閑話・2
キサラギの元を離れたカグラとアズミは、龍人族から隠れるように建物の間を縫って歩いていた。カグラはずっと難しい顔をしている。アズミが何を言っても空返事だった。
「おいカグラ。そちらは危険だ」
いつの間にか足を止めていたアズミが、踏み出そうとしたカグラの首根っこを後ろから強く引っ張る。カグラの意識はすぐにアズミに向けられたが、そのまま乱暴に引き倒され、カグラは気がつけばアズミの足元で彼女を見上げるように横になっていた。
「びっくりした……何?」
「龍人族ではない気配がある。鼠の国の輩だろう。おまえ、また罠にかかるつもりか?」
カグラには何も分からなかったが、ひとまず立ち上がり建物の影に身を潜める。
「……アズミ、これからナギにコンタクトを取ろうと思うんだけど」
「ナギ? ああ、金龍を宿している男か」
「それでアズミの目的も話す。きみの正体も。……大丈夫かな?」
「……大丈夫とは?」
「だって隠してるんだろ? ……僕はサガミを救いたいけど、だからと言ってアズミを傷つけたいわけじゃない」
途端、アズミは鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を浮かべた。余裕綽綽に悠然としているアズミにしては珍しい顔だ。
カグラは気まずそうな様子を一変、アズミを見て眉をひそめる。
「僕、なんか変なこと言った?」
「いや……おまえは、私の心配でもしているつもりか?」
「つもりって……普通に心配してるんだけど」
訝しげなカグラは、首を傾げて返答を待つ。間は長い。待っているうちに、アズミは今度呆れたように短く息を吐き出した。
「ふん。おまえのような馬鹿がまだ居るとはな」
「馬鹿って……」
「まあいいだろう。だが無駄足になるだろうからやめておけ」
「無駄足?」
「金龍に会いに行くという目的だ」
「……どういうこと?」
アズミがふっと遠くを見やる。カグラもそちらを見てはみるが、どんな意味があるのかは分からない。
「すでに鼠の国に来ている」
「……ナギが?」
「ああ。……銀龍は気付いているが無視を決め込んでいるようだったから、宿っているあの娘も気付いていないのだろうよ」
カグラの顔が険しく歪む。
「……何の目的で、ナギが鼠の国に?」
「さあな。おまえが一番知っているんじゃないのか? 金龍の宿るその『ナギ』という男が、どんな男か」
「分からないよ。ナギはいつも僕たちを子ども扱いしてばかりで、腹の底なんか絶対に見せない」
けれど、いつか誰かが言っていた。獅子の国の現国王は、野心家で狡猾で、そして時に残酷であると。もちろんカグラがそれを信じたことはない。カグラが見るナギはいつも気さくに笑っていたし、サガミにも変わらず親しげだった。
(だけど、ナギがわざわざ鼠の国に来る必要なんかあるのか……?)
