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かつて平和だった世界へ。名もなき龍より  作者: 長野智
第2章

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第4話


 サガミとキサラギはさっそく、ラルグに従って鼠の国の抜け道へと向かう。そこはかつて龍人族が外との出入りに使っていた抜け穴らしく、そこならば時間帯によっては警備にもバレずに外に出られるとのことだった。

「現在ではもう使っていない抜け穴になります」

 ラルグは動きが目立たないようにと裏道を選んでいた。そのためサガミたちを気にする気配はどこにもなく、サガミも安心してついて歩く。

「使っていない? 外には出ないんですか?」

「そうですね。我々は人を愛しておりますが、信用はできません。……それに、我々はどうしても、人の輪の中では浮いてしまいます」

 そういえば鼠の国には売人が居たが、どうやら鼠の国の中で完結した商売ではなかったようだ。彼らは逃げ出せる状況下にありながら、あえてこの鼠の国に留まっている。生き方が現状以外に選べないからだろうか。

「もしもその抜け道を知っている者が居たなら、誰もが鼠の国と外を行き来できるということですね」

「……まだ疑っていらっしゃるのですか?」

「誰かを代わりに外に出すことは可能です」

 サガミの言葉に、ラルグは苦笑しながら「たしかに」と笑う。

「愛しい家族を失ったのですから、すぐに我々を信じろというのは無理な話です。私たちはあなたに危害を加えません。それは、私たちが勝手に思っておきましょう」

「この近辺に人の気配がないのはどうしてでしょうか」

「この辺りは我々が根城にしておりますので、他の者は近づきません」

「……縄張りということですか?」

「はい。やってきた直後に力を見せつけました。……人は我々に怯え、そして降伏し、関わらないよう過ごすことを選んだのです」

 言うが早いか、サガミとラルグは同時に足を止め、同じようにキョロりと周囲を見渡した。龍人族のほかの者も警戒するように武器を構える。キサラギもその様子に、胸元に忍ばせていた拳銃を抜いた。

「……サガミ様、どうされたのですか」

「人の気配があるの。……二人。一人は普通じゃないみたい」

「普通じゃない……?」

「お二人はこちらに隠れていてください。我々が確認してまいります」

 ラルグの案内で、サガミとキサラギは近くの建物に押し込められた。やはり崩れかけた廃屋だ。とはいえ鼠の国には綺麗な建物なんかないから、特別汚いと思うようなこともない。

 大人しく入っていくサガミに、キサラギもついて歩く。

「……サガミ様、普通ではないとはどういうことでしょう」

「分からないの。懐かしい気がするけど」

 龍人族が外を窺っている間、二人は中で待機していた。何かをするわけではない。けれどサガミは落ち着かないのか、周囲を警戒している。

 キサラギには何も分からなかった。気配には敏感だけれど、サガミほど研ぎ澄まされているわけではない。

(……サガミ様の中に龍を降ろしたからか……?)

 これまでのことを考えても、人間とは思えない力を発揮している。

「キサラギ、少し待ってて。ついでに食糧がないか見てくる」

「お待ちください! そういったことは私が」

「でも、」

「ここが一番外に近く安全です。奥の確認は私が行ってまいります」

「キサラギは怪我をしてるでしょ」

「そんなものはもう治りました」

「……でもまだ、」

「サガミ様」

 先ほどまで大人の顔をしていたかと思えば、キサラギに少し強く呼ばれるだけで子どものような顔に戻る。キサラギはこんなとき、この少女はこれまでキサラギが見守ってきた少女なのだと深く実感することができた。

「……私のことを信用しろとは言えません。ですが、だからと言ってあなたを危険に晒すわけにはいきません」

 サガミは否定も肯定もせず、ただじっとキサラギを見上げただけだった。

 キサラギが内通者と何かをしたとして、サガミはすぐに気付くだろう。それがキサラギの危機であっても同じである。それが分かっていたから、サガミは下手に粘ることなく「分かったよ」と了承した。


 キサラギはさっそく、警戒しながらも奥へと歩む。あまり時間はない。けれど食糧が尽きていることも確かだ。これ以上龍人族の世話になるわけにもいかないし、いくらかは確保しておいたほうが良いだろう。

 物音のない建物を進む。キサラギの足音が響き、緊張感だけが高まっていた。

(……食糧を隠すならどこかの部屋か……)

 建て付けの悪い扉を開けると、やけに大きな音が響く。サガミにも聞こえただろうか。心配していなければ良いのだが、今はひとまず探るしかない。キサラギはそっと踏み出して、室内をくまなく探る。


