第22話「どちらか一つ、一度切り」
(1)
「天野狩葉──あの娘はそろそろ捕らえましょう」
「つっても、ヌマチの妨害のせいで『切符』は読み取れないっすよ?」
「いえ、ある程度の調べはつけてあります」
──私も技術者ですからね。
薄く微笑みながら、三町は言葉を紡いだ。
超等裁判所内、カフェ『十戒』。
三町ネコと毒村秀太の不穏な会話を聞いている者はいなかった。
「そうなんすか。じゃあ……どうします? 俺が行きますか?」
「それには及びません。巻上達を遣りましょう。そろそろ、放っておいたら刑官に変わってしまいそうですから」
「……何にしろ地獄って感じっすね」
狩葉は既に『砂獏』の一員──『敵』と見なされている。
ヌマチの技術によって刑官になるリスクを抑えられている狩葉の存在は、超裁にとっては脅威であるらしかった。
「……平良はどうなんすか? 良い感じすか?」
「非常に良い、と言えます。着々と『徳』は積まれているはずです。摘み時もそう遠くないでしょうね」
「……誰が悪者なのか分かんねーな、ほんと」
「……本音は隠しておくものですよ、毒村」
巻上達を向かわせるとして、その前に私は平良をからかってきましょう──。
微笑む三町を、毒村は退屈そうに見つめていた。
(2)
空調の利いた良平の部屋の中、ヌマチの独白は続いている。
「明るい未来へ向かうための──そういう願いを込めて、倫子は監視システムを『切符』と名付けた。犯罪を未然に防ぐという『国家』の名目を、俺達は鵜呑みにしていた」
『国家』直属の研究機関にヌマチ──平良耕作は所属していたらしい。
その研究のパートナーが、手紙の差出人である冴木倫子だと良平は聞かされた。
「倫子と共に『切符』を開発したが、『国家』は満足しなかった。『切符』のデータをより簡単に読み取り、それを生かすコンピュータを『国家』は求めた」
大変だった、本当に。
そう呟くヌマチの声は、幼い容姿からは想像のつかないものだった。
「ただの人口知能では首を縦に振って貰えず、試行錯誤を繰り返した。攻撃能力を有する、動物を模したシステム──そこに辿り着くまでに、何年も掛かった」
「それが、ユマホってこと?」
狩葉の問いに、ヌマチは頷く。
そして、声のトーンを更に落とした。
「ユマホ……UMA-PHONE。……そいつを造るために、俺達はひとりの人間を犠牲にした。……どうしても、どうしても、そのシステムの構築には人間の生命が必要だった……。俺達は、狂っていた」
寺永優真という──。
深い後悔と共に、ヌマチはその名を挙げた。
「……善良で可愛げのある、若い研究者だ。俺や倫子の言うことを何でも聞いてくれるような、優しいヤツだった。……『国家』のためだと嘯いて騙し、俺達は寺永の生命を奪った……」
ごくり、と良平は唾を飲んだ。
聞いてはいけない話を聞かされている、そう思いながらも聞かずにはいられなかった。
「システムの完成を待たずに、倫子は職を辞した。俺は残って、何とか完成まで漕ぎ着けた──そして名付けた。UMA-PHONE──寺永優真の名を冠したのは、ただの自戒だ」
墓標に名を刻むみたいなもんだ──そう言って笑うヌマチが、良平には今にも死んでしまいそうに見えた。
「まァ、なんだ……昔話をしに来た訳じゃない。ただ、お前達には知っておいてほしかったんだ。お前達の使っているユマホは、ひとりの人間の犠牲の上に成り立っていると……」
「犠牲って言うなら、ヌマチさんだって……!」
気遣う良平に、ヌマチは手のひらをひらひらとさせて、
「んなこたァねェよ。俺は加害者だ」
「……それで? どうして幼いあなたはそんな話を知っているの?」
冷静に問い掛ける狩葉に、ヌマチはあっさりと答える。
「幼い……まァ、幼いな。この身体は十四歳の少女のものだ」
「『この身体』?」
「『切符』を自分の体内から他人の体内へ、そしてまた他人の体内へ……そうやって俺は記憶を繋いできた。『国家』や独裁官に狙われる度に、他人の身体を乗っ取って逃げてきたのさ」
「じゃあ、その身体の持ち主の記憶は……?」
不安げに訊ねる良平に、
「いや、この子の記憶は呼び起こさない方が良い。散々な目に遭って、壊れてしまった少女だ。比喩でもなんでもなく、棄てられていたのを拾ったのさ」
「そんな言い方……!」
「良平、どうやったって救えない被害者はいるもんさ。逆に、どれだけのことをしようが逃げ果せる加害者もいる。『切符』があっても、ユマホがあっても、な」
ただ、俺は自分のしたことの責任は果たしたい。
そう言って、ヌマチは語気を強める。
「人間の善性を、俺は信じる。『国家』に監視されなければ正しくいられない、そんな世界は間違っている……! 『切符』と『UMA-PHONE』をこの『国家』から取り上げるために、俺は生きているんだ……!」
力強くそう言ってから、ヌマチは弱々しく微笑んだ。
「自分で蒔いた種が花を咲かせる前に刈り取ろうってんだ。馬鹿みてェだろォ?」
「何にせよ、わたしは『徳』が積めれば良いだけ。積んで積んで積んで……そうすれば、『でかい一発』が放てるんでしょう?」
狩葉はあくまでも、自分の目的に忠実な様子だった。
ヌマチの過去の話にも、然程興味は無かったらしい。
「ああ、もちろん。やり方は教えたよな? 狩葉、お前の『徳』はもう積み切ってるはずだ。その気になればいつでもぶっ放せるぞ」
「そう……。まあ、もう少しだけ待つわ」
澄ました顔の狩葉が何を考えているのか、良平には分からなかった。
(大変な思いをして『徳』を積んでまで殺したいなんて、その人はどれだけ悪いことをしたんだろう……?)
復讐、と狩葉が言っていたことを良平は思い出した。
「それなら、もうしばらく俺達のそばにいてくれ。生活の保証はする」
「了解」
「良平、お前はどうする? 超裁に居続けることを選んだとしても、俺に口を出す権利は無い。まァ、その時は『敵』だけどな……」
軽く『敵』という言葉を持ち出すヌマチに、良平は怯んだ。
「ただ、『徳』は積んでおけよ。お前のユマホ──ノコ、そいつは俺が仕込んだ代物だ。『索敵』も『断罪』も出来ない代わりに、そいつは他のユマホの数十倍の『徳』を積める。その上、刑官になるリスクはゼロだ」
ついでに教えておいてやる──そう言って、ヌマチは続ける。
「ユマホにはそれぞれ必殺技が備わってる。詩乃の『葬礼』のようにな」
詩乃のひと振りによって宙を舞う刑官の姿は、良平の記憶に新しかった。
「お前のノコ、そいつの必殺技は──全てを葬る『万死』。それともう一つ、全てを蘇らせる『救世』。使えるのは、どっちか一つ、一度切りだ」
どっちを使うか考えておけよ──。
それは良平にとって初めての、容赦の無い祖父の発言だった。




