036 地獄か、はたまた地獄か
学生が待ちわびる日の第一位は、夏季休業。勉学に励む身で授業料を支払ってもらっているが、その実態はどこまでも子供じみている。
まるまる一か月もの休暇をやんちゃな高校生に与えようものなら、どうなるか。繁華街に繰り出してトラブルを起こし、準備体操もせずに海に飛び込み……。若者はろくでなしだと老人ばかりが出演する番組でサンドバッグになるのも無理はない。
健介とて、そのろくでなし学生グループの一員だ。列車で一人遠方まで出向き、のんびりとあたりを観光する。毎年の習慣となった旅行は、疲労が染みわたった脳を潤してくれる。
ゴールデンウィークに突入した今日は、高速道路が恒例行事の渋滞を引き起こしているらしい。アイドルの握手会がサービスエリアで行われているのではないか、とわざわざ自転車で現場周辺に出向いた中学生の健介は馬鹿だった。
……大型連休って言っても、四日しかない……。
定年退職後の老人生活を送れる夏休みと異なり、ゴールデンウィークは長くて五日。運が悪いと、両端を平日で切り落とされた三連休になってしまう。
遠征で疲れ切った体を癒す猶予が与えられていないこの休みを、スナック菓子と撮り溜めのアニメで過ごす。健介の計画は、完璧だった。
「……健介くーん、浮かない顔してるよ? ハーレムだって言うのに……。多田ちゃんが女の子かどうか怪しいけど」
「ハーレム、ねえ……」
魔のインターホンで連れ出された健介は、悠奈と麻里に先導されていた。犯罪者として拘置所に連行されているようで、いい気分はしない。
休み初日の太陽は、地平線の向こう側へ今にも消えようとしている。鮮血とタバコの灰をブレンドした空が、一日の終焉を告げていた。地球最後の日なら、涙して敬礼するところである。
脳まで筋肉に変質したクラスの女帝と、悪党の血を継ぐ正義執行官の幼馴染に並ばれている。ライトノベルでハーレムに夢を見出した中二病健介も、人外に挟まれたくは無かった。
……予定が埋まっていいのやら、悪いのやら……。
三人が向かっているのは、悠奈の家。身柄を移送して監獄に収監されるのではなく、一晩泊まるのだ。
怪しい行為を見逃さない悠奈は、自宅でも手刀を研磨剤で洗うだろう。オフシーズンの彼女を見られる期待感と、悪を根絶する義賊の二刀流。やや好奇心が勝った。
きっかけは、一本の電話だった。
『健介、私の家に来てみない? ……その、お泊り会って言うか?』
幼馴染で交流が家族ぐるみであり、お互いの電話番号ももちろん知っている。麻里から『連絡先を交換するな』と釘をさされているが、無駄にプールの水を泡立てるのと変わらない。
受話器の向こうで、悠奈は何の覚悟を持っているのか。スーパーボールが弾む彼女の声に押されて、探りを入れる前に約束は成立した。
眼球が飛び出して失明しそうになったのは、麻里が計画に乗っかったことだった。
悠奈を極端に中央政府から遠ざけようとする麻里は、相手に理があろうと反対意見を述べる。大のトップが敵の一兵卒に同調していたのでは、巨大組織の統率を保てない。
お泊り会は、私的時間を使うもの。下剋上を常に狙う部下たちから解放され、羽を休めたかったのだろうか。
……二人が組んでる可能性は……?
磁石のプラス極同士は、くっつかない。途中で真っ二つに切断しても、断面の極は変わらないのだ。
むしろ、彼女たちがペアを結成しないように神が調整を施してくれている。単純な武力がピカ一の悠奈と、集団を操る積極的な智将麻里。連合軍を組もうものなら、近隣の弱小派閥を取り込み、瞬く間に日本は陥落してしまう。
「……インターホンを押した時、なんですぐ出てくれなかったの? 寝てたわけでもなさそうだったし……」
「ああ、あれは……、画面が不具合で映らなかったんだよ……」
インターホンカメラには、悠奈の微笑みで画面が埋まっていた。背後から、健介の名前を叫ぶ麻里も聞こえた。今日で、近所にも一軒家のバカ息子が『健介』だという噂が広まったことだろう。
居留守でアニメ視聴に戻ろうかとも思ったが、純度百パーセントの悠奈には逆らえなかった。
炭素の多い鉄釘は障害物をぶち抜いてしまうのに対し、少なくしたものは見事に固い節を避ける。邪な裏の顔が、顕微鏡レベルで発見されなかった。
……体が動かなかったんだよ、出るまでは……。
ジュースの飲みすぎで、腹を下していた。緊急で入った約束など、反故にしてしまえばいいと軽く見ていた。
「……頬をつねったら、夢かどうか分かるらしいよ? 寝ぼけてないか、つねってあげようか?」
「それは人の皮膚に使うものじゃないよな……」
健介から見て左をひた歩く麻里は、バッグからペンチを取り出した。工学で刺さったものを引っこ抜く、少々乱暴な使い方をする道具だ。
……四次元空間にでも繋がってるのかな?
麻里が持参する大き目の肩かけバッグからは、想像の一歩先を行く品物が飛び出す。縮小して飼っているサメに襲われることを想定したら、人食い虎が屏風から出てきそうだ。
健介に拒否され、つまらなさそうに渋い顔でペンチを元へ戻した。
麻里には、全身に監視カメラを取り付けてしまってはどうだろうか。四六時中悠奈に映像を見守ってもらい、異常事態が発生した時には警備員に駆けつけてもらうのだ。
他人に負担をかけるなと人権擁護団体から非難の手紙が届きそうだが、間違っても風呂場の映像を目にしたくない。前科付きの中卒など、初めから敗北を課せられた就活生である。
「……健介は、家に来るのイヤ? 無理やり連れてきてるなら、申し訳ないけど……」
「そう落ち込むなって。ほら、機嫌直してくれ」
健介は、不穏なオーラを生み出した悠奈の左手を握る。自ら悠奈へ働きかけたのは、進級してから、いや告白を拒否されてから初だ。
地面に転がっていた飲みかけのコーヒー缶が、目の前に打ち上げられた。会社員の腹いせで握りつぶされたスチール缶から、茶色い液体が力なく噴き出した。
缶に動力を与えた犯人は、天秤を傾かせたことに湯気を差し向けた同級生の女子であった。
「電話に出た時の健介、やる気が全くなかったのに……。私って、人をやる気にさせる天才?」
「……電話をかけた……?」
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