第9話「分かっちゃうんです」
(1)
湯気の立つカップを手に、天野狩葉独裁官は語る。
「結局、独裁官が足りないっていうんだからぱぱっとやるしかないわけよ」
「はあ……」
向かい合って座る良平はカフェオレを、その隣の三町はアイスコーヒーを飲んでいる。
七つ並んだ独裁室と同じフロアにあるカフェ「十戒」に三人はいた。
「気のない返事ね。分かってる? 自分が選ばれるに至った経緯、多様性社会を目指したが故の苦難を」
「まあ、多少説明はしましたし、学校でも習っているとは思いますけれど……」
(ああ、あれかな……)
ノコと出会った夜に「読んでおいて下さいねー!」という一言と共に三町から送られてきた電子ファイルのことを良平は思い出した。
独裁官の成り立ちや責務について記されたそれはとても膨大で、まだ半分も読めていない。
濁すような言い方をした三町に、狩葉は更に気を悪くしたようだった。
「ふん。教科書じゃなくて現実を見せるべきでは? そんなに綺麗にまとまりませんよ、今の時代の日常は」
「……すみません」
(三町さんが天野さんに謝ってる……。立場は逆なのに……)
呆気に取られながら、良平はそう思った。
それ以前に、こんなに喋る狩葉を見るのは初めてのことだった。
そんな良平のことは意に介さず、狩葉ははあ、と息を吐いて、
「謝らなくていいですから、ありのままを教えてあげたら良いんじゃないですか? 三町さん?」
「そうです、ねぇ……」
品定めするように二人に見つめられて、良平はただただ居心地が悪かった。
今すぐにでも逃げ出したいくらいだ。
「……何か、教科書には書かれていないような問題があるんですか?」
おそるおそる良平が切り出すと、三町も同じようにぽつぽつと語り始めた。
「うーん……裁判の件数が増えて人員が不足した、って所までは分かりますよね? 多様性を重要視するあまり、何が正しいのか分からなくなった……という、今にも続く問題です」
「はい」
人手が足りないことを理由に、一般の大人に与えられていた裁判権が未成年にも与えられることになった。
ただ、ひとつの条件として「被害者」であること。被害者支援特例制度はそのために創られた法であるとも言われている。
近代の社会学に強い良平にはそこまでは分かっていた。
(けど、そんな簡単に裁判官になれるものなのかな?)
そんな良平の心を見透かしたように、三町が言葉を紡ぐ。
「裁判官を増やすといっても、ほら、平良さんとかって子供じゃないですか!」
「……ですよねえ」
良平は二の句が告げなかった。
若年裁判官を引き受けてから今まで、最も疑問に思ってきたことだ。
独裁官という立場に必要な頭脳もスキルも何ひとつ良平には無い。
何をどうすれば良いのか、何ひとつ分からない。
独裁官──かつて裁判官や検事などと呼ばれた職業は、数年から十数年を掛けてようやく名乗ることを許されるものだったはずだ。
「そこで、です。ユマホ、出していただけますか?」
三町にジェスチャーで催促されて、とん、とん、と良平は己の胸をタップする。
相変わらずのにこやかな表情でノコが現れた。
ノコを一瞥して三町は頷き、
「ノコに、先程の百合野百合根と津吹悉の判例について訊いてみてください」
「え? えーと……」
戸惑う良平に、
「二人の名前だけで大丈夫です!」
そう告げられて、良平が言われた通りに二人の名前を伝える。
「判例……って、分かる?」
「う~ん、少々お待ちください~」
ノコは数秒の沈黙の後、
「原告、百合野百合根は被告、津吹悉に拠り金銭の授受を巡る脅迫を受けていた。並びに、被告は彼女の自宅に侵入し、時計を始めとする貴金属の窃盗も働いている」
いつもとは全く異なる明瞭な発声で話し始めたノコに、良平は目を剥いた。
(これって、さっきのアポロみたいな……!)
