第20話「久し振りだな」
(1)
「詳細は伏せるが、俺ァ技術者だ。狩葉のユマホをちょいといじくって、『正義病』に罹るリスクを可能な限り抑えることに成功した」
(長谷部さん……)
引き返した教室の中、良平はヌマチの話に対して上の空だった。
逃げていったあの刑官は、桃花に違いない──仮面や外套で隠されてはいたけれど、良平は確信している。
「良平、ちょっとユマホ出してみろよォ」
「? は、はい」
言われるままに胸をタップすると、
「お呼びですか~?」
普段通りの間抜けな声と共に、ノコは姿を現した。
『索敵』も『断罪』も出来ない不良品。
手に入れた当初は浮かれたけれど、それが今の良平がノコに対して抱いている感想だ。
(でもまぁ、可愛いから良いかな……)
従順で愛嬌のあるノコのことを、それでも良平は気に入っていた。
(──一生添い遂げるつもりでお願いしますね──)
そう三町が言っていたことを思い出す。
刑官になってしまうリスクもあるし、誰かに法廷で襲われることもあるかも知れない。
(無事でいられる間は、ずっと一緒だ──。……いや、それよりも今は長谷部さんのことが──)
「へェ、これが、ねェ……」
想いを巡らせる良平に構うことなく、ヌマチはしゃがみこんでノコを観察していた。
「はえ~?」
首(と思われる場所)を傾げるノコを一頻り眺めながら、
「……久し振りだな」
そうヌマチは呟く。
幼い容姿からは想像のつかない、くたびれた老人のような声音だった。
良平達に聞こえない声量のその言葉は、ヌマチの内側にのみ響く。
懐かしむようでもあり、大きく何かを悔いているかのようでもあった。
「何かご用事ですか~?」
へらへらと笑うノコにも、先程の呟きは聞こえていないようだった。
「良平、刑官になるリスクについてなんだが──」
ノコを見つめる姿勢のまま、ヌマチは呟くように話す。
「お前に関しては、無い。断言出来る。全くのゼロだ」
「……? どうしてですか……?」
疑う様子の良平に、ヌマチは言葉を重ねた。
「『索敵』も『断罪』も使えない。
UMA-PHONEの中でも初期の初期に造られた代物だ。シンプルに、『切符』からのデータを精査するだけのプロトタイプ──」
ノコについて話すヌマチに良平は呆気に取られた。
(初期の初期? プロトタイプ……?)
驚く良平に構わず、ヌマチは話し続ける。
「ただし、『徳』は極端に積み易い。簡単な善行であっても、他人の数十倍の『徳』を積める。その癖、『索敵』『断罪』に浪費することもない──つまり、」
その気になれば、でかい一発をぶちかませるってことだ。
そう言って、ヌマチは笑った。
楽しそうではない。何かを諦めたような、そんな笑いだった。
(2)
ヌマチに言われた通りに地上に出ると、外はまだ明るかった。
荒らされた地下のことなど誰も知らない様子で、人々はビルの群れを行き来している。
(連れ去られたと言え。『砂獏』に連れ去られて、尋問されていたが逃げ出した。何も嘘は吐いていないだろォ?)
ただし、何にしても『徳』は積んでおけよ──それが、ヌマチからの別れの挨拶だった。
ホログラムによって隠された出入口は、確かに簡単には見つからない。
数歩歩いて振り返ると、さっきまでの出来事が幻であるかのように良平には思えた。
(何が正しいのかなんて、僕には分からない……)
(長谷部さんのことを助けたい……)
(天野さんは、彼らと行動を共にして無事でいられるんだろうか……)
様々な思いを抱えながら、良平は超等裁判所の敷居を跨ぐ。
法の本拠地、正義の在処、超等裁判所。
屋内に入ると同時に、良平は幾人もの職員に囲まれた。
「お怪我はございませんか?」
「医務室にご案内致しましょうか?」
そのような好意をやんわりと断って、良平は法廷のあるフロアに向かう。
三町一等独裁官と毒村二等独裁官は、法廷のあるフロア、エレベーターの扉の前で良平を待ち構えていた。
「おう、おつ」
「平良さん、心配しましたよ! ご無事で何よりです!」
「いえ……ご心配お掛けして、すみませんでした」
いつもの調子の二人に、良平も普段通りに応対する。
(僕の『切符』から、二人にどこまでの情報が伝わってるのか分からない。慎重にしないと……)
緊張しながらもそれを隠そうと努める良平を、三町はカフェに誘った。
(2)
法廷のあるフロアに存在する憩いの場、カフェ『十戒』。
良平、三町、毒村──三人のいずれも、提供された飲み物には手を付けていない。
重い重い沈黙が、場を満たしていた。
それもそのはず、席に着くなり三町は二つの品を良平に示したのだ。
「要らなくなっちゃったんで、差し上げたいんですけど……受け取っていただけますか?」
良平は目を疑った。
夢であれば良い、悪夢であれば良いと、心の底から願った。
三町が差し出した二つの品──『血に塗れた切符』『狐型のユマホ』。
それらを見て、良平が思い当たるのはただひとり──
(──キツネのコンちゃんです。可愛いでしょう? この頃はちょっと無口になっちゃって寂しいんですけどね──)
(──『懲役三日』──ここまでは言うことを聞いてくれるようになりました──)
そう言って微笑む、長谷部桃花の姿だった。
怒鳴ることだって出来た。
高校生の身体で二人の大人を殴ることだって、決して難しくはなかっただろう。
けれど、良平がそうしようとした瞬間、時折聞こえるあの天啓が、鼓膜に響いたのだ。
(お天道様が、見ているからね……)
「…………受け取れません」
絞り出すような良平の声に、
「そうですか。残念です」
つまらなそうにそう答えて、三町は溜息を吐いた。
「…………ただ、」
「何ですか?」
「裁判を……、独裁を、もっとやらせてもらえませんか……?」
良平の懇願に、三町はにっこりと微笑む。
両手の平を合わせて、
「もちろん! 助かります! どういう訳か、独裁官の不足は常に悩みの種ですから!」
三町は、平良良平四等独裁官に依頼した。
(……今は、『徳』を積むしかない。天野さんもヌマチさんも、そう言っていた……!)
愚かな愚かな優しさだけが取り柄の高校生を、毒村秀太二等独裁官は心底憐れんでいる──。