第7話「人間は要らないんじゃないの?」
(1)
「『索敵』、『断罪』──、『索敵』、『断罪』──」
ぼそぼそと呟く狩葉の声に確実に呼応して、アポロは三人に襲い掛かる。
三人が立ち上がろうとする度に、腹や脚を鋭い嘴が狙って阻害した。
立ち上がる気力もなくなったらしく、三人が動かなくなる。
狩葉はようやく距離を詰めて、良平を殴った一人の前で屈み込んだ。
そして彼の頭部に手を伸ばし、まだらに染まった茶髪を掴んで持ち上げる。
「謝るつもりは、ある?」
「……す、すみませんでした……」
ぶんっ、と手を振って狩葉が頭から手をどかすと生徒は顔を地面にぶつけて、また動かなくなった。
「これくらいしておけば、何かしてくる奴なんていなくなるから」
振り返りながら掛けられた声に、良平は言葉を失う。そして思い出した。
(ああ、だから転入初日に天野さんはあんなことを──)
「『加害者』に対してなら、わたし達にもここまでする権利は与えられているわ。ユマホを出して、『索敵』、『断罪』。そう唱えればいいだけ」
「……助けてくれてありがとう。けど、それにしても、」
焦った表情の良平を、狩葉は鼻で笑う。
「やり過ぎだと思う? そう思うのなら、じゃああなたは殴られ続けるのかしら?」
眼前に浮かぶカラス型のユマホ──アポロの嘴に触れながら、狩葉は言葉を紡ぐ。
「悪い事をしたら酷い目に遭う。話し合っても分かり合えないような相手には、こうするのが一番良いのよ」
それと、あなたと彼らの為に言っておくけれど──そう言って、狩葉は続けた。
「平良良平くん。あなたが若年裁判官に選ばれたのは、あなたが本当に『罪を犯したことのない善良な人間』だからよ。大したものね。被害者支援特例のわたしとは、そこが全然違う。正直、羨ましいわ」
(2)
げらげらと笑う不可子に対して、怒るべきなのか一緒に笑うべきなのか良平には分からなかった。
放課後の教室に二人きりになって、約束通り不可子にノコの姿をお披露目してのことだ。
「空想種型は分かるけどっ、分かるけどツチノコって! あはははっ」
「笑ってますね! たのしいです?」
嬉しそうに跳ねるノコを見て、良平は何も言えなくなってしまった。不可子はひとしきり笑って気が済んだのか、
「どうなの? ユマホ使ってるとと疲れるっていうのは本当?」
「うーん、よく分からないかなぁ」
訊かれてみても、今ひとつ実感はなかった。
少しふらふらするような気がしないでもないけれど、体調が悪いという程ではない。
「出しっぱなしはだめです。『切符』がすりへりますから」
口を開いたノコに、
「すり減る?」
良平が問いを重ねると、
「タブレットと一緒です。粗末なあつかいをすると、いつか壊れます、よ」
そう言われて、疑問を抱きつつも良平は従う。
「引っ込め」と念じながら己の胸をタップすると、ノコは姿を消した。
ノコの居た机上から顔を上げると、不可子と見つめ合う形になる。
「ん? デートする?」
「いや、今日はまっすぐ帰るよ。鮫島も暇じゃないでしょう?」
「ううん、あたしは良くんと一緒にいない時はいつだってヒマだよー」
そう言って顔を近付けてきた不可子に一瞬、良平はたじろぐ。
(好き、とかそんなんじゃない。鮫島は大切な友達だ……!)
そんな良平の想いすら見抜くように、不可子はにやりと笑った。
「天野サンとあたし、どっちがタイプかな?」
「……また明日、ね」
校舎を出ると綺麗な夕焼けがどこまでも続いていた。梅雨時だけれど、この頃は晴れる日も多い。
水槽の中にいるような生温さもなく、涼し気な風が吹いていた。
「良くんは乗合自動車だね。また明日、ね!」
大きく手を振って、ゆっくり歩き出す不可子が視界から消えるまで、良平は目を逸らさずに見送った。
(3)
乗合自動車に揺られて一時間、そこから二十分程歩くと、ようやく良平の家は見えてくる。
コンビニのひとつも無い林に飲み込まれたような良平の家に、その日は少しだけ明るい声音が響いた。
「可愛いわねえ、本当に」
見せろとせがまれて起動したユマホを見て、美紀子は嬉しそうだった。
幼い頃に飼っていた犬を思い出したらしい。
「お父さんとよく散歩に行ったものだわ。ノコちゃんよりはもう少し大きかったけれど……」
そこまで話して、良平にとっては祖父になる人物のことを思い出したのか、それからはまたいつもの調子に戻った。
良平の祖父──耕作についての記憶は、良平にはほとんど残っていない。
幼い頃にこの家で亡くなったという事実にさえ心が動くことはなかった。
ただ、自室に隠してあった数々の手紙を見る限り、かなりの人格者であったのだと良平は思っている。
夕食を終えて、自室でいつものように宿題に取りかかっていると(タブレットの持ち運びがないのは本当に便利だ)、メールが二通着ていた。一通は不可子からで、
「ノコちゃんのこと笑ってごめんね!」という文と、妙にリアルなツチノコのイラストが添えてあった。
もう一通は三町からで、
「明後日の土曜日、予定は空いていらっしゃいますか? 超裁でちょうど良い独裁が御座いますから、見学にいらして下さい!」
とのことだった。日時の他に地図も添えてあったけれど、良平には調べるまでもなく分かっていた。
いや、良平でなくとも、誰でも場所は知っているだろう。
学校からそう遠くない、都心の一等地にある巨大な円柱形のビル。
そこがこの国のほとんどの裁判を管理する超等裁判所だ。
「ユマホに従っていれば間違いは無いわ」
昼休みに聞いた、狩葉の声が良平の耳に蘇る。
この国に於けるあらゆる電子データが日々加えられていくユマホに、人の付け入る隙は無い。そう言っていた。
「それなら──」
後に続く台詞は一笑に付されたけれど、あの時良平はこう言ったのだった。
「人間は要らないんじゃないの?」