「何でもお見通し! とか、そんな風に思いますか?」
「え、いや、そんなことは……」
「いえいえ! これがユマホ! ユマホの力です! と、言いたいところですが」
そこで一度息を吐き、三町は声のトーンを落とした。
「『切符』で分かっちゃうんです。誰がどんな悪事を働いたか」
「へぇ、そこまで喋っちゃうんですね。良いんですか? 三町さん」
窘めるような狩葉の台詞に、
「良いんです良いんです! 隠して疑われるよりはマシ! 綺麗に話しちゃいます!」
三町は目を爛々とさせて笑った。
「『切符』って、僕たちの中にあるあの『切符』のことですか?」
「もちろん。国民であることの証明として、誕生と共に身体に埋め込まれる『切符』。私のユマホからの説明もお聞きになったと思いますが……少し、不足している部分がございます」
聞いてはいけない話を聞かされる。
そんな気配を感じて、良平の喉がごくり、と鳴った。
「公的な機関への手続きなどで、自分が何処の誰なのかを証明するために使われる──それが『切符』の表向きの存在理由です」
「表向き……?」
「はい。そして裏側について、お話しさせていただきます。私たちが生きているこの『国家』。その中央から各公的機関に繋がっている電子システムを使えば、分かってしまうんです。『切符』を通して──視覚、聴覚、嗅覚などの個人が持つ感覚。更に、それに伴う感情の起伏──」
その時の脳波の動きまで──。
小声で話す三町の台詞を聞いて、良平は背筋が凍るような感覚を覚えた。
(全て見られている……?)
「あはは! 喋っちゃいました! ……誰にも言っちゃいけませんからね」
言ったらどうなるか分かりますよね? という呪いを込めた言葉が、良平の鼓膜に響いた。
「ノコに続きをお願いしていただけますか?」
「……? ノコ?」
言われるままにノコに声を掛けると、
「過去の判例から判断し、被告を懲役三年とする。被告の過去の行い、育成環境等は考慮しないものとする」
そこまでで話し終えたらしく、ノコは「どうかしました?」と言うような表情で良平の顔を覗き込んだ。
(懲役三年、それはそうなのかも知れないけれど、その後の言葉は……?)
訝しむ良平に、
「昔の人が言っていた『情状酌量』なんていうものは無いってことよ。『こうだから仕方無い』とか『そんなつもりは無かった』とか『同情の余地がある』とか、そんな時代じゃないの。被害は被害、加害は加害。現実に起きたことを、そのまま裁く。それが──」
わたし達、現代の独裁官なのよ。
すずっ、とコーヒーを啜って、超等裁判所独裁官、天野狩葉はそう告げた。
良平と同い年である彼女の冷めた物言いは、達観しているような、諦めているような響きを孕んでいる。
「判例やら何やらは全部ユマホがやってくれるわ。原告が暴れ出した時の対処もね。わたし達が言うべきことは『有罪』か『無罪』か、そして『有罪』だった場合の『懲役年数』。それだけよ。簡単でしょう?」
「……それって、ユマホがあれば人間は要らないんじゃないの……?」
以前にしたものと同じ問いを向ける。あの時、クラスメイトが言っていた言葉を良平は思い出した。
(『どうしてお前なんだ』って……僕が知りたいよ)
狩葉に向けた問いに答えたのは三町だった。
「働くのは機械だけれど、機械を動かすのは人間。それが逆になってはいけない。そういう鉄則があります。あくまでも材料を集めるのがユマホで、判決を伝えるのは人間。そういうことになっています」
「……難しい、ですね」
腑に落ちていない良平の肩に手を添えて、
「これから忙しくなりますよ」
三町は微笑んだ。子供を諭す親のような口振りに、良平は不承不承頷くしかなかった。
(2)
「それじゃあ、もう一件。別の独裁官の裁判もご覧いただきましょうか!」
「はあ……」
次の独裁判へと向かう狩葉を見送って、良平と三町も歩き始めた。
カフェ「十戒」も閑散としていたが、円柱のフロアにも他の人間の姿は見られない。
三町のヒールの音が響くように鳴る。
「こちらの部屋です! ささ、どうぞ!」
「第三法廷」のプレートが飾られた扉を開き、三町は良平に入室を促す。
おそるおそる良平が歩を進めると、
「懲役三日を言い渡しますっ!」
台詞の内容とは真逆の、明るい声音が鼓膜を打った。
びくっ、と身体を強張らせた良平の存在に気付いたのか、
「あら、見学ですか? どうぞどうぞ」
もう終わってしまうところですけどね。そう結んで、独裁官であろう少女は微笑んだ。
長谷部桃花と名乗るその独裁官は、良平や狩葉よりもずっと幼く見えた。
独裁の終わった第三法廷。
