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006 舞台裏

 お騒がせ女子たちがもつれ合って崖を転がり落ちて行った、昨日の夕方。一人無傷の健介は、猛烈な雨にも負けず教科書を守ることが出来た。


 ……麻里と悠奈、ニュースで行方不明になってなければいいけど……。


 麻里の連絡先はまだ交換していないし、悠奈に電話を掛ける気持ちは薄れていた。現時点で教室に顔を覗かせていないので、依然消息不明のままだ。


 開門するやいなや校舎に滑り込んだこともあってか、使い古されて黄色く濁った壁の部屋に人はまばら。各々がこれから始まる授業への準備に没頭していて、行く末を思い悩む健介に気を配ろうとはしていない。


 教室の扉の重さは、放射線の研究室のようだ。鉛がたんまりと仕込まれている、と風のうわさが流れてきたこともある。


 筋力の弱い生徒は、始業に間に合わせることすら困難。遅刻寸前で扉へたどり着いても、難関を突破できずに時間切れしてしまうのだ。


 大小の石が混合した質の悪い運動場には、早くもこぶし大のボールと手にした上級生が入り浸っていた。通学中の生徒には目もくれず、ソフトボールで乱打戦をしているようである。


 ……当たったらどうするんだよ……。


 やり投げ選手が観客席に放り投げてしまったとして、選手側が責任を負わないことがあり得るだろうか。競技を不正なく遂行した結果だとしても、人命にかかわる事故が発生している以上は逃れられないはずだ。


 ボールが麻里や悠奈に衝突することをイメージするだけでも、プレッシャーにすこぶる弱い健介の身体には辛かった。腐れ縁だろうが、友達にケガをさせた相手を許せはしない。


「……たのもーう!」

「……いつからその口癖になったんだよ」


 脳みそを活性化させる鍛錬場であると定義出来なくもない。が、高校を道場がワシにしたのは彼女が初めてではないだろうか。


 扉止めにぶつける勢いで金属壁をこじ開けたのは、傘を執拗におねだりしていたお嬢様だった。育ちが良くなると、筋肉の質も相関関係で上がるのだろう。


 麻里はカバンを床タイルに降ろしたかと思うと、直線距離で健介の机まで飛んできた。経路にあった哀れな机たちは、ものの見事にひっくり返っている。


「……健介くん健介くん健介くん健介くん」

「落ち着け、落ち着け。とりあえず、胸の第二ボタンを留めよう、な?」

「……これは、暑苦しいから……」

「つべこべ言わずに従った方が、身のためだと思うぞ……」


 息苦しさや熱気は一番上のボタンで議論されていることであり、それより視線を下げてしまうと見えてはいけないものが出現してしまう。表現はまだ優しいが、特殊性癖の方々に狙われないとも限らない。


 第三者の告白を受け止めたとしても、あげるのは制服の第二ボタンである。市販されているようなシャツのボタンを受け取ったところで、愛着を沸かせるのは難しい。


 ……遅刻する時間でも無いのに……。


 長針と短針が追いかけっこをしているが、二つが一直線になるにはまだ時を要する。遅刻を覚悟するにしては、あまりにも早計だ。


 ゆったりとした目で観察してみても、麻里の非日常性が伝わってくる。

 櫛を入れられず毛束が乱れた髪に、酸素不足で悲鳴をあげている胸の上下運動。百メートルをボルトと競走してきたセッティングだ。


 女子と言えばメイク、が健介の固定概念に生きる女子高生の在り方である。美しさを保つ作業を否定するつもりは微塵も無い。


 しかし麻里は、場にいない人物を挙げても良いのなら悠奈も、普段の生活がナチュラル顔なのだ。美顔補正のフィルターを立体投影する技術が使われているなら、健介はお手上げである。


「……多田さんが、多田さんが、悠奈が……」

「まず、呼び名を統一することから始めろよ……。急いでるのは百も承知なんだけどさ」


 麻里が何を訴えかけたいのかは、ちょっと頭を働かせてみれば分かることだ。


「……昨日、私が多田さんを強引に連れていったことは覚えてるよね?」

「うん……。厄介ごとがいっぺんに相殺されたのが正直な感想だけど」

「素直でよろしい。次口にしたら死刑にするから」

「……どこがお嬢様なんだ……」


 高度な教育を受けて来られた上方の口から、『死刑』なる残酷な語句が出てくるとは。大富豪の家庭は皆お上品という解釈を変える時が来たようだ。


 ここが推し時と見定めたのか、早口でまくし立ててくる。


「……勢いで連れ出したまでは良かったんだけど、そこからどうすればいいのか分からなくなっちゃって……。クラスの子がいたら、無理やり始末をつけられたんだけど……」

「ヤクザの事後処理みたいに言うなよ。悠奈に聞かれたら、たぶん昨日と同じことが起こるぞ……」


 数に物を言わせて強者を狩る、狡猾な手段を用いる者の戦術。全否定するわけでは無いが、頻繁に使用していい策で無いのは確かだ。


 麻里の断片的な情報からでも、空白のピースを予想は出来る。


 自身の正義感から逸脱した行動を見逃さない悠奈のことだ、雨粒が滴って雑音のかき消される中でもやり遂げただろう。意識を失わせて放置するほど冷酷な血は流れていないので、麻里にお灸をすえた程度にとどめた確率が高い。


 ……俺からは、中立を貫かせていただこうか……。


 どちらに加担すると、もう一方から非難される。麻里に加勢すれば健介もろとも生ける屍になり、悠奈を擁護しようとしても多数の部下に虎視眈々と誘拐を狙われることになる。


 バランス感覚を手から滑り落としてはならないのだ。ハイエナの群れと一匹狼が生息するジャングルで、自分の身は自分でしか守れない。


「……私が何度も『やめて』って懇願したのに、多田さんは……丁寧に呼ぶのもどうかとは思うけど、やめてくれなかった。雨と血の区別がつかなくなるくらい、顔を殴られた……」

「……嘘の情報だったら?」

「腕立て死ぬ気で百回でも二百回でもする!」


 まだ歪みのない清らかな関係だった頃、悠奈とゲームセンターに足を運んだことがあった。

 彼女につられて定番ゲームを消化していく中、唯一健介から誘ったのがパンチングマシーンだった。ケンカに滅法強いことは幼少期から知っていた健介が、無茶を言って誘導したのだ。


『……期待しないでいいよ? 高校生の女の子だよ、私?』


 人間アピールする悠奈が、デジタル数字の液晶にたたき出した数字は。


「……去年悠奈とゲーセンに行ったとき、女子平均を割ってたんだけどなぁ……」

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