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ネセサリー・イーヴルの遺言  作者: 堀井ほうり
3/29

第3話「くれぐれもお気をつけ下さい」

(1)

「なんだったのー?」


 教室に戻ってすぐに机に突っ伏した良平(リョウヘイ)を見て、不可子(フカコ)は心配半分、興味半分といった感じで声を掛けた。


 席に着くまでの間にはクラスメイト達の視線も感じたけれど、好きなように噂を広めてくれて構わないと良平は思った。


 さっきまで説明されていた現実の話よりも酷い話なんて、文芸部の学生にだって簡単には創造できないだろう。


「少し、待っててほしい……。ごめん、しばらくすれば、落ち着くから」


 机と両腕の間で篭った良平の声に、


「りょーかい。ゆっくりしてね」


 と不可子は応じた。

 

 一限目は自習だったらしく、いつもの狩葉(カリハ)のように伏せていても注意してくる教師はいない。


(ああ、天野(アマノ)さんはあのまま超裁に行ったんだったか……)


 良平は指導室でのほとんど一方的なやり取りを思い出しながら、狩葉のようにこのまま眠れたらどんなに良いかと願わずにはいられなかった。


(2)

 呼び出しを受けた指導室、若年裁判官(ジャッジメイト)への任命を投げ掛けられて呆気に取られたままの良平に、白スーツの女性──三町(サンマチ)ネコは眼鏡の奥の大きな瞳を輝かせて話し始めた。


「被害者支援特例法はご存知ですよね? ご存じですよねご存知ですねよかったよかったそれならその最新版はそう! 若年裁判官(ジャッジメイト)!」

「な、何を言って」


 良平の台詞を遮るように、三町は右手の甲を左手でパン、パン、と叩いた。

 その音に驚いたことと、狩葉のユマホを思い出して良平は身構える。


 三町と自分の間の空間に視線を遣る良平に向かって、


「わんっ」

「うわっ、」


 発せられた声に驚いて視線を向けると、今まさに現れたらしい真っ白な犬が一匹、三町の右隣に「おすわり」の姿勢で存在していた。


 天野のカラス──アポロと同様に、立体ではあるもののその生き物はどこか映像的で、時々ノイズが走るように実像が乱れていた。


犬型(ドッグス)のユマホ、個体名はジェイです」


 三町の紹介に、はあ、と良平が気の抜けたような返事をすると、


「んー? 何かないんですか? 触ってみたいとか撫でてみたいとか!」

「あー……、いいんですか?」

「どうぞどうぞ!」


 両手のひらを上に向けて促す三町に従って、良平は膝を折り、ジェイに右手のひらを向けた。


「お手」

「わんっ」


 ぽんっ、と載せられた小さな前足にはわずかな温もりがあり、ゲーム機のコントローラを握った時のような心地良さがある。


 ホログラムではなく、ちゃんと実体を持った存在なんだと良平は認識した。


「どうです? 可愛い? 可愛いでしょう?」


 立ち上がって三町と向かい合い頷く。超等裁判所の独裁官が持つ端末であり武器(・・)でもあると言われているユマホに良平は正直、怯えていた。


 けれど、ジェイと呼ばれたそのユマホはただのおとなしい犬にしか見えず、肩透かしを食らった気分になった。


「お手」の姿を見て三町は満足そうな笑みを浮かべ、話を進める。


「そうそう説明の途中でしたね! ジェイ、映して差し上げて。木島先生と天野さんにも改めて」


「わんっ!」


 ひと声吠えると、ジェイの両眼からはアポロと同じような青白い光が照射されて、良平達の視界を覆った。


「はじめまして──」


 耳元に、囁かれるような声が届く。

 少し低い、大人の男性のような声だった。


 奪われる視界と聴覚の感じが、ゴーグルをしてゲームをしている時に似ている。


「──はじめまして、皆様。UMA-PHONE(ユーマフォン)、個体名ジェイと申します。これから皆様にUMA-PHONE(ユーマフォン)の歴史と被害者支援特例制度に於ける若年裁判官制度、通称ジャッジメイト制度についてお話させていただきます。ご傾聴いただければ幸いです」


 視界に直接注がれた映像の中に、生まれたばかりの赤ん坊の姿が現れる。

 羊水と血で濡れた赤ん坊が、生まれたことを宣言するように甲高い声で泣いていた。


「キモっ」


 現実世界の狩葉の悪態が聞こえたけれど、それに応える余裕は良平にはなかった。


(何を見せられているんだ……?)


