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かつて平和だった世界へ。名もなき龍より  作者: 長野智
第3章

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第1話


「え、と……申し訳ありません。我々一同、天龍様を連れ出そうなどと思ったことがなかったので、その……返答に困ると言いますか」

 案の定、龍を解放する話をしてみれば、ラルグら龍人族は明らかに戸惑っていた。

 しかしサガミは強い表情を崩さない。

 ラルグも人間側を気遣っているのだろう。心配そうにサガミを見ていた。

「……我々は現状に嘆いてはおりません。あなた様に我々のことをお話したのも無理をしてほしいからではなく、単純に銀龍様との再会に感動し、思わず昔を思い出したからです。余計なことを言ってしまったと思います」

「私たちはラルグさん達に気を遣ったわけではないんです。ただ、協力をしてほしいと思っています」

「協力、ですか?」

 サガミの言葉に、ラルグも訝しげな表情である。

「私の兄が殺されたことは以前お話ししたかと思います。その件について、犯人を探すために必要なことなんです」

「……話を聞きましょう。どういうことですか?」

 サガミの説明がひと通り終わると、ラルグは腕を組み眉を寄せる。

「なるほど、たしかに一理あります。ですが天龍様が龍の宮から出られるとは思えません。天龍様があそこから出ることで世界が揺らぎます。あのお方は今のこの世界にとって、不可欠な存在です」

「……世界に不可欠だから、世界が望むから仕方がないんですか? その『仕方がない』という理由は、一人を犠牲にしても良い理由になりますか?」

 ラルグは言葉をのみ込んだ。

「私の兄だってそうです。誰かの目的のために殺されました。その誰かからすれば『仕方のない犠牲』だったんでしょう。私からすれば違う」

「……申し訳ありません。失言でした」

「私は兄を殺した犯人を許せません。あなたたちが人間と争いたくないことを承知で、残酷なことを言っていると理解しています。私に協力をしてください」

「…………多くの人間が亡くなります。規模で言えば戦争に等しいでしょう。それでも協力をしろと言いますか」

 責めているような視線だ。しかしサガミはためらいなく頷く。龍人族が一斉に揺らいだ。

「ラルグさん、僕は反対です。進んで人間との関係を悪化させるなんて……」

「俺も反対だ。……ようやく居場所を見つけた。ここを失うわけにはいかない」

 龍人族から反対の声が上がる。

「そもそも銀龍様だって望んでいないだろう。銀龍様は優しいお方だ。争うことは好まない」

「サガミ様のお言葉でも、我々はそれに賛同できません」

 キサラギは不安げにサガミを見る。サガミはただ龍人族の発言を聞き入れている。

 反対の声が多く上がり、ラルグも困惑していた。どう収集をつければ良いのかを悩んでいるようだ。

 そんな中、ようやく場が静まった頃、ようやくサガミが口を開く。

「人間と争いたくないから、ここに閉じ込められていることも『仕方がない』ですか?」

 怒っている様子ではない。落ち着いた声だった。

「あなた達がここで我慢をすることも仕方がない。あなた達が不自由をすることも仕方がない。陛下が囚われていることも仕方がない。金龍と銀龍が神剣に宿されていることも仕方がない。不満も反乱もなく静かに暮らす。……あなた達、人間にとってあまりに都合が良すぎませんか」

「……ええ、本当にそう思います」

「本当は何か理由があるんじゃないですか? たとえば、人間に脅されているとか」

 一拍の間を置き、ラルグが深く息を吸い込む。

「そのようなことはありません」

「陛下が囚われているから、手をかけられるのではないかと危惧をしている?」

「いいえ」

「龍人族の一部が人質にされているとか」

「……もうやめてください。我々はここで静かに暮らすと決めているのです」

「では、私一人でやります。それなら良いですか?」

 サガミの突然の発言に、一番に反応をしたのはキサラギだった。

「サガミ様、ご冗談はそれまでに。いくらサガミ様であろうとも、一人で龍帝王陛下を解放するのは無理があります」

「可能性が一パーセントでもあるのなら私は諦めたくない。カグラを殺した犯人を絶対に突き止める」

「お気持ちは分かりますが、」

「分かる? 何が? キサラギは全然分かってないよ! 龍人族もそう! ……私とカグラはずっと二人きりで生きてきたの……辛いことも楽しいことも全部半分こにして、ずっと二人で乗り越えてきた。お父さんもお母さんも小さなときに死んじゃったけど、それでも寂しくなかったのはカグラのおかげ。私が弱ってるときはカグラが力になってくれた。私はいつも、カグラが弱ってたら支えようって思って動いてた。そのカグラが殺されたんだよ? カグラが殺されても世界は平気で回ってる。それだけでもこんなに腹が立つのに……カグラが殺されたことは『仕方ない』? 我慢するのが当たり前? ……自分たちだって大切な人を失って居場所もないくせに、どうしてそんなことが言えるの? 私がおかしいの?」

 龍人族はみな、悲痛な表情を浮かべて俯いた。

「誰が何の目的でカグラを殺したのか、それを突き止めるためならこの腹立たしい世界が壊れることなんかどうでもいい。壊れちゃえばいいんだよ。カグラが死んでも気にも留めないこんな世界」

