019 ここは公共の場です
気分の高まりようがない、堕落しきった雰囲気。天井に付いた塵をはたいても、体を動かして逃げる事を拒否しそうなクラスの様相である。
クラスの委員長が場を取り仕切り、事前会議で決まった事項を垂れ流す。説明そっちのけで参考書とノートを机に広げる不真面目くんを注意しようとはしない。
サッカーという球技は、ボール一個でゲームが成立するのがメリット。資金力に乏しい国や学校でも練習し放題で、より才能を見出されやすいスポーツと言える。
……だからって、クラス全員でやらなきゃいけないのか……?
職員会議と部長会談で自動的に定まったイベントは、生徒が何といおうと実行される。拒否権が与えられているのは、高校の総責任者である校長だけなのだ。
黒板を照らす電灯が電池切れで、この無計画なサッカー大会の未来を暗示している。蛍光灯ならもっと不気味な空気を演出できたのに、と健介の意識は自席から離れていた。
原稿をそのまま読む委員長を差し置いて、ピンクのヘアピン女子が手を挙げた。肘が一直線に伸びていると、見ていて気持ち良くなる。自信家の彼女が下手に出るのは、不安定な土台に両足を置いている時しかない。
指名されるのを待たずして、情熱に燃えるスポーツ少女が疑問を投げかけた。『今日の予定』と記された黒板にも質疑応答の時間は用意されているのだが、おかまいなしだ。
「……サッカーのスタメンって、どう決めるんですか? やる気の無い人を選んでも仕方がないので、有志を募るべきだと思います!」
悠奈は上体をやや捻ると、健介にウィンクした。事実上の出場要請である。周りの男子がざわめき立ったのは言うまでもない。
……悠奈は、何も知らない男子からの印象がやけに高いんだよな……。
彼女は、手と足を封印さえしてしまえば理想の受け身少女に大変身する。言動に中二病が混ざる熱血スポーツ少女が、人気を出せずに売れ残ることがあるのだろうか。
悠奈と付き合う上で足枷になるのが、彼女の異常なまでの正義感だろう。
規則から胴体を乗り出すと、すぐに水平薙ぎで地面に転がり落ちる。友達であり幼馴染でもある健介にさえ容赦がないのだから、恋人が出来ようとも手加減はしない。
「……では、陸上部で足の速い多田さんは決定と言うことで?」
クラスのまとめ役を率先して引き受けるのではなく、時間を引き延ばしてチャイムを迎えたい欲望が隠せていない。
議論に積極的な姿勢を見せる生徒が多いクラスなら、野次や空き缶の一つや二つが宙を舞う。利益を分配せず独り占めする独裁者はただちに排除され、直接民主制で暮らすが運営されていく。
対して、健介たちの学級は地盤から枠まで白アリに食い荒らされている。進行能力ゼロの司会を選出したのも、推薦でランダムに決定されることを誰も止めなかったからだ。
……麻里は、下からの圧力を押さえるだけで精いっぱいだし、なにより学校から目を付けられて立候補すらさせてもらえないし……。
大魔王と恐れられる麻里を学校会議に据えた方が劇薬になりそうなものだが、面倒事を起こされたくない学校が被選挙権を奪い取ってしまっている。いつの時代も、波乱の平等より安定した腐敗が好まれるのは変わっていない。
「……それでもどうぞ! どうせ、出るつもりだったし……」
圧力で悠奈を密閉容器へ押し縮めようとしたのだろうが、彼女に裏技は通用しなかった。酸素を燃料にして火花が散る火薬庫に、みすみす火花を供給してしまったようなものである。
「多田さんが出るなら、私ももちろん出るよ! 委員長、ふたりの名前をよろしくね」
誘爆で、世界の独裁者麻里の闘争心に火が付いた。これで、二コンボ達成だ。
悪の帝国が名乗りを上げたことで、悠奈に追従しようと挙手の準備をしていた軟弱男子軍団が凍り付く。かわいこちゃんとサッカーをしたいのはやまやまだが、触れてはいけないあの人に目を付けられるリスクは負えないと言うことだ。
……この二人が絡んで、いい方向に転んだ試しが……。
悠奈と麻里が居合わせた日で、健介が巻き込まれなかった日は無かったはず。騒動に引き込まれ、向こうから事件を起こし、化学反応の余波で被害を受け……。結果丸く収まったとしても、健介のプラスにはなっていない。
「……マリちゃん、職権乱用はいけないよ……? 私はちゃんと許可されたけど、マリちゃんは何も言われてないよね……?」
「やれるなら、いつもみたいに攻撃してきたらどーう? それに、この中で一番サッカーが上手い自信もあるよ?」
プライベートにはとどまらず、公共の場でもミサイル合戦が開催されてしまった。
東方、全クラスメートが恐れおののくカリスマリーダー麻里。西方、孤立をいとわない一匹狼系スポコン魂悠奈。戦闘力の差は歴然だが、麻里にはそれを補う人員がいる。
……よりによって、クラスの場でやるなよ……。
健介が硫酸をぶちまけて仲裁をしようとしても、彼女らの動き出した動力機関は止められない。純粋な運動エネルギーで、太陽系の外まで吹っ飛ばされてしまう。
「……ふーん、よっぽど負けず嫌いなんだね。小手先の技術が上手くても、ドリブルスピードには敵わないよ?」
「サッカー初心者にやられるほど、経験者を舐めないでくれるかな?」
チャイムが鳴るまで、二人の自慢合戦は続いたのであった。
ブックマーク、いいね、評価をして下さると大変更新の励みになります!