040 ギャンブル
賭け事は、人間の射幸心を高める。アクセルを踏むと底なし沼に沈むのを分かっていながら、前進を選択させられてしまう。違法賭博を警察が摘発するのは、行き過ぎた昂りによる二次被害の発生を防ぐためだ。
つまらなさそうに口をひん曲げた麻里が、正座で手遊びをしている。水を吸収して葉や花が復活したまでは良かったのだが、今度は悠奈をシャットダウンしてしまった。再起動ボタンが見つからず、異常行動を起こしたOSを強制終了できない。
「……機嫌直さないと、何にも楽しくないぞ? せっかく、お泊り会に来たのに……」
「……健介くんと、二人きりになる時間が無い……」
家を訪問してから、悠奈は健介たちにつきっきりだ。麻里に一通り一階の案内をするときも、健介は手錠をかけられてついて行かされた。
この事態を引き起こしたのは、ライバルの言いなりで面白くないお嬢様の造反。ミンチ肉を提出するつもりがなくとも、他の立ち入り禁止部屋に立ち入らない保障は何処にもない。要注意人物リストに名が載ったことで、四六時中監視しているのだ。
……俺は、先にお風呂入っちゃおうと思ってるけど。
悠奈は、麻里を単独で行動させる気はなさそうだ。
健介が洗面へ行ったところ、バスタオルが二つの塊として置いてあった。順番に入浴するのなら、脱衣のカゴが二つしか分かれていない理由が分からない。
「……マリちゃんは、何が不満なの? 私の手料理が出ないこと? それとも……」
「無料で売ってても、買う人いないよ!」
「それは言い過ぎだな。栄養分が抜かれてるわけじゃないから、健康は保てそうだし」
「……酷い言いようだなぁ……。塩コショウなんて、邪道なのに……」
机を挟んで反対側の悠奈が、服の襟をいじくっている。調味料が健康を害するという信念で、味付けを禁じているらしい。
彼女の手料理は、モノクロ写真にした味だ。素朴な風味を目指すのは良いとしても、灰汁抜きや皮むきをほとんどしないのでは不味くても仕方ない。
表面をあぶっただけの焼きなすびなど、子供が飲み込んでくれない。健康に良いと口うるさく説教されても、本能で吐いてしまう。
悠奈がよく食べている学食には、ふんだんに味付けがされてある。信念を貫けないのに、他人に食欲無添加の料理を差し出すのは辞めていただきたいのだ。
「……だって、多田ちゃんが勝手に布団の場所決めるんだもん……」
みかんをほおばった顔の麻里が、マシンガン連射で悠奈を狙撃している。水鉄砲のモデルガンでいくらストッパーを引いても、装填された水がチョロチョロ放水口から流れるだけだ。
健介が悠奈寄りになった演技を、まだ種明かししていない。偽の情報に振り回される孤高の独裁者は、上界の民からすると笑いものである。
「……決めてないよ? 何だったら、今から決めてあげようか?」
「課金なら、負けないよ!」
「……お金で場所を奪い合うんじゃない」
一緒に寝て欲しい人にお金を貢ぐ行為が『課金』なら、健介は賛成だ。漫画が発売された翌日から金欠に悩む男子高校生に、臨時収入は目がくらむ。
家柄の力を持ち込もうとする上流階級の女の子には耳を貸さず、我らのヒーローは段ボールから何かを漁り始めた。
和室の机から視線を釘づけにされた男女ペアと、無我夢中で段ボールの中身をひっくり返す悠奈。手違いで警察が乗り込んできても、どちらがコソ泥か見分けが付かない。
……就寝は、戦争になるな……。
健介が二人部屋に入ったとなると、隔離された側は納得しない。ロケットランチャーを所かまわず発射させ、落城と運命を共にする未来が見える。
特大の爆弾を背負って心身の疲れを癒やせそうと思った見立てが、炭酸を抜いたコーラだったのだ。導火線が自然発火する恐怖と、迫りくる火の玉ボールを避け続けなければならない苦しみ。とても、安眠は期待できない。
悠奈が、ようやくお目当てのものを見つけたようだ。発表された元号は、トランプの箱だった。
「……これがあれば、何でも賭けられるね。チップは……持ってないから、手計算でいいかな」