鼠の国は危険だと世界で認識されているから、一国の王が来るなどまずありえない。サガミはカグラの件で何かを探りに訪れているとして、ナギにはどんな理由があるのだろうか。
「……獅子の国の王は野心家で狡猾……」
それを聞いた当時、まだ幼かったカグラは「どうしてそんな酷いことを」と思っていた。
「……龍を利用すれば、人間にどんな利益がある?」
「いきなりだな」
「教えてほしい。龍はどんな存在なの? 僕たち人間はどうして龍を捕らえた? ……急に怯えて龍と龍人を敵に回すなんて違和感がある。人間が何か利益を知ったからじゃないの?」
カグラは少し緊張しているようだった。アズミの瞳がまっすぐにカグラを射抜く。少し間を置いた後、アズミはふっと口角をつり上げた。
「ある日、龍がすべての人間を救った。流行り病からだ。——その日から人間は龍を愛すべき隣人ではなく、利用すべき相手として認識し始めた」
「……流行り病から人間を救うなんて……そんなことが出来るの?」
「龍は万能薬だ。何にでもなれる。何からも救える。龍の血肉には力が秘められている。……人間はある日、それに気付いた」
「……なんて惨い……」
「仲間の龍はほとんどが食われた。残りは殺されて保管され、要らないものは廃棄されていたな。龍人は龍を守ろうとするから同じく排除の対象だった。……龍人はその過去を知らない。龍が龍人を守り、情報を奪った。せめて真実から遠ざけることで、半分が人間である彼らが自分たちを責めることを避けた」
カグラがパッと顔を上げると、遠くを見ていたアズミが振り返る。
「龍帝王陛下が捕まっているのは……」
「いざというときの万能薬兼、龍や龍人を従わせるための人質だな。金龍や銀龍を神剣に宿したのも同じ理由だ。どうせ実体は、いざというときのためにどこかに保管してあるんだろうよ」
「金龍と銀龍の実体はいつ食われてもおかしくない状態ってこと?」
「そういうことだ。……本当に何も知らないのか。実体は獅子と狼が所持しているはずだが」
アズミの目が鋭く光る。捕食者の目だ。カグラは思わず生唾を飲み込む。
「龍と人の歴史とか、実体があることすら何も教わらなかった。……もしかしたら神剣を継承したサガミは何かを聞いたのかもしれないけど……」
「それはないだろうな。あの娘、銀龍を宿してから間も無くこの国に来ている。アサギと話をして動き出すまでの日数を考えても、国から何かを言われている暇はない」
「アサギ?」
カグラはつい問い返す。しかしアズミは黙殺した。
「それで、おまえは龍を捕らえる利を聞いて何を知りたかったんだ?」
アズミは再びどこかに視線を投げていた。カグラもそちらを見てはみるが何も分からない。
「僕を狙ったのは、龍を利用したい誰かなのかと思って」
「なぜ」
「僕を殺せば、神剣の継承者は自ずとサガミになる。僕よりはずっと利用しやすい相手になるよ。……僕の周りにはスパイが居たようだからね。たとえばキサラギと恋人関係、結婚までさせて、狼の国、ひいては銀龍を意のままにしたかったとか」
「キサラギ……先ほどの男か。そういえばおまえ、あいつが誰かの手先だとか言っていたな」
「神剣を継ぐ当日の早朝、焦ったように僕の部屋に来て『殺される前に逃げろ』なんて言われたらさすがに察するよ。……キサラギはずっと僕とサガミの側にいた。思い返せば、キサラギがどこからどうやってうちに来たのかが分からないんだ。最初から仕組まれていたのかもしれない」
「……あの男がどこで生まれたのかも知らないのか」
「? うん。そうだよ。ある日突然来たからね」
「そうか。……酷い目に遭っていなければ良いが、無理な話だな」
そう言ったアズミは、なぜか悲しげに見えた。
「……キサラギのことを知ってるの?」
「いいや? 気にするな、こちらの話だ」
誤魔化す気もないらしい。しかし何を聞いても答えないと分かっているから、カグラは「大きな独り言だね」と不服を漏らすことしかできなかった。
「とにかく、間違いなくキサラギは誰かの命令に従って何かをしようとしてる。鼠の国に居ることも計画のうちかもしれない。……僕が死んだことになっているなら、遺体もしっかり用意してたってことだろ。キサラギがそこまでして偽造した理由はまだはっきりしないけど、サガミが巻き込まれてることは間違いない」
またしてもどこかを見ていたアズミが「来たか」と言葉を漏らす。カグラは素早くアズミの視線を追いかけた。
「ナギ……」
付き人を数人連れて、ナギが堂々と鼠の国を歩いていた。少人数だからお忍びで訪れたのだろう。
カグラはアズミをひっぱり建物の陰に隠れた。どうやら気付かれてはいない。
「さあどうする、カグラ。私はもうあいつを殺しても良い」
「……待ってほしい。もう少し動向を探りたいんだ」
「悠長なことを言うじゃないか。……まあいいだろう。私はおまえをそれなりに気に入っている。だが約束は違えるなよ。龍との約束は絶対だ」
アズミはなおも楽しげに笑っていた。しかしカグラは緊張した面持ちで、ナギが立ち去る背中を静かに見送った。




