037 ようこそ道場へ
極秘事項は、漏らして欲しくない場所に限って漏洩する。テストで逆張りをせず答えて不正解だったのは、テスト作成担当を恨んだ。
次に麻里が空き缶を見つけられてしまえば、健介の顔面にクリーンヒットする。ハーフラインからゴールを狙い撃ちするサッカー少女にかかれば、垂直に円柱を持ち上げるだけの簡単なお仕事だ。
「麻里、落ち着いてくれよ……。俺と悠奈は幼馴染だから、小学校の時から電話番号を知ってる。決して、麻里の教えを破ろうとしたわけじゃ無い……」
「……そうだよー。なんやかんやで、会うこと多かったからね……」
健介の腕にもたれかかって過去を再生している悠奈。初期消火が求められる火事に石油を投入しないでいただきたい。
不可抗力で命を狙われるとは、健介も不幸の星に生まれたものだ。天体が爆発を起こして消滅する現象を応援する日がやってくるなど思いもよらなかった。
「……これは、健介くんと言えどどうなのかな……」
リードに繋がれていない野犬が、健介の周りをうろついている。尾を踏んで飛び掛かってくるのがいつか予想不可能。タイマーの見えない時限爆弾が腰に巻かれていた。
「……健介くん……。 多田ちゃんの家に行くんだから、ある程度親しくなるのは許すけど……」
下唇を奥歯で噛みしめた麻里は、サッカーボールの代用品を探している。誰かが放り投げた手榴弾も、気にせずリフティングを試みるだろう。三人一緒に天へ昇るのなら、悔いはない。
悠奈と麻里は、火炎放射器と放水機の矛盾対決なのだ。一方的にエネルギーを注入しては、第三次世界大戦で地球の表面に爆風が吹き荒れる。
バランスを保つ役は、いつの時代も不遇を受ける。あちらを立てればこちらが立たず、外部の人間からは罵倒を浴びせられてしまう。成功させても目立たず、称賛の一声は挙がらない。
……親しいのは、分かってるだろうに……。
連爆の巻き添えを食らわないためにも、健介は麻里とも手を繋いだ。両手に自決用青酸カリを持った状態だ。この世からいつでもオサラバできる。
コーヒーまみれになった入り組む路地裏は、清掃員がいない。腐敗したゲロが、烏らに処分されるまで花壇に残存していたこともあるのだ。
足の裏にも、いくらかの汚い飲みかけが染みてしまったのだろう。地面を踏むごとに、にわか雨で土砂降りになった日のことを思い出す。
「ねえねえ、健介。人生って、転機が突然やってくるらしいよ? その時の選択肢で、明るいか暗いかが変わるって」
「……俺が悠奈と同じ高校になったことも、運命だって言いたいのか……?」
精神の占い師を信じてしまった口ぶりに、半ば呆れ口調で答えを返した。
「そうだよ! 確率で考えたら、あり得ないよ? 私と、健介と、マリちゃんと」
悠奈の仲間には、麻里が含まれている。
彼女が健介へ積極的に関わるようになってから、まだ二、三週間余り。麻里とつるんでキャッチボールをした時間は、それよりも更に少なくなる。
心技体で、同じく天才としての共通点を見出したのだろうか。全ては、悠奈のとろける笑顔に消えていく。
短時間でも接した人を友達扱いするのは、孤独で人間関係に飢えている麻里も同じ。そろそろ、名前を漢字で覚えてはどうだろう。
「……たまには、多田ちゃんも良い事言うね。私と、健介くん……。これも、定められた結末なんだなぁ……」
「ちょっと待て。悠奈は入れないのか?」
他人への尊敬心が芽生えたかに思われた麻里だったが、淡水魚は大海原に出られない。関所で突き返され、元の彼女が戻ってきた。
狭い路地を抜けると、古めかしい木の看板が掲げられた道場が見えてきた。『武道で健康な心を育む』など、大昔に塩漬けされたキャッチコピーである。
武道着には到底なれない白黒ストライプの服を着用した悠奈が、顔色を変えずに門をくぐった。地面に仕掛けられた鳴子を丁寧に躱し、入場してから家に一礼する。
……いつ見ても、大きい建物だな……。
抜け駆け禁止で引きとめるつもりだった麻里が、足をコンクリートで固められていた。筆で描かれた表札と、武道の娘とは思えぬ悠奈を代わる代わる見比べている。
「……健介くん、冗談、だよね……? 多田ちゃん、道場破りに付き合わせるなんて、非常識だなぁ……」
「自分の家を倒してどうするんだよ。……それに、たぶん多田家の代表は悠奈だし……」
多田流道場は、無期限休止中だ。白壁の張り紙にも、サインペンで休止の旨が書かれている。費用対効果が心配になってきた。
第何代かは記憶から抜けたが、悠奈は道場の師範。庭園に安置されているヒビの入った丸石は、高校一年の彼女が一週間修行した成果らしい。
終始天狗の鼻を伸ばしていた麻里が、息を止めて目を合わせてきた。
「……ほんとう、なの……? 多田ちゃんが、一番……?」
「麻里は知らなかったんだな。悠奈、小学校のケンカで無敵だったんだぞ?」
正義縛りが緩かった熱血少女は、年少期に連勝記録を荒稼ぎした。争いに明け暮れる日々に意義が見いだせなくなり正義のためだけに力を使うと意志を深めたのは、もう少し後のお話である。
「……マリちゃんも、健介も、おいでよ!」
無造作に置かれていたダンベルを片手に腕を振る悠奈が、今日ほど頼りに見えた日は無かった。
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