「それだと、多田ちゃんが不正し放題だよ! どうせ、トランプの絵柄をボタン一つで変えられちゃうんだから……」
「……最近のトランプって、液晶でもついてるのか?」
トランプに不正が紛れ込む可能性に言及したのまでは善戦していたが、決め球を間違えた。ド真ん中高めに、すっぽ抜けた変化球がやまなりに飛んでいく。
積雪の多い地域で、薄っぺらい信号を目にする機会はそう貴重ではない。小さくても輝く発光ダイオードが導入されたことで、横長の信号機が北部にまで侵略し始めたのだ。
この技術はトランプに代用できない。シャッフルをする度に、割れた液晶の破片が手のひらに突き刺さっていく。白紙カードだらけで、トランプどころではなくなってしまう。
トンチンカンな回答をする麻里を尻目に、五十四枚のトランプを机に裏向きで広げていく。カードの確認はさせてくれないらしい。
「……それじゃあ、これで一番だった人が寝る場所を決めるっていうことにするよ? 文句は無い?」
「……屋外で寝る以外なら、それでいい」
「……多田ちゃんは、寝るの禁止ね」
正面のお宝にしか目を向けない猪が、約一名。自身が負けた時にしらばっくれないかが心配である。
とにもかくにも、ギャンブルで就寝場所が決まる。人体三段ベッドの最下層にはなりたくない。
悠奈が提案してきたのは、インディアンポーカー。自分に見えないようカードを引いて額に持っていき、その強弱を競うというものである。
心理戦の必勝法は、相手を怯えさせること。推理に自信が持てなくなると、塩を塗りこまれて精神が崩壊する。
……こういうの、苦手なんだよ……。
人間には通じる煽り文句も、サッカーの天才である独裁者と正義執行官には例外だ。悠奈など、目が純粋で情報が何も溢れてこない。
巨大プールから水を取得するには、注水すること。余分な情報を頭に詰め込ませて、入りきらなくなった排出された心理を叩く。
麻里は、与えた水を拒絶されてしまう。己が信じるもの以外は、目の前に寄せ付けない。
悠奈は悠奈で、貰った知識を辞書に書き込んで吸収する。通常のキャパシティなら捨てざるを得ないアイテムが、彼女からは得られないのだ。
「……そろそろ、準備いいかな?」
「待って! カードが全部そろってるか、まだ確かめてない!」
疑心暗鬼は、麻里を居心地よく感じている。何か月も住まわせると、永住権を取得して離れなくなってしまう。彼女は、それまでに喜を得られるだろうか。
カードを一枚ずつ手にしまい、絵柄を確認していく麻里。蛍光灯にカードを透かして、一万円札が混入していないかを確認している。
……不正なんてしてたら、切腹するんじゃないかな……。
悠奈の血は、正義に反すると毒素が放出されるように作られている。偽って能力を仕様すれば、待っているのは自害あるのみだ。
麻里と接触する前から、彼女は正義に忠実に行動してきた。中学校など、調子に乗って相手を傷つけたのを感じて、彫刻刀で手首を切りつけようとしたのだ。
「……私が不正するなんて、心外だなぁ……。マリちゃんが用意したトランプの方が、よっぽど信用できないよ……」
「それは言えてる。麻里には申し訳ないけど」
「……それ、私に筒抜けだよ……? 目の位置、三百六十度回転させちゃうよ?」
「元の位置に戻ってるんだよなぁ……」
麻里がトランプを用意したとなれば、絵柄や数字は勿論のこと、身体検査をくまなくしなければ気が済まない。プリペイドカードで独り勝ちされないよう、財布の中身まで検査して没収しなければならなくなる。
信頼は、一朝一夕で勝ち取れない。条約で禁じられた事前交渉未遂や、事実隠蔽の前科があると、友人ネットワークへの社会復帰は難しくなるのだ。
……信頼関係も、大事だな……。
視野の狭いお嬢様を見守る悠奈が、伝説の聖母と瓜二つに見えてきた健介であった。
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