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008 人生そんなに甘くない

 バレンタインデーの波に世間が乗っていた頃、健介はどう過ごしていただろうか。テストに向けて机にかじりついてはおらず、能天気に青空をかみしめていたような気がする。


 話題の渦となるチョコレートは、ついぞ一個も受け取れなかった。本命と義理を合わせて、である。学校へのチョコ持ち込み禁止ルールで、イケメン男子群も軒並みゼロを出していたことがせめてもの幸いであった。


 ……お返しも、あるわけなかったし……。


 悠奈が告白を受け入れてくれていたら、とイフストーリーを妄想で並べてしまうのは健介の悪い癖だ。分岐した道の将来をいくら妄想しても、その世界が現実となって帰っては来ない。


 窓から下界を俯瞰すれば、入学生を迎えてくれていた桜の木が一様に散り始め、グラウンドは桃色の海となっている。バレンタインデーは、十か月も先のイベントへ変貌してしまっていた。


「……なあに、そんなに落ち込んで……」

「……チョコレート食べたい……」

「お金出してくれるなら、今からコンビニに買いに行ってくるけど……」

「授業合間の休み時間に、学校を抜け出すつもりなのかよ……」


 麻里に規則を遵守する意識を根付かせられたらノーベル賞ものだ。学校が蓄えてきた基金を全て贈呈してもお釣りがくる。


 これは美学の問題になってくるのだが、バレンタインデーとなるとどうしても手作りチョコを想像してしまう。売店で買った板チョコを『本命』だと言い張られても、そこに愛情が含まれていなさそうで手を付けられない。

 料理が壊滅的だったとしても、自家製チョコの方が頑張りを感じやすくていいのだ。


 ……来年の俺は、彼女が出来てるかな……。


 社会にあふれている青春小説に憧れていた中学校が懐かしい。高校に入ってしまえば輝かしい学校ライフが始まる、と夢見心地だった自分をぶん殴ってしまいたくなる。


 無難に生活を送っているだけで、恋が寄ってくるはずが無かった。部活絡みの『青春』がしたくとも、帰宅部では交流が生まれない。


 山も谷も訪れない平凡な平野を、ただ歩んでいくことになるのだろうか。姿勢を良くしろと耳にタコが出来るまで教えられたのだが、肩や胸を垂らさずにはいられなかった。


「……偽でもいいから、甘い経験してみたいな……」

「そういうことなら、私が何か作ってあげても良いんだよ?」

「……故意に異物を入れてきそうだから……」


 健介は、麻里から余ったクッキーを貰ったことがある。中央部分が砂利のようにザラザラしていて、とてもレシピを見て作った物では無かったことは忘れられない。


 ……気持ちをコントロールする方法、誰か麻里に教えてやってくれ……。


 感情に正直に日々を過ごす彼女は、誤った選択を採ってしまうことが多発する。派閥員が全員イエスマンなものだから、彼女はその重大なミステイクに気付けない。

 女子で麻里を咎められるのは、鎖に縛られない悠奈くらいか。


「いつまで外に意識を持っていかれてるの? ……人生を嫌になっちゃダメだよ」

「……人生ハチャメチャで、むしろスリルを楽しんでたいくらい」


 青春という分野では、健介の日常に地殻変動が起きてくれない。地面を掘って金鉱を探し当てようとしても、岩盤に阻まれては手詰まりだ。


 ……もっと、俺の今をフラットに考えたら……。


 ただ、高校生になって女友達を作ることの難易度は高い。羞恥心の欠片も無かった小学校入学時ならまだしも、性の話題がキャッチボールされるようになる成人一歩手前となると、だ。

 悠奈はズタボロの縁が延長されているだけなので除外するとしても、新しく麻里との交流が生まれたことは珍しいのではないだろうか。


 『付き合い下手』と貶されても困る。派閥のトップを牛耳っている彼女と関係を持とうとした男は数えきれないが、ほぼ全てが撃墜されていた。お付き合いなど夢のまた夢、対話すら拒まれていたのだ。


 帰宅部の健介には、人脈が無い。純粋に、(麻里にとって親しみやすかったとしても)自らの手でつかみ取った関係と言えるだろう。


「……健介くんはさ、多田さんのことはどう思ってるの? 去年の春に振られた、っていうところまでは聞いたけど」

「……痛いところをほじくり返してくるなぁ……」


 完全に治癒していない古傷が、チクチクと刺激される。


 一年前の健介が同意義の質問をぶつけられていたら、きっと保健室のベッドで寝込んでしまっていた。アキレス腱に躊躇なくメスを入れてくるのも、好奇心に体を操られている麻里の性質を感じる。


 ……あの時は、自分が全く悪くない思考でロックしてたけど。


 ほどけかけていた糸の結び目を縛り直して迎えた、一年生の生活。悠奈との接触回数が増えるにつれ、心の潮位が上がっていったのをこの胸が記憶している。


 あの日、健介は手紙に文面をしたためて下駄箱に入れた。自身が好意を贈ったのだから相手も報いようとするだろう、と好意の交換が成立する前提で。


 結果は、甘い展望を斜め上から壊すパンチとなって返ってきた。


「……正直ショックも大きかったけど、今はそんなに気にしてない。俺だって、悠奈の心情を読み取れてたわけじゃなかったし」

「ふーん……。健介くんの国語が悪いのは、それのせいかな?」

「……そうかも」


 ホワイトボードに文字おこししてみれば、事の全貌が把握できる。


 勝手に期待し、落ち込み、憎み、絶交寸前まで進んだ。この自己中心な人物は、被害者妄想をしていた健介である。


 ……恋愛にまで絆が進化しなかった。それだけのことだろ……。


 未だに踏ん切りが付かないのは、砲弾に空けられた穴が大きすぎたからだろうか。


「……麻里だって、一度経験してみれば分かる。推しのアニメ最終回より、足に力が入らなくなって立ち上がれない」

「……それって、失恋しろってこと?」

「……言葉の選び方を間違えた」


 麻里が、号令を出す一段階後ろまでやってきた。赤いフラッグが下に下された瞬間、健介の身体は宙を舞っているであろう。独裁者を怒らせると、どうなるか予測できたものではない。


 打ち付けられた楔が、前向きな発想を妨害している。物事と正対することを極端に忌避させて、都合のいい方へ籠らせてくる。


 ……責任をなんでも人に押し付けるの、良くないぞ……。


 法律で定められていない限り、シロクロは付けられない。柔軟な対応力が求められるのだ。


 麻里を一方的に『クラスの独裁お嬢様』とキャラ付けして、適当な理由で彼女のせいにしていないか。健康診断が必要なようである。


 窓の外を眺める健介と、覗き込むようにして顔色を窺う麻里。二人の距離感は、魔法で一定距離のまま変わっていない。


 授業再開のチャイムが、もうすぐ鳴ると言うところで。


「……お二人さん、何してるの? ここからいくら目を凝らしても、東京スカイツリーは見えないよ?」

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