第5話「『必要悪』」
(1)
「平良くん、だったかしら? 今の話、受けることはおすすめしないわ」
三町とジェイを見送って教室へと戻ろうとする良平に、狩葉が声を掛けた。
転入初日以来ほとんど誰とも口を利いていない彼女の声は冷たく、嫌々発声しているという感じだ。
「天野さん……。どうして?」
単純に疑問に思って良平は訊ねた。
(だって、そう言う天野さんは独裁官として活動をしているじゃないか……)
狩葉は面倒くさそうに溜息をひとつ吐いて、答を示す。
「理由のひとつは、私の仕事をいくらか奪われるから。あとはそうね、あなたはちょっと優し過ぎるみたいだから……向いていないと思うわよ」
「……優しい? 僕が?」
「ええ、周りから聞こえてくる話とか、あなたの立ち振舞いを見てるとね。誰かが困っているときにすぐに声を掛けたり、雑務を進んで引き受けたり。独裁官はね、たった独りで他人を裁くのよ。あなたにできるかしら?」
そう言われると、その通りだとしか良平には思えなかった。
誰かの罪を暴き、悪者だと断定する。それが独裁官の職務だ。
本当に悪い人間なんてひとりもいない、そう願っている良平にとっては難しい仕事なのかもしれない。
けれど、誰かに必要とされて自分が役に立てるのなら、それは素晴らしいことだとも思っていた。
「まあ、好きにすれば? 私に迷惑は掛けないで頂戴ね」
返答に詰まった良平にそう言って、狩葉は指導室を出て行った。
冷たい口調ではあったけれど、天野が自分のことを気遣ってくれているようにも良平には思えた。
(2)
指導室でのやり取りと狩葉からの忠告を良平から聞かされて、
「やってみたらいいんじゃない?」
あっさりと不可子は返した。
食堂の端の方の席、向かい合って腰掛ける二人の姿は兄妹のようでもあり、恋人同士にも見える。
不可子の方はどうなのか分からないが、良平は彼女のことを大切に思っていた。
こうして悩みを打ち明けることもできる大切な幼馴染みだ。
「他人事だと思って簡単に言うなあ」
「他人事じゃなくて、良くんのことだからだよ」
ストローから口を放して、不可子は良平を指差した。
「困ってるひとを助けるのは当たり前だ、っていつも言ってるじゃん。独裁官はねー、悪いひとから正しいひとを助けるヒーローだよー」
「うーん……」
ヒーロー、という響きに不可子は力を込めたが、良平には今ひとつ響いていないようだった。
それでも、「正しいひとを助ける」という不可子の発言は良平への大きな後押しになりそうだ。
(それと、ユマホが手に入るっていうのがなあ)
基本的にあまり物欲のない良平だが、どうにもユマホには逆らいがたい魅力を感じていた。
子供の頃に観ていたアニメの影響かもしれない。
モンスターと旅をする少年少女の物語を楽しんで観ていたのは小学生の頃だったかと思い返す。
どうやら、あの頃からあまり成長していないらしいと自覚した。
「『必要悪』って言うでしょ? 誰かがやらないといけない、損な役回りだけどね。良くんなら大丈夫だよー」
「うーん……鮫島がそう言うなら、考えてみるよ」
『切符』剥奪のこともあるし、と付け加えて良平は頷いた。
けれど、正しくありたいと思う良平にとって「必要悪」という言葉は鈍痛のように心に響いた。
(3)
「真面目に生きてきて良かったわね、良ちゃん」
独裁官任命の件について聞かされた良平の母は、そう言って微笑んだ。
少し悲しげなその微笑に、良平は心当たりがある。
若年裁判官制度の元にもなっている、被害者支援特例法──被害者に独裁官としての権限を与える決まり事──の対象に、母は該当しなかった。
不当な労働環境で父親、つまり良平の祖父を亡くした母は国家の役所に度々訴えていたのだが、それはついに認められることはなかった。
都心からはだいぶ外れにある、林に半ば呑み込まれた古い平屋の自宅。
被害者になれなかった良平の母、美紀子がこの家に住み続けているのは、亡き父との思い出が詰まっているからだ。
「…………」
婿入りした父親の隆弘は美紀子を諭すこともせず、それでも大切に思っているらしかった。
休日の度に壁や床の補修をしているのを良平は知っている。
「頑張れよ」
夕食を終えて自室に戻る良平の背に、普段は口数の少ない隆弘の声が向けられた。
振り返ると、眼鏡の奥の皺に潰されそうな両眼は優しい色をしていて、これから良平に降り掛かるであろう苦難を労っているように感じられた。
畳が敷かれた良平の部屋は、祖父が生前に使っていたものだ。
木製の机が一つと、布団が一組。
音楽もアニメもゲームも流行り物はある程度は知っているけれど、特別に好きな物はないのでポスターもフィギュアも飾ってはいない。
タブレットを起動して学校の課題を終えると、夜はすっかり更けていた。
この部屋の中に、良平だけが知っている秘密がひとつある。
襖で遮られた物置の上段、その上の天板を外すと、洋菓子のラベルの貼られた箱の中に何十通もの手紙が隠してあった。
今はすっかり廃れた「手書き」の「手紙」だ。
「風が冷たい季節になってきましたね、どうぞご自愛ください──」
祖父に宛てられた手紙の差出人の名は冴木倫子、文面は研究職だった祖父の耕作を労るものだった。
「…………」
それらの手紙に感化されて、趣味程度に書き物の練習を始めたのは高校に進学してからのことだ。
タブレットさえあれば文字は覚えるし、フリックすれば文字は出て来る。
けれど、その手書きで表された文字にどこか美さを感じて、良平は手紙と共に仕舞われていた筆記具で誰に宛てる訳でもない手紙を書き続けている。
「はじめまして。僕の名前は平良良平です──」