「サガミ様……」

 ずっと気丈に振る舞っていたサガミが、初めてキサラギの前で涙を浮かべた。唇が震えている。堪えている滴は今にも溢れてしまいそうだ。

「…………自分は、賛成です」

 龍人族の輪の中で、一人が拳を震わせている。

 視線は一気に集まった。

 声を上げたのはまだ若い青年だった。しかし緊張をしながらも、一歩強く踏み出した。

「自分の母は、壁を出ようとして政府の人間に殺されました。父はこの国の人間に標的にされ、むごい方法で殺されました。両親は幼い自分に外の世界を見て欲しいとずっと言っていて、ずっと頑張ってくれていたんです。……二人とも、外になんか出たこともないくせに」

 全員、青年の両親のことを知っているのだろう。その事件を思い出したのか、誰も何も言おうとしない。

「……どうして我慢をしなければならないのでしょう。両親は人間に殺されたんです。それなのにみんな、何の疑問も抱かず人間の望む通りに暮らしています。……本当は許せなかった。自分の両親が……今まで一緒に生きてきた仲間が殺されてもそんな程度なのかって、もしも自分が殺されてもそう思うのかって、正直不満でいっぱいだった」

「ウィジェ……」

「ラルグさんの口癖だ。仕方がない、人間を愛してる、良い隣人でいようって。まるで、自分に言い聞かせるみたいにずっと言ってる」

 ウィジェがサガミに強い瞳を向ける。

「サガミ様は一人じゃない。自分にも協力をさせてください」

「ウィジェ! 何を言ってるか分かっているのか? おまえ一人が協力をしたところで劣勢は変わらない」

「どうして自分のことは止めるんだよ! 両親のときには簡単に『仕方がない』って切り捨てたくせに! 自分一人殺されたってあんた達には関係ないだろ!」

「オレ達だって本当は仕方がないなんか思ってない! 悔しいに決まってるだろ! だけど金龍様と銀龍様が……!」

 言いかけて、ラルグは反射的に口を押さえた。

「……何? 何を言いかけたんですか?」

 言葉の続きは、龍人族の大人は知っているのかもしれない。みな気まずそうに目を逸らすが、まだサガミと同じ年頃にも思えるウィジェは不思議そうな顔をしている。

「……ウィジェ、オレは初めて神に誓う。おまえの両親を軽んじたことは一度もない。本当だ。仲間が殺されて平気でいられるわけがないだろ。悔しかったよ。悲しかった。人間が許せなかった。……今も、憎くいとすら思っているのかもしれない」

「……じゃあどうして」

「……その昔、人間が我々を侵略したという話はしたかと思います」

 ラルグの目がサガミに流れた。サガミは一つ頷き、続きを促す。

「人間は龍には勝てないと踏んで、一番初めに天龍様に手をかけました。天龍様の力が弱まるよう、人間はいつもの礼だからと運んでいた食事に、龍が苦手な赤鉄とクプラの実を混ぜたのです」

「……そんな……龍にとって、赤鉄とクプラなんか毒と一緒だ。死んだっておかしくない……」

 ウィジェは顔を歪め、何度も首を振る。

「天龍様の力は弱まりました。人間は天龍様を捕らえ、逆らえなくなった金龍様と銀龍様から魂を抜き、神剣に降ろしたのです。金龍様も銀龍様も、親のような、兄のような天龍様を盾にされると逆らうことなどできなかったのでしょう。……他の龍は人間に喰われました。龍は万能薬です。人間の糧になる」

 人間は言いました。静かに暮らせと。鼠の国を与えてやる。その箱の中から二度と出てこないというなら生かしてやるからと、我々をここに追い込んだのです。

 言葉を続けたラルグは眉を揺らし、その瞳に怒りを宿す。

「そのうち人間は平和な時世を送り、我々のことなど忘れこの国をお払い箱のように扱い始めました。ここに来るのは普通の感覚の人間ではありません。するとこの国の中でも我々に手を掛ける人間が現れた。そうしてウィジェの父親は殺されたのです」

「……よくご存知なんですね。当時から生きていたわけでもないでしょう」

「私の一族は、人間への憎しみをゆめゆめ忘れぬようにと、真実の歴史を語り継いでいます。そういう役目であると今は思えますね」

「じゃあラルグさんだってここから出たいんじゃないか……どうして動かないんだよ。自分は出たい。外で生きたい。一緒に行こうよ」

「そんな簡単な話じゃないんだよ。……金龍様と銀龍様が神剣に移されたのは魂だけだ。実体は人間が隠してる。……魂の抜けた実体を喰われれば、金龍様と銀龍様は二度と龍体には戻れない。一生神剣の中で、人間の中で生き続けることになる」

「……それでもいいじゃないか、存在してくれているだけで、」

「酷なことを言うな。……龍は自由な生き物だ。閉じ込めるようなものじゃない。それに……龍が人間に宿っている状態でその人間が死ねば、龍も共に死ぬ」

「な、んだよそれ……」

「人間が言っていたから真実かは分からない。本当は嘘かもしれない。だけど魂移しの条件を知らないオレ達には、それを疑うことはできない」

「なんだよそれ! じゃあ龍人族は何もできないじゃないか……!」

「だからここに居るんだよ。静かに、大人しく、人間に害はないと思わせて」

「つまり、龍の実体さえ守れたら、あなた達は私に協力をしてくれる?」

 サガミの一言に、ピタリと場が動きを止めた。




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