029 開戦の火蓋
アップを終えて麻里がベンチに帰ってきてから、悠奈をずっと問いただしている。人目に付かない路地裏だったならば、拷問器具が唸り声を上げていただろう。
チョコレートを今年一欠けらも貰っていない健介は、鼻血をティッシュで封じ込めるので手一杯。運動不足でまともに体を動かさないまま、遂に試合開始の時がやってきてしまったのだ。
サッカーボールは、コート中央に鎮座している。日本名物おにぎりを争って、二十二人のやんちゃな高校生が狭いグラウンドで得点を競い合う。
テレビ放送との特異点は、男女混合であること。とは言えど、女子をチームに含めているのは健介のクラスだけ。バス会社や運送会社も目を疑う深刻な人員不足だ。
麻里の強権政治から比較的外れている男子陣が拒否権を行使した結果、チーム構成は健介を覗いて女子だらけになってしまった。アメリカや旧ソ連がにらみ合っていた冷戦でも、ここまで拒否権が濫用されることは無かったのだから驚きである。
……目線が白いよ……。
麻里と親密な関係を築く健介には、女子陣から非難のまなざしが降り注ぐ。昭和を代表するスターと同じ舞台に上がれたと思うと、悲し涙が止まらない。
この高校で彼女を作るのは、諦めた方が良さそうだ。クラス替えの乱数調整が起こらないのでは、嫌悪感を拭い去れない。麻里と手を切る理由も無く、健介の青春は二年弱を残して閉幕してしまった。
「……気合が入るね……。どこから、片付けてやろうかな……」
「なんで、麻里がここにいるんだよ……」
主将に選出された麻里は、流石の気迫。目には風で消せそうにないガスコンロの炎を宿し、肩慣らしとばかりに腕を回している。先日の公園練習で悠奈にトライされて、ラグビーとルールを混同していないかどうかだけが心配の種だ。
決戦の地となるコートに集まった勇者は、実に十四名。足りない分は、全員コートの隅で女子会をやっている。
相手方は、屈強なサッカー部員の男子を含む十一人。対して。こちらは天才少女の麻里を要する三人。頭数が、全く足りていない。
両チームのゴールキーパーを除くと、一人で五人をマークしなくてはならなくなる。健介など、タイマンの勝負でもボールを奪える気がしないというのに。
……守る奴、誰もいないじゃないかよ……。
フォワードが二人と、ゴールキーパーの麻里。フィールド上で守備に参加するのが守護神だけとは、ヤクザに鉄砲玉をカチ入れられるのは至極真っ当なお話である。
「……さあ、スタートのホイッスルで、一気に敵陣に斬り込むよ!」
「……麻里って、ゴールキーパーじゃなかったっけ……?」
「それは知ってる。特定のエリアで手が使える、ただの攻撃役だよ?」
攻守が入れ替わるサッカーで、守り手を不在にするのは自滅もいいところだ。瞬間移動でゴール前まで戻って来られる脚力は、陸上部の期待の新星悠奈でも得られていないのだから。
雲一つない快晴の空に、健介はお卒部されそうだった。高気圧で、足がやせ細った地面に食い込んでいる。その気になれば、悠奈が地に落とし穴を作れてしまう。
……負けたら、戦犯で仲良く祭り上げられるぞ……。
ピラミッドのカーストが強固なクラス内では、目立った者負け。権力と実力に物を言わせて人を支配できない、逆境を武力で切り拓けない平凡な男子は捻りつぶされる。
悠奈は、クラウチングスタートの姿勢で静止していた。ゴールネットに噛みつく目は、物陰からチーターが獲物を観察する素振りである。
「……健介くんは、忠実にパス回しをするだけでいいから。間違っても、シュートだけはしないように!」
「それすら難しいんだけど……」
ポットでお湯を沸かすかのように言ってのける麻里だが、初心者はパスの方向もままならない。よちよち歩きの幼児に立てと命令しているような気がする。
生命線の審判を担当するのは、一応サッカー部だ。少人数サッカーで頻発するオフサイドを取ってくれそうで、一安心だ。
蹴り出すのは、相手方。初っ端から守勢に回されて、成すすべなく敗退はしたくない。
「何も、心配することなんかない。お祭り騒ぎをしておけばいいの!」
麻里が近寄ってきて、肩甲骨のど真ん中に情熱注入をされた。ドーピングで失格にならなければいいが。
「……もし、負けたら……?」
「そうだなぁ……、私たちの座席が無くなるんじゃない? 空気椅子ならトレーニングできるから、むしろお得かもしれないけど」
「……そこは文句を言わないのか……」
絶対的な独裁者であるが故に、権力の失墜を恐れる者は数知れない。市民に街中を引きずり回され、国家の敵とつるし上げられた挙句さらし首になる恐怖は、夜をも眠れなくさせるだろう。
麻里は、その真逆を行っている。自虐ネタで笑い飛ばし、敗北の画面など見たことがない風格を匂わせる独裁者は、後にも先にも彼女しかいない。
……頼もしいのか、頼もしくないのか……。
不満を唱える女子の意見を封じ込める、抑圧的な極悪非道の女。かたや、家の事情で進路を定められた悲劇のお嬢様。意地を張って大けがをしても、次回には必ず戻ってくる。
「……ラフプレーされたら、すぐに言ってね。私には、健介くんしかいないんだから……」
「……誰がケガするかよ」
ベールに包まれた正体は、孤独な女の子である。
長年付き合わなければ、人の本性は見えてこない。社会貢献で話題の有名人も、蓋を開けてみるときれいごとで塗り固められただけ、と言うこともある。
健介が、全くときめかずに関係を保っているのがおかしな程。もはやカップルではないか、と彼女から突っ込まれることもあった。
……恋愛って、意外と複雑に絡み合ってる。
健介には、まだ幻影が根強く生きている。お互いに告白を断る、異常事態。それを経験して尚、脳は成功体験を忘れられない。
悠奈の影を、いつまでも追い続けているのだ。
『まもなくキックオフです。選手は所定の位置についてください』
校舎外スピーカーから、試合開始のアナウンスがされた。
「……いよいよだよ、健介くん。……気楽にいこうよ」
ゴールキーパーの麻里が、腰を低く落として構える。場所は、コート中央だ。
ホイッスルの爆音と共に、健介たち三人の戦いは幕を開けた。
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