 誰も居ないようだと、安堵したのも束の間。

 ガラッ! と天井から崩れる音がしたときには遅かった。キサラギが振り仰ぐのと、その人影がキサラギに覆いかぶさるのは同時だった。


 思いきり叩きつけられては受け身も取れない。背中を強打する。くらりと意識が揺らいだが、落としかけた銃をなんとか握り直した。


 しかし自身に乗っかる相手を見て、銃を構えることはできなかった。


「久しぶりだね、キサラギ」

「……カグラ様」

 カグラは、自身のナイフをキサラギの首に押し当てた。

 間違いない。間違えるはずがない。キサラギに馬乗りになりナイフを構えているのは、キサラギが大切に見守ってきたカグラである。

 カグラはフードを深くかぶっていた。くすんだマントを身につけている。顔色も悪く、最後に見た時よりもうんと痩せていた。

「……ご無事で、安心いたしました」

「どの口が言う」

 首に当てられた刃が、さらに強く押し付けられる。

「……おまえは誰の手先だ」

 刃先が微かに震えていた。怒りからだろうか。カグラの表情は強張っている。

「カグラ様とサガミ様に、この命を捧げております」

「心にもないことを言うな」

「いいえ、私は、」

「もう一度聞く。おまえは誰の指示で動いてる?」

 睨む瞳は変わらない。カグラは真っ直ぐに、射抜くようにキサラギを見下ろす。

「……あの朝、おまえが僕に『殺される前に逃げろ』と言った。だから僕は国から逃げた。尋常じゃない様子のおまえの言葉を、嘘だと思えなかったからだ。……おまえを、信用していたからだよ」

「……はい」

「僕は、サガミも逃してくれるものだとばかり思っていたんだ。だってそうだろ? 僕を逃したのなら、サガミだって逃すのが普通だ。僕が殺される理由が『神剣』なら、僕が居なくなったあとの継承者であるサガミも危ない。……だけどおまえはそうしなかった。サガミを残し、王にした。無知なサガミをだ。……最初からサガミに神剣を継承させたかったからじゃないのか?」

 キサラギは何も答えない。カグラの顔が、さらにキツく強張る。

「おまえは誰の指示で動いてるんだよ。誰の指示でサガミを王にした! 誰が僕の暗殺を目論んでいたんだ!」

「……それは……」

「言えないのならここで殺す。これ以上サガミの側には置いておけない」

「まったく、人間は面倒なものだな。すぐに殺さないのは情か?」

 気がつけば、カグラの背後には一人の女が立っていた。カグラの手がピクリと跳ねる。

「……カグラ様、その御方は……」

「私はアズミ。カグラの協力者だ。そしてカグラも私に協力している」

「……協力?」

 アズミと名乗る女はキサラギに気付くと、サングラスの奥に潜んだ目を一瞬驚きに染める。何に驚いたのか、それをキサラギが考えるより早く目をそらされた。

「……龍は約束を違えない。違える者を許さない。この浅はかな人間はそんなことも知らず、私と『約束』なんてものをしてしまった」

「……カグラ様?」

「アズミ。その約束は、龍を解放すれば無効になる」

「そうだ。だが、おまえの片割れがそれを受け入れるのか、はたまたその方法が存在するのかも分かっていない」

「……龍……?」

 キサラギの訝しげな言葉でようやく、アズミがサングラスを外した。

 確かにその瞳には、先ほどの龍人族のような縦長の瞳孔がある。雰囲気も異様だ。

 しかしどう見ても人である。龍ではない。説明を求めるようにカグラを見れば、カグラはようやくナイフを放した。

「龍の解放に協力してくれ。……キサラギ、絶対に間違えるなよ。龍を解放しなければ、サガミが死ぬことになる」

「……どういうことですか?」

「私が殺す。神剣の継承者が二人揃うのを待っていたんだ。龍は今神剣から離れ、人の体を器にしている。命のない神剣は壊しても龍は留まったままになるが、龍を宿した人間が死ねば龍は解放される」

「ですが……」

「だから聞いたんだ、誰の指示で動いているのか。……こんなことを言えば、キサラギは協力もせず、サガミを見殺しにする可能性があった」

「そのようなことは致しません」

「誰がそれを信じられる。サガミを逃してくれていたらこんなことにはならなかった」

 カグラが悔しそうに立ち上がると、キサラギもようやく上体を起こす。視線の先にはアズミが居た。

「……あなたは龍ですか? 人に見えますが」

「ふむ。なかなか無礼な質問だが、まあ良いだろう。私は龍だ。龍は人にもなれる。動物にも、植物にも」

「あなたはなぜ人の姿に?」

「龍が人の姿になる理由は様々ある。たとえば力が弱まっている。たとえば力を抑えられている。龍がもっとも身近に居る人間に身を似せるのは道理だ。単純に、紛れられるだろう」

 キサラギが続けて口を開くが、言葉を吐き出すより早く、アズミが何かに気付いたように外に目を滑らせた。

「おや、気付かれたな。銀龍がこちらにやってくる。カグラ、引くぞ」

「お待ちくださいカグラ様、もう少し詳しく、」

「キサラギ!」

 サガミが飛び込んでくる頃にはすでに、カグラとアズミは窓から飛び立っていた。気配すら匂わせない。突然消えた気配に、サガミは迷子になった子どものように不安を浮かべた。


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