第23話「許せなくても」
(1)
「飛び降りちゃえよ!」
がばっ、と布団から起き上がると、良平の身体は汗で湿っていた。
空調の利いた自室の中、悪夢を見てうなされていたことにしばらく経って気付く。
(自分の寝言で、目が覚めたのか……)
どんな悪夢を見ていたのか、ぼんやりと遠のいていく記憶を捕まえることは出来なかった。
ヌマチと狩葉の訪問から数日が経過して、良平は独裁に励む日々を送っていた。
良平にとって『他人を裁く』ことは重く苦しいものだったが、桃花やヌマチの想いを抱きながら『徳』を積むためにこなしていた。
(飛び降りちゃえよ、か……。酷いことをいうなあ……)
唯一はっきりとしている、自身の寝言について良平は考える。
良平の口から吐き出されるにしては、それはずいぶん汚い言葉だった。
(独裁でストレスが溜まってるんだろうか……)
それでも、『徳』を積むためには裁き続けなければ──。
そう思いながら、良平は無理やりに瞼を閉じた。
(2)
「憶えていませんか?」
呼び出したカフェ『十戒』で、三町は良平に問う。
人気のまばらなカフェは、真夏の日差しを感じないくらいに空調が利いていた。
「……何の話ですか?」
突然呼び出された良平は、内容を聞く前から心臓の鼓動の不安定さを感じていた。
先日の三町の言葉──『お天道様』の件から、良平は意識的に三町を避けている。
「小学校に入学する少し前──あなたに意地悪をしていた女の子の話です」
「…………?」
「あなたの行く先々で待ち伏せして、その子は悪口ばかり言いました。馬鹿、間抜け、汚い、格好悪い……。心の優しいあなたも、流石に辟易していましたね」
良平は、鼓動が高鳴るのを感じた。
不安定なリズムが、自分の精神とリンクしているようで酷く不快だ。
(何か、思い出しそうだ。怖い……!)
「ある時、あなたが出掛けたデパートの屋上。その子はそこにも現れました。そしていつものように悪口を言いました。夏の日差しに当てられたのか──あなたは初めて、その子に言い返しました」
「……う、う……」
良平は顔を両手で抑えた。
三町の話をこれ以上聞くべきではない、そう思いながらも立ち上がることが出来ない。
「そこからは悪口の応酬です。数少ない語彙をぶつけ合う、二人の子供──不幸にも、その時屋上に他の人間はいませんでした。屋上の、壊れた柵に手を掛けた女の子に、あなたは言いました」
良平の身体は、寒くもないのに震えていた──大きな恐怖と、罪の意識によって。
「飛び降りちゃえよ、と──!」
「…………!」
カフェの空調は、良平の汗を乾かすには弱過ぎた。
良平の脳内を走馬灯のように、記憶が駆け巡る。
「女の子は柵を乗り越えて、一度あなたに振り向きます。そして、微笑みながら、最期の悪口を放ちました」
『お天道様が見ているからね』──。
良平は、自分の心が壊れてしまうのを感じた。
(悪いこと、してた……僕は悪いことを、悪いことを……僕は悪い、悪い、悪い悪い悪い……)
「……それでは! 思い出していただけたようですので、私からは以上です! 午後の独裁も頑張りましょうね!」
つかつか、とヒールを鳴らしながら去っていく三町の姿を見送ることも出来ず、良平は震えるばかりだ。
そんな良平に、
「はえ~? 何かありましたか? 良平さん?」
胸をタップして呼び出した訳ではない。
けれど、ノコは突然良平の足元に現れて、柔らかな声を掛けてきた。
震えるままの良平を認識して、ノコは機械的な言葉を発する。
「飼主の生命の危機につき、連絡を取る──。飼主の最も信頼する人間──鮫島不可子──」
(3)
超裁の医務室で横たわる良平を、不可子は心配そうに眺めている。
良平の意識ははっきりとしているはずだが、天井を見つめたまま不可子の声に応えられずにいた。
「……良くん、働き過ぎだよ……」
「…………」
瞳に涙を浮かべた不可子の声に、
「鮫島……僕は悪い人間なんだ……」
ぽつぽつと、良平は話し始める。
「酷いことを言われたからって、言い返したりして……。僕が、あの子を殺したんだ……」
「……良くん?」
「お天道様が見てる、僕を見てる……。僕に人を裁く権利なんて、あるはずが無い……」
「……そんなの、わたしだって同じだよ!」
語気を強めて、不可子は答えた。
「人を傷付けたことのない人間なんていないよ! 傷付けて、謝って……! 許されなくても、謝って……そうするしかないんだよ。人を殺したっていうのが何のことか、わたしには分からないけど……罪があるなら償って、生き続けるしかないんだよっ……」
それに──。
涙を流しながら、不可子は呟いた。
「良くんは、優しいよ。神様みたいに、優しいよ」
「……ありがとう、ふかちゃん」
幼い頃のあだ名で不可子を呼びながら、良平も涙を流していた。
「あーあ、お熱いこって」
「いいもの見させてもらいましたわー!」
「……!」
驚いて、不可子は振り替える。
良平も聞き覚えのある二人の声に、身体を起こした。
「あーしは虐待に恐喝に詐欺……いろんな目に遭ってきた。ミローもな」
詩乃はミローを指差して笑う。
ミローも優雅に微笑んで、
「わたくし達は、立派な『被害者』ですわ! けれど、わたくし達は被害者支援特例会に認めていただけませんでした……。なぜなら、」
「あーし達はその場で『加害者』にやり返した。それを『加害』と見なされ、あーし達は『砂獏』に出会うまで逃げ続けた。……良平、お前はどう思う?」
やられたら、やり返しちゃダメなのか?
そう問い掛ける詩乃に、言葉を選びながら良平は答える。
「……酷いことをされたら、やり返したいと思う。それはたぶん、当たり前の感情です。でも、僕はそれを許すのが良いことだとは……やっぱり、思えません」
詩乃とミローは、神妙な顔で良平を見つめている。
不可子の表情は不安そのものだった。
「酷いことをされて、許せなくても……やり返しちゃいけない。復讐の過程で不幸になる人が現れる……そんな気がするんです」
「……高尚だねぇ」
嘲笑うように言葉を吐いてから、
「やっぱりお前は良いヤツだ! 平良良平、思想が合うとか合わないとか、そんなもんはどうでもいい。なんせ今は多様性の時代だ。ただ、あーし達とお前は『同じ未来』を求めている、そんな気がする」
──来いよ、『砂獏』に!
両手を大きく広げて、詩乃はにっこりと笑った。
(4)
「悪ィなァ、手引きしてもらって」
「別に。どうでもいいっす」
「……お陰で良平はこっち側の人間になりそうだ。クライマックスは近い」
『砂獏』のアジトのひとつで、ヌマチは男に問う。
「しっかし、お前は一体何なんだ? 超裁側なのか、こっち側なのか……思想がはっきりしねェなァ」
「思想とか、考えたことないっすね。昨日と今日と明日で同じ意見を持ってる方が、俺は気持ち悪いっすよ」
「……やりてェこととか、ねェのかよ?」
──ぶっ壊してやりたい。そんな感じです。
ヌマチの問いにそう返して、毒村は煙草に火を点けた。