少女は豪奢な椅子から立ち上がり、良平と三町が立つ扉の前までやって来て綺麗なお辞儀をした。
緩くウェーブの掛かった髪に水色のシャツの出で立ちは、何かの絵画から現れたようだと良平は思った。
「平良良平さん! 素敵なお名前ですね」
両手を合わせて微笑む彼女を指して、
「若年裁判官、長谷部独裁官──年齢で言うと平良さんの二つ上になりますね」
「えっ!?」
三町の台詞に驚く良平に、
「独裁官としては更に更に先輩ですよ」
そう続けて、桃花はにこっと笑った。
「見学なら、事前に言っていただければ調整しましたのに」
「いえ、こちらこそ突然ですみませんでした。どちらかと言うと、長谷部さんからは職務そのものよりもモチベーションについてお話しいただきたくて、ですね……」
「あー……天野さんからはお聞きになっていないんですか?」
「……? モチベーション、ですか?」
何を訊かれているのか理解できず、良平はおうむ返しに言葉を発した。
「モチベーション、と言うよりは目的ですね。独裁官、特に被害者支援特例制度から生まれた若年裁判官達はそれぞれがある方向の未来を目指して活動しています」
「未来……目標のようなものですか」
三町は更に言葉を紡ぐ。
「例えば天野独裁官、彼女は復讐の為に日々の独裁を行っています。それが良いか悪いかについては、我々が口を挟むことではありません」
「復讐」という強い言葉に、良平は眉をひそめた。けれど、いつも機嫌の悪そうな狩葉のことを思い出すと、似合う言葉だとも思った。
「わたしは悪いことだとは思いませんよ。目的が何であれ、彼女の独裁で救われる人々は確かに存在しているんですから。そしてわたし、わたしはですね──」
三町の台詞を引き継いで、桃花が話し始める。
明るく、穏やかな声音だった。
「交通事故の防止と、育ててくれた施設への恩返しです!」
「恩返し、ですか」
「ええ。わたしは、手動運転の車両による事故で両親を失い、養護施設に救われました。若年裁判官に選ばれた時は本当に嬉しかったんです。これで、恩に報いることが出来るって……!」
「……素敵です。素晴らしいことだと思います」
思わず良平が口にした言葉はそれだった。
(自分のような被害者を増やさないように、そして育ててくれたひとに恩返しをするために、か……)
桃花の台詞を反芻しながら、同時に不可子が言っていた言葉を良平は思い出した。
独裁官はヒーローだ、と。
「でも、確かに十分なお給料もいただけているんですけど、ひとつだけ」
改めたいことがあると、桃花は口にした。
「『情状酌量』や『故意ではない傷害や破損』については、認めてほしい。それが若年裁判官として、今のわたしが望んでいることです」
「……なかなか、難しい問題ではありますね」
いつもとは違う、歯切れの悪い三町の返答を聞いて良平も訝しんだ。
(「被害」は「被害」って、天野さんが言ってたアレか……)
「『懲役三日』、それがあなたのユマホの今の限界ですか」
「ええ。ね、コンちゃん」
桃花が右手の親指と人差し指をパチッと弾くと、彼女の傍らにホログラムの獣が現れた。
「キツネのコンちゃんです。可愛いでしょう? ……この頃はちょっと無口になっちゃって寂しいんですけどね」
「しつけが出来ている証拠ですよ。……先程の独裁はどのようなものでしたか?」
「コンちゃん」を一瞥して、三町は桃花に問い掛けた。
自分ではなく良平に説明してあげなさい、というように手でジェスチャーをする。
「『傷害』に当たりますけど、わたしは『故意ではない』と思っています。たまたま手にしていた工具に、被害者の方が近付いてきた──それを『加害』と見なされた」
「そう認識した根拠は?」
「切符から取り出した視覚データと発声データ。それに加えて、『被害者』が被害者支援特例制度に魅力を感じている、という外部の人間の証言です」
(外部の人間の、証言……?)
「わざわざ、周りに訊きに行ったんですか。相変わらずですね」
良平が抱いた疑問を三町はそのまま口にした。少しだけ馬鹿にするような、冷たい口調だ。
「ええ! 『切符』から取れるデータが全てではありませんから。被害者も加害者も人間ですから、話を聞いて初めて分かることもありますよ」
三町の物言いに狼狽える様子もなく、微笑みを浮かべたまま桃花は良平に語り掛ける。
「平良さん、あなたも覚えておいてくださいね。悪意がなくても、罪に問われることがあることを。そしてその時、わたし達に出来ることに限りがあることも。わたしのユマホ、コンちゃんなら『懲役三日』──ここまでは言うことを聞いてくれるようになりました。