「──生誕したばかりの人間には、まだ戸籍も名前もありません。ホモ・サピエンスに分類される一個の生物です──」


 映像が切り替わり、保育器の中で眠る赤ん坊の姿が映された。

 真っ白な布をまとっていて、小さな呼吸を繰り返している。


「──先程との違いがお分かりいただけるでしょうか?」


 ジェイの問い掛けに答を探すけれど、良平には見当がつかなかった。

 産まれたての状態から、身体を拭かれて綺麗になっただけのようにしか見えない。


「……『切符(チケット)』」


 少し離れたところから狩葉の声が聞こえて、


「御明答、ありがとうございます」

 

 とジェイは嬉しそうに応えた。


(そうか、『切符(チケット)』……)


 良平は自分の『切符(チケット)』が埋まっている左胸にそっと手を当てた。


 国民の誰もが体内に持つ『切符(チケット)』は、もちろん良平の内側にも存在している。

 けれど、それは当たり前のことであり、今までに強く意識したことはなかった。


「不快に思われません程度に、部分的に内部を映させていただきます」


 布に包まれた赤ん坊の左腿がアップになり、大きく映し出される。

 そこから筋肉の内側、骨と筋肉の間の映像が現れた。


 小さな小さな薄い長方形が、黄金色に輝いている。良平は現実のそれを見るのは初めてで、その輝きに驚いた。


(ああ、これが……)


「『切符(チケット)』です。皆様の体内にも──個人に拠って位置は異なりますが──必ず一枚与えられております。母体から取り上げられてすぐに接種される『切符(チケット)』に拠って、『人間』は『国民』となり、戸籍をはじめとする様々な恩恵を受けることになります。その中でも現在は──」


 再び映像が切り替わり、良平達が普段から使っているタブレットが映し出された。

 大きさには差があるけれど、どれも国民の誰もがたやすく手に入れることの出来る国産のごく一般的な物だ。


「──タブレット端末。皆様に与えられた『切符(チケット)』の存在する位置の外皮を、使う(・・)という意志を持ってタップすることに拠ってのみ起動し、操作することが可能です。例えば──」


 かつて存在した紙幣や、印字された文字の写る書類など、良平が映像でしか見たことのない物品が次々に映し出される。

 今は電子でしか扱うとのないそれらを、昔の人々は「紙」という形で持っていた。


 資源の無駄を防ぐことや利便性を追及した結果、今の時代を生きる良平達はそれらを目にすることはほとんどない。


「こうした金銭のやり取りや政府をはじめとする役所への届け出、並びに学校での講義の内容の管理、職場での記録など、社会で生活する上でのほとんどの事がタブレット端末に拠って行われます。──ここまでで質問等、ございますか?」


 質問も何も、そもそも何のためにこの映像を見せられているのかが良平には分からなかった。


 若年裁判官(ジャッジメイト)に選ばれたと会ったばかりのひとに言われたけれど、それを簡単に信じられるほど良平は陽気ではなかった。


(それとも、そんな話は全部でたらめで、木島先生が趣向を凝らした社会学の補習だろうか?)


 そんなことを思っていると、狩葉の声が耳に届いた。


「『切符(チケット)』の在処(ありか)が人によって違うのは? それと、『切符(チケット)』の接種をされなかったり、事故に遭って失ったりした時はどうなるの?」


 用意された台本を読むような狩葉の声が響く。

 学校では教わっていないけれど、タブレットで調べたらすぐに答の出そうな質問だと良平は思った。


 けれど、『切符(チケット)』を失うことなど考えたことがなかったため、良平は不安な気持ちでジェイの返答を待った。


「『切符(チケット)』は心臓部に近い外皮から接種され、そこから個人の身体の違いに拠って体内のどこかに根付きます。主に両腕や両脚、頭部、心臓部などです。どこに根付いても問題は無く、タップすることによってタブレットは作動します。『切符(チケット)』の未接種、紛失につきましては──」


 映像が赤ん坊から切り替わり、二つ並んだ人間の影が映し出された。服を着た人間と、裸の人間だ。


 服を着た人間の上には「○」、裸の人間の上には大きく真っ赤な「✕」が刻まれている。


「速やかな接種、または再接種が推奨されております。『切符(チケット)』を持たない人間は『国民』ではなく『動物』として扱われますので、くれぐれもお気をつけ下さい」


 ごくり、と自分の喉が鳴るのを良平は感じた。


 当たり前に使っているタブレットも、身体の中に『切符(チケット)』が無ければ動かない。


 普段はまったく意識していなかったけれど、体内にある小さな『切符(チケット)』ひとつを失うだけで、人間として扱ってもらえなくなる……。

 

 良平の耳に、ジェイの声がとても冷たく響いた。


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