。サガミを中心にして広がったその地割れは、ナギが立っている場所には弾かれたように到達しない。

「どうしてそんなことを……カグラはナギに憧れていたのに!」

「この世界に“王”は複数いらないんだよ。……世界皇帝は世界の象徴だ。それを守る獅子の国と狼の国の王が、各国の王の頂点に立つ。二人も要らない。どうしても必要と言うのなら、もう一方を掌握してしまえば良い」

「そんなことのために……」

「そんなこと? そんなことか? 獅子の国と狼の国を意のままにできれば、世界を手に入れられるんだぞ? そうだサガミ、おまえにも立場をやる。命が惜しいだろ? それなら俺に協力しろよ。今聞いたことはすべて忘れろ。そして傀儡の王となり、狼の国で余生を過ごすだけでいい」

「誰がそんなことに協力なんか……!」

「キサラギ、一旦国に戻る。作戦は中止だ」

「……ナギ様。私はもうこれ以上は、」

「誰がおまえを助けてやったと思ってる」

 唸るような音が聞こえた。ナギに宿っている金龍の威嚇だろうか。ナギにずいぶん馴染んでいるようだから、感情もリンクしているのかもしれない。

 ナギが怒れば龍も怒る。龍人族はますます地に額をつけ、背中を震わせている。

「俺がおまえを見つけなければ、おまえは一生地獄に居た。違うか」

 キサラギは瞳を揺らし、曖昧に頷く。

「おまえをあの地獄から救った俺を今更裏切るのか? たかだか十数年仕えただけのガキのために?」

 指先が震えていた。顔色も悪く、汗もかいているようだ。そんなキサラギを見て、サガミはキツくナギを睨む。

「そんな小娘にはなにもできない。おまえは重すぎるんだよキサラギ。おまえにかけられた呪いは周りを不幸にする。どこに行っても厄介者だ」

「あんたのところに居るほうが地獄だ!」

 サガミはさらに踏み出すと、キサラギを庇うように片手をキサラギの前に広げる。

 俯いていた視界の中にその腕が見えて、キサラギはようやく視線を上げた。チラリと見えるサガミの横顔は、強い色を宿している。

「カグラの後ろに隠れることしか出来なかった小心者が、ずいぶんな大口を叩くんだなぁ」

「キサラギは連れて行かせない!」

 ふわりと、サガミの髪が揺れた。次にはサガミが踏み込んで、まっすぐナギの元に駆ける。

 ほんの数秒。その間にサガミが手を開くと、そこには神剣、草薙剣が現れた。

「おっと危ない」

 大きなひと振りを、ナギは難なくかわす。二撃、三撃と続くが当たらず、慣れない動きをしているサガミのほうが体力を奪われているようだ。

「訓練もしてねえお姫様が無理をするなよ」

 一瞬の隙をついて、ナギがサガミの足を払う。簡単に重心が崩されたサガミは勢いよく倒れたが、受け身をとってすぐに立ち上がった。

 受け身を習ったことはない。体が勝手に動くのはやはり、銀龍が宿っているからだろうか。

「キサラギが何者なのかも知らねえで、なんでそんなに庇えるかな。カグラを殺したんだぞ?」

「あんたがさせたくせに!」

「ああそうだ、俺がさせた。どうしてキサラギはそこまで俺に従っていると思う? キサラギの地獄ってのはなんだ? 黙ってないで言ってやれよキサラギ。俺から言ってやろうか」

