043 過去と現在
掛け布団をきつく握りしめて出入口を封鎖した健介だったが、その必要は無かった。
常夜灯で視界の悪い個室で、悠奈は扇風機に覆いかぶさってしゃがみこんだ。空気の循環を止められても、役に立っていないのだから痛手ではない。
廊下も湿気が充満していたか、悠奈はパジャマを扇いで風を取り込もうとする。男子が寝転んでいる場所で、誘っていると勘違いされても仕方ない行動だ。
涼風を体に取り込んで、いくらか火照っていた頬が鎮まっていく。これだから、風呂上り後は判別が付きにくい。
「……邪魔しちゃったてたら、謝っておくね。でも、今日がちょっと物足りない気がして」
「自覚してるなら、部屋まで乱入しに来るなよな……」
健介が眠りに落ちようとしていても、彼女は構わず部屋に突撃してきただろう。どの道を選んでも、救われる世界は存在しなかった。
深夜テンションとでも名付けるべきか、悠奈は落ち着きがない。太ももをゆらゆら空に漂わせて、一時たりとも静止しない。
……俺の気が、夜で変わるとでも……?
街中で見かけた容姿端麗なお姉さんが入室したのなら、健介も心を惹かれて甘い夜を過ごしたかもしれない。法律上罰せられそうな事項に首を突っ込まない理性が働くかどうかは、おおよそ半分と見積もる。
悠奈は、コスプレして素顔を隠しても悠奈だ。
物腰柔らかく意見を汲み取り、適切な形に昇華してくれる。飄々と風上に立ち、後ろ髪が揺られて美しい。世間一般から見た彼女は、憧れの対象となっているのだろう。
健介は、一般男子に従わない。
友達との境界線上には、監視カメラが設置されている。越境しようとする不届き者には致死量スレスレの電流を与え、痛みを以て退散させるような設計だ。
悠奈がこのデッドラインを越えようと試みたのは、一回。意気揚々とラブレターを手渡しした、放課後の空き教室だった。
一度却下した人物を、後追いで好きになる。その感覚が、もう健介から逸脱していた。諦めの区切りを付けようとした頃合いに傷を抉り返すなど、正気の沙汰でない。
「……私と健介って、よく離れ離れにならなかったね」
「それはそうだな……。悠奈、問題集を一目みるなりナルトを量産してたし……」
「勉強のことは言わない約束! 麻里ちゃんに、健介のやらかしでも吹き込んじゃうよ?」
幼馴染でも、個人間のふれあいは乏しかった。時折顔を合わせるが、挨拶と雑談を交わすだけの存在。学校でも、積極的に声をかけにはいかない。
多岐に渡る選択の高校になれば自然消滅していくのだろう、と二人軽く考えていたはずだ。
一人旅だったゴンドラのレバーが切り替わったのが、受験シーズン真っ只中。何処からか得意教科のうわさを聞きつけてきた悠奈が、電撃訪問してきたのだ。
……基礎レベルもままならなかったよな……。
暗記系の科目が大穴だった彼女は、教科書を丸暗記しようとして気絶を繰り返していた。天才の思考故に発生する、非効率な勉強方法である。
それからというもの、月に数回勉強会を主催で行うようになった。肥料と水を周辺に置いておけば勝手に吸収して成長する悠奈を、健介は呆然と眺めていたものだ。
「……健介、熱心になって教えてくれたよね……。塾のアルバイト、素質あるよ!」
「一人で十二時間も授業を任されそうだから、やめとく。それに、生徒が悠奈だったら意味無いだろ……」
「何の意味がないの? ……幼馴染だから、熱が入った……?」
「悠奈みたいな要領よく覚えてくれる子なんか、塾に何人もいるわけないんだよな……」
全員で手を繋ぎ、山の頂点を目指して進む。互いに人間橋を架け、足跡が背中に残りながらも頂点へ登っていく。塾の教え方は、そういうものだ。
集団で教え込まれるスタイルに、健介は吐き気がしてトイレに籠っていた。進度の遅い者に合わせるなど、時間の無駄としか思えなかった。
……本質的なところで、俺と悠奈は一緒なのかも……。
相談には親身になって答えを探してくれる少女と、常に同調が優先事項である取柄の無い男子。イコールの記号で結んでしまうのは、感情に鈍感な健介でも違和感があるというものだ。
桜とイチョウの枝葉を比べると、写真だけで見分けがつく。実も異なれば、葉の色も時期によって変わってくる。
だが、二つとも植物だ。地面に根を張り、そこから水分や栄養分を得ていることは相違ない。発展した飾り物は様子が違っていても、基盤は同一になっている。
集団の中で揉まれ、淘汰されたくない。その主張が激しいのは、悠奈も健介も一緒。自力があって女子陣に溶け込まずに生活できるのが悠奈であり、金槌で頭を叩かれたくないと周りに合わせるのが健介というだけなのだ。
「……健介、良いこと教えてあげよっか」
「……宝くじの必勝法なら、引っかからないぞ。全部買うと大損になるのは、計算すれば分かる」
くじを全て買い占めて儲かるのなら、国の国庫はすっからかんになっている。ある意味国民に税金が還元されているが、国家滅亡のカウントダウンが始まるのは揺るぎない事実だ。
悠奈は、唇に添えていた人差し指を健介に向けた。寝ぼけて手を挙げたことは、数えきれない。
「明日は、明日の風が吹くんだよ? 今日は何事もなくても、明日になったら天と地がひっくり返ってるかもしれない。そう思わない?」
「点数の数字が入れ替わってほしいとは思うけどな……」
「うーん……、伝わってるような伝わってないような……。とにかく、突然ハプニングが起こるかもしれないってこと!」
「実際、今も睡眠妨害されてるし……」
睡眠にありつけないのは、事前から予想していたこと。彼女の主張には当てはまらない。
今日と明日は別物で、何の脈絡もなく天からたらいが落ちてくる。いつも通学路を歩いている時間帯だからと言って、次も同じとは限らないのだ。
お湯が必要なカップラーメンを麻里が持ってきたことも、一種のイベント。平凡に学食へ足を運んでいたら、話のタネは増えなかった。
……悠奈の意図は、どこに……?
恋愛感情の屋台は、永らくシャッターを下ろして休止状態だ。店内も掃除されておらず、ネズミの住処となっている。
彼女が一生懸命電動シャッターを持ち上げようとしているのならば、健介も容赦しない。レーザーを発動させ、手首を焼き切るのみだ。
「……話題が無いなら、退出してやくれませんかね……」
濁った台詞を、感情を司る脳が命令違反で口に出させた。
悠奈を遠ざける意思は、さほどもない。思考がはっきりしっぱなしで、折角手に入れた話し相手を解放したくない。
腐れ縁の幼馴染に、心無い言葉を吐いてしまう。脳波検査をしても、異常は無いというのに。
喉がアイロンで押しつぶされた。これ以上失言を漏らしたくない内なる健介が、防衛反応を示したのだ。
そんなこととはつゆ知らない悠奈。栄養に恵まれて育った彼女の顔は、ややあどけなさが残っていた。
「……ここで、いきなりクーイズ! 健介が寝てる布団、誰が手入れしたでしょうか?」
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