第26話「未来を頼んだぜェ!」
(1)
一瞬だった。
音も無く数メートルの距離を飛ぶように越えて、鮫島不可子は三町の傍らに現れた。
「神を創るという『国家』の目的に協力する代わりに、ジェイ──寺永優真を蘇らせる。それが私の望み」
「鮫島……?」
何の感情も示していない不可子の姿に、良平は戸惑う。
明るい色の髪に、白いブラウス、丈の長いスカート。
いつもと何ら変わらない容姿の不可子は、
「…………」
無言で、良平から目を逸らしていた。
「私の有する本物のUMA-PHONE、人間型の不可子です」
「ヒューマノイド……?」
「そう。犬型のジェイは、寺永の『切符』で動かしています。右手の甲にあるのが彼の『切符』。そして不可子を使用するための私の『切符』は、心臓に張り付いています」
ご理解頂けましたか?
そう訊ねる三町に、良平は答えることが出来なかった。
「シンプルな話です。私は常に不可子を使用する意思を持ち、心臓の鼓動でタップしていた。不可子を使用していた理由はもちろん、」
三町は良平をびしっと指差した。
「平良さん。あなたを励まし、癒すため。どうです? 学生生活は楽しいですか?」
「……鮫島、本当に……?」
三町ではなく不可子に良平は声を掛けたが、
「…………」
何の返答も無く、しかしその沈黙は肯定を示しているようだった。
「……酷いな」
ぼそっと呟く詩乃の声が、全員の耳に響く。
「傷付いていますか? いますよね? あはは! 良いんです良いんです平良さん、すごく良い感じです!」
両手のひらを合わせて、三町は嬉しそうに笑っていた。
もう少しで願いが叶う、そんな希望に満ちた表情だ。
「平良さん、平良良平さん──。あなたは希に見る善良な人間です。それは生まれつき、あなたの特性として備わっています。なぜか分かりますか?」
「……倫子、お前、まさか……」
「耕作さん、流石に理解が早いですね。助かります!」
ヌマチの呼び掛けに、三町は明るい声で応えた。
「ヌマチさん、何の話ですか……?」
問い掛ける良平に、
「あなたが生まれてすぐに、私はあなたの『切符』を入れ替えました。神の素体と呼ばれる、善性を閉じ込めた『切符』に」
笑みを浮かべたまま三町は続ける。
「何も知らないまま、あなたは善良な人間として生きてきた。『国家』の計画通りです。不可子にはそのサポートや監視をさせていました。『切符』からは事実しか分かりませんからね」
「…………」
(……、鮫島……)
友達だと思っていた。
誰よりも大切な友達、心からの親友。
しかし、それは良平からの一方的な感情だったらしい。
「不可子のサポートはもちろん、『徳』を積むためのものです。助けよう、放っておこう、冷たくしよう……そんな風に、全ての人間はユマホを持たずとも日々決断や断罪をしています。あなたはどうでしたか? 平良さん」
(お天道様が見ているからね……)
飛び降りる直前の少女の姿が、良平の脳裏をよぎった。
あの時の少女の笑顔と今の三町の表情が、良平には完全に同じものに見えた。
「助けよう、助けよう、助けよう……。ユマホを手に入れる前から、可哀想なあなたは『徳』積み続けていた。その上で独裁官として裁きを繰り返し、『切符』は充分に磨かれました」
嘲るような三町の物言いに、良平は言葉を返せない。
(僕は、自分の意思で人を助けていた訳じゃなかった……)
埋め込まれた『切符』と『お天道様』の呪い、そして不可子の誘導によって『良いこと』をさせられ続けていた。
何もかもが衝撃で、良平には何の救いも無い話だ。
「さあ、それではその『切符』を頂きましょう。その辺の刑官にやらせると傷付ける可能性がありますが、ご安心下さい。不可子は優秀ですから──」
三町の命令に従って、不可子は良平へと歩み寄る。
それを見て構えた詩乃とミローに対し、
「待て。俺が行く」
嗄れた老人の声で、幼い少女──ヌマチは気を吐いた。
「……邪魔をしないでもらえますか? 耕作さん」
「その名前で俺を呼ぶのは、お前だけだ。懐かしいなァ、倫子。……お前よォ、死んだ人間が……優真が生き返ると本気で思ってるのか?」
「もちろん。『国家』との契約ですからね」
拳を固く握り、三町は応える。
「……お前も利用されてるだけじゃねェのか?」
「……! 黙れ! ジェイ!」
三町の命に応じて飛び掛かるユマホを、ヌマチは避けなかった。
噛まれた少女の身体から、鮮血が滲む。
「優真を殺した俺とお前は、どうしたって許されない。その上で、造り出した代物が世界をこんな風にしちまった。最悪だよなァ。でもよォ……俺達には、もう出来るこたァねェんだよ」
未来を変えられるのは、今を生きている人間だけだぜ──!
「『窮鼠』!」
諦念と共に吠えるヌマチの声に従って現れたのは、鼠の群れだった。
庭園のあちこち、あるいはその外から、何百もの鼠が良平や三町を囲むように円を描く。
そしてそこから、ばしっ、ばしっと音を立てて鼠は弾丸のように跳ねた。
ヌマチの指示によって狙うのはもちろん、三町ネコ──冴木倫子だ。
「……『不可抗力』」
投げやりな感じで三町が唱えると、身体に触れる前に鼠は叩き落とされた。
叩き落としたのは三町のユマホ──不可子の細い腕だ。
「旧い鼠型のユマホで、今更何をしようというんですか……。諦めて下さい、耕作さん」
「ああ。今のは目眩ましだ。直に分かるさ」
「遺言はそれで良いですか?」
「そうだなァ……。じゃあ、もう少しだけ。……詩乃! ミロー! 未来を頼んだぜェ! 良平、お前はもう少し信じろ。自分も他人も、よォ!」
ぱあん、とヌマチの頭部を撃ったのは、三町が握る拳銃だった。
「復讐は、自分の手でするから素晴らしいんですよね」
独裁官としての意思も気概もないその台詞は、悔恨と憎悪に染まった『切符』の持ち主として相応しいものに思えた。
事切れたヌマチから視線を外し、三町は改めて良平に向き直る。
近付いてくる不可子を警戒してバットを構えた詩乃の頭上で、爆音が響いた。
(2)
目眩ましと、そうヌマチは言っていた。
三町の意識を自分に向けるための、正に目眩ましである。
庭園を有するここ、超等裁判所──そのあちこちにヌマチは鼠を忍ばせ、攻撃を仕掛けていた。
けれど、実際のところそれは不十分であり、居合わせた他の独裁官達によって半ば阻止される形になった。
それでは、今の爆発は何なのか。
答えは簡単である。
(何もかも、滅茶苦茶にしてしまいたい──)
そんな大きな悪意を秘めたひとりの独裁官が、とうとうその想いを発露し始めたのだ。
「ヌマチのヤツ! マジでやりやがった……! これだよ! 俺がやりたかったのは!」
毒村秀太は『徳』をだいぶ積んでいた。
例えば、大きなビルのひとつくらいは壊せる程度に。
「壊れちまえ! こんか見せ掛けだけの場所なんて!」
自分の生命の行方など気にする素振りもなく、毒村は手当たり次第に攻撃を加えていく。
ばあん、ばあん、と繰り返し爆ぜる超裁の壁や窓を地上から眺めて、
「はあ……。あーあ」
庭園の入口付近、ヌマチの指示により隠れていた狩葉は溜息を吐いた。




