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ネセサリー・イーヴルの遺言  作者: 堀井ほうり
8/29

第8話「神にも等しい、愛すべき名前」

(1)

 学業は休みである土曜日。


 指定された時間は十時だったけれど、乗合自動車(リニバスア)の都合もあって良平(リョウヘイ)は九時半には超裁に着いていた。


 近隣の商業施設を訪れた際に何度となく目にしていたけれど、近くに来て改めてその大きさに圧倒される。


 これが──


「超等裁判所。高等、最高、という前時代の敷居をひとつ超えた新しい理念に基づく、私達の拠り所です」


 いつの間にか良平の横に立っていた三町(サンマチ)が、心の声の続きを発声した。


「ようこそ、いらっしゃいました。歓迎致します。平良(タイラ)良平独裁官……。平良さん、とお呼びしても宜しいですか?」

「は、はい……」


 にこっ、と笑って三町は良平の背中に手を当てて歩を進めるように促す。


「まあ、そう堅くならずに。ささ、どうぞどうぞ。法の本拠地、正義の在処へ」


 街中に忽然と聳え立つ円柱のビル。

「超等裁判所」と書かれた石づくりの看板は、日の光を浴びて輝いていた。


 どこにでもあるような自動ドアを潜ると、エントランスは閑散としていた。


 申し訳程度に飾られた南国のものらしい植物が、却って痛々しく見える。

 円柱の建物の内部はだだっ広く、控えめに言って殺風景だった。


 その中央に小さな円を描くフロントがあり、妙齢の男女二人が立っている。

 皺ひとつないスーツを纏う二人は、三町に綺麗なお辞儀をした。


「三町様、お疲れ様です」


 対する三町は明るい声音で応じる。


「どうもどうも! 今日は見学者をお連れしました。こちらが──」


 右手で三町に示されて、良平は「えっ?」という顔をした。

 フロア全体の凍りつくような空気に当てられて──いや、そもそも普通の高校生が来ることのない裁判所だ。無理もない。


 三町は微笑みながら、


「お名前を」


 そう促されて、良平はなんとか名を告げる。


「た、平良良平です」

 

「お待ちしておりました──」


 フロントの男女の声と共に現れたのは、銀色の手摺のついた豪奢な階段だった。


 良平達とフロントの間に音も無く一瞬で現れたそれは、螺旋を描きながら上へ上へと続いているらしかった。


(ユマホと同じ、かな……?)


 手摺りに触れて、良平はそう思った。

 実体を持って存在はしているけれど、タップひとつで消えてしまう物なのだろう。


「千三百十三階段。裁く者、裁かれる者が平等に昇降する階段です」


 そう言う三町の説明に、良平は頷く。


(そうか、長い階段を進みながら、罪の重さに思いを巡らせるのか……)


「あ、エレベーターもありますよ? どうします?」

「え!?」

「いや、疲れますよね階段!」

「えーと、……階段で行きます……」


 少し迷ってから気を落ち着けるために階段を選んだものの、良平は上り始めてすぐに後悔した。


 螺旋状の階段は延々と続いているように見える。

 最初のフロアを上がってからは階段の周囲に乳白色の膜が現れて、自分が今何階にいるのかも分からない。


「ユマホにはノコと名付けられたそうですね!」


 階段を上り始めて間も無く、三町は良平にそう話し掛けた。


「あ、はい。ツチノコ、のノコです」

「可愛らしい! 意味の無い名前で素敵です! 天野のユマホ──アポロは確か、ギリシャの太陽神と駄菓子の名前からでしたね」

「神様の名前ですか……」


 訝しむ良平に、三町は応じる。


「ええ、正確には太陽神アポロンに仕えていた銀翼のカラスに似ているからだと聞きました。まあ、神話ですとそのカラスは嘘を吐いた咎で天界を追放されたんですけどね!」

「はあ……」


 適当な良平の相槌から、しばらく沈黙が続いた。階段はまだまだ先へと続いている。


 沈黙を破ったのは、さっきまでの明るさを失った三町の声音だった。


「私のユマホ──ジェイの名は故人から──。神話ではなく、現実に存在した人間の名前です」

「…………」


 何と返せば良いのか分からず、良平は言葉を紡げなかった。

 けれど、そんなことは三町は気にしていないようで、まるで独り言のように、


「私にとっては神にも等しい、愛すべき名前です──」

 そう締めくくった。


 千三百十三段を昇り終えた時には、良平はすっかり息が上がっていた。


「格好を付けるために備えているだけなのに、よく昇り切りましたね!」


 そう言ってあはは、と笑う三町の呼吸はまったく乱れていない。


(何者なんだ、この人は……)