 ナギが天叢雲剣を抜く。サガミはさらに身構えた。草薙剣を強く握り締めたが、同時に今度はナギが踏み出した。


「その昔、人間は龍への供物として人柱を立てていた」


 ナギの力強いひと振りを、サガミはなんとか刃で受け流す。体勢が崩されたが、なんとか踏ん張って堪えた。

「ナギ様! 獅子の国に戻ります! 戻りますからその話はどうか、」

「人柱にされるのは龍殺しの一族だ。その一族を捧げることで、人間は龍を宥めようと考えた。龍殺しは罪だ。その一族は龍に呪われている」

「やめてください!」

 キサラギはただ叫ぶことしかできない。ナギはそれを聞きながら、尚も楽しそうに笑う。

「お姫様にはどうにもできないくらい呪われてるんだよこいつは!」

 刃をなんとか受け流し、サガミがナギの懐に踏み込んだ。

 しかし。

 ナギがサガミの腕を掴む。あっけなく動きを制されて、腹から剣を押し込まれた。

「サガミ様!」

 サガミの背から剣が伸びた。赤が伝うその剣は、躊躇いもなく引き抜かれる。

 キサラギもラルグも動けなかった。ただ崩れ落ちるサガミの姿を見守ることしかできない。

「呪いは消えない。人柱も解消されない。……おまえには重たいよ、キサラギは」

 うつ伏せに倒れたサガミは、腹から血を流してピクリとも動かない。ナギは笑っていた。剣を振るい血を弾くと、剣を鞘に戻す。

「キサラギ、戻るぞ。俺は忙しいんだ。次の継承者が現れるまで獅子で待つ」

「銀龍様!」

 龍人族が倒れたサガミの元に駆け寄る。反して、ナギがキサラギの元へと足を向けた。ナギはすでに興味もなさそうだ。ナギの背後ではラルグやウィジェが必死にサガミの命を確認している。

 キサラギは動かなかった。ただ目を見開き、唇を微かに震わせている。

「……龍を殺した一族というなら、人間のすべてじゃないか!」

 ラルグの震える声が空を裂く。ナギは思わず足を止めた。

「その理屈で言えば、人間はすべて呪われていなければおかしい! それは本当に『呪い』なんですか!?」

「そう。愚かな人間はすべて呪われていなければならない」

 凛とした声が落ちた。サガミの体が不自然に持ち上がる。重力を無視したような動きで立ち上がり、最後に頭がふらりと立った。

「……サガミか……?」

「サガミ様!」

 ようやく動けるようになったキサラギは、サガミの側にやってきてギクリと体を揺らした。

 サガミの体が微かに銀に発光している。全身に鱗が浮かび、指先まで鋭く変形しているようだ。

 その姿はすでに人とは思えなかった。

「ふふ、あははは! 気分がいいわ! 歌い出したいくらい。ようやく世界が変わるのよ。この子ならやってくれると思ってた。だってあなたが認めた子だもの」

 サガミがキサラギを楽しげに見上げる。

「私、この子の片割れは好きじゃないのよ。だって献身的でつまらなくって、何よりあの愚かな男のことを尊敬していたんですもの」

「……あなたは……銀龍様、ですか」

 キサラギの言葉には何も返らない。ナギも呆気にとられている。

「私が選んだ可愛い子。今は大好きな子。よくもこの子を刺したわね」

 ふらりとサガミの手が持ち上がり、その指先がナギに向けられた。

「……俺は金龍だぞ」

「あら自己紹介? 久しぶりね金龍。大丈夫よ、忘れていないわ。ねえところでその男、アズミの大切な一族を利用していたようだけど、あなたはどうしてその男を気に入っているの? 本当、あなたとは昔から気が合わないわ」

 ナギが天野叢雲を強く握りしめる。次には強く踏み込んだ。

「くそ! どうやったらこいつは死ぬんだ!」

 ナギの一振りをサガミは軽やかにかわす。

「宿主が死ねば龍は解放されるはずだ! どうしてあんたはサガミの中にいる!」

 ひらりひらりとかわされて、ナギの刃はサガミには届かない。刺された人間の動きではない。周囲は固唾を飲んで見守ることしか出来なかった。

「私がこの子を殺さなかったからよ」

 ピタリとナギの動きが止まる。

「私、こんなに人間のことを気に入ったのは初めて。大っ嫌いなはずだったのに、この子はとっても愚直で素直で可愛くて、ずっと一緒に居たくなっちゃった」

「……何を……自由になれるんだぞ……」

「そっくりそのままお返しするわ」

 ナギは首を傾げる。銀龍はあざけるように笑った。


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