 怪しみながら良平がフロアの周りをぐるりと見渡すと、全く同じ見た目をした七つの扉と、「十戒」と書かれた看板を掲げたカフェがあった。


 扉の内のひとつ、「第四法廷」のプレートが掛けられた扉に三町は手を掛ける。


「さあ、どうぞ。間も無く開廷です」


 促されて中に入ると、良平の前に現れたのは正三角形の真っ白な部屋だった。


 手摺や装飾の付いた豪奢な椅子がひとつと簡素な椅子が二つ、三角形のそれぞれの頂点の位置に置かれている。

 そしてそれぞれにひとが腰掛けていた。


「開廷、開廷──。これより、独裁を行います」


 声を挙げたのは豪奢な椅子の主、独裁官。

 しかし、良平の知っている人物だった。


天野(アマノ)さん……!)


「いやぁ、見学するならお友達の方が良いかと思いまして! ね!」

「いや、友達っていうわけでは……」


 良平が独裁官になることを狩葉は良く思っていない。

 そのことを知っている良平にとっては、はらはらする状況だった。


 そんな良平の心中や存在を丸ごと無視して、狩葉は原告と被告に話し掛ける。

 良平と話す時よりもずっと冷たい声の響きだ。


「原告、百合野(ユリノ)百合根(ユリネ)。被告、津吹(ツブキ)(ツブサ)。間違いありませんね?」


 名を呼ばれた二人が頷く。


 原告と呼ばれた女性は二十代中頃の見た目で、黒いスーツを着ている。

 被告と呼ばれた人物は灰色のスウェットを着た四十歳くらいの男性だ。


「宜しい。つまらない話はすっ飛ばして判決を述べます──アポロ」

「了解」


 狩葉が左手首をとんとん、と二回叩くと良平の見知ったユマホが現れた。


 アポロはゆっくりと翼を上下させて原告に近付き、宙に浮いたまま彼女を覗き込むように身体を揺らした。


 それから、被告にも同じ仕草をしてから狩葉の元に戻り、その耳元に嘴を寄せる。


 狩葉は頷いて、はっきりとした声で発声した。


「被告、津吹悉に懲役八年を言い渡す」

「っざけんなよオイ!」


 津吹が怒声を挙げながら、三角形の頂点から頂点へ──狩葉に近付こうとする。


「アポロ。『索敵(シーク)』、『断罪(ジャッジ)』」


 冷たい声音に従って、アポロの嘴が津吹を襲った。


 被告に嘴が触れた瞬間、男は動かなくなり、それからどさっと倒れ込んだ。


 痙攣したかのように身体をぴくぴくさせる男に向けたアポロの声は、良平の耳にも届く。


「窃盗、恐喝、及びそれによる精神的加虐。データは揃っている。全く、」

 馬鹿馬鹿しい──という台詞の途中で、アポロは姿を消した。


 その光景を身動(みじろ)ぎひとつせず眺めていた原告に、狩葉は声を掛ける。


 良平が聞いたことのない、優しい声音だった。


「お疲れ様でした。百合野百合根さん」

「あ、はい」


 狩葉に応じる女性の表情は晴れやかで、家屋に忍び込んだ虫をようやく捕まえた時のような清々しさがあった。


 その表情に頷いて、狩葉は言葉を重ねる。


「閉廷します。ご希望でしたら、被害者支援特例会への入会案内が御座いますのでフロントへお越しください」


 そう促されて原告は立ち上がり、狩葉に一礼してから良平には目もくれず扉の向こうへと去っていった。


(十分、も掛かってないか……)


 見学、と呼ぶにはあまりにも手応えのない時間だった。

 そんな良平へと今更のように顔を向けて、狩葉は氷のように冷たく微笑んだ。


「どうだったかしら? わたしの無駄の無い裁判は」


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