第18話『砂獏—テイパーズ—』
(1)
「ははは! カッコいい!」
釘バットを手にした女性──空井詩乃は、ヌマチの自己紹介を受けて快活に笑った。
殴られたことを思い出して、良平は後頭部を撫でる。
「あれ……?」
そっと触れてみたが、瘤のひとつも無く、痛みもすっかり引いていた。
「そういう能力ですわ」
良平の訝しむ様子を受けて、一人の少女が答える。
全身を黒色のメイド服で覆った、小柄な体躯の少女はスカートの裾をつまみ、
「はじめまして、ご機嫌よう。近江ミローと申します」
丁寧にお辞儀をした。
「三郎、だろ?」
「うるせー殺すぞ」
低い声音で詩乃を脅してから、近江三郎──ミローは再び良平に向き直る。
「よろしくお願いいたしますわ」
「え、ええと……」
(よろしく、って……。拐われて来たんだよな、僕は)
「まァまァ、落ち着け。ミロー、茶」
「かしこまりましたわー!」
踊るように動くミローを横目に、ヌマチは口を開く。
「安心しろ、取って喰うつもりはねェよ。……良平、お前は俺達『砂獏』をどう思う?」
「どうって……」
一瞬ためらったが、良平は思ったことをそのまま口にすることにした。
嘘を吐いてやり過ごせるような状況ではないという判断だ。
「超裁や独裁官を襲う、非合法組織ですよね……テロリスト、みたいな」
「おーおー」
教卓の上のヌマチは、大仰な拍手を良平に送った。
「完璧だ。満点だ。サイコーだ。……世間的には、な」
──授業をしてやろう。
そう言って笑うヌマチは、猫のような瞳を細める。
中学生くらいの容姿をした彼女が、なぜか良平には疲れた老人のように見えた。
(『砂獏』のトップにいるのが、こんな若い女の子だなんて──)
「ああ、忘れてた。その前にゲストだ。お前も会いたがってたんだろォ?」
良平の思考を遮るように、ヌマチが言葉を紡ぐ。
良平にはここがどこなのかは分からないけれど、部屋の内装は明らかに一昔前の教室を模したものだった。
前面に飾られた黒板、整然と並べられた木製の机と椅子──。
(ゲスト……?)
何を言っているのか分からず、良平は辺りを見回す。
「おう、入って来いよ。お待ちかねだぜェ」
ヌマチが声を掛けたのは教室の向こう──ここが本物の学校だとすれば──廊下に続く引き戸だ。
何が現れるのかと怯える良平に反して、がらがらっ、と間抜けな音を立てて戸は動かされる。
「……久し振りー、とか言えばいいのかしら? ねぇ、平良くん?」
二週間ぶりに姿を現した若年裁判官、天野狩葉はいつもの調子で良平に軽口を叩いた。
(2)
ミローが淹れた紅茶が美味しいのかどうか、良平には今ひとつ分からなかった。
ただ、カップに注ぐミローの所作の美しさには感嘆した。
高校生ながらに気を遣って、
「美味しいです、とても」
「!! 嬉しいですわー!」
簡単な感想に跳び跳ねるミローを見て、良平は何か悪いことをしたような気になる。
(お天道様が見ているからね──)
しばらく聞こえていなかった誰かの声が鼓膜を揺らすのを良平は感じた。
「授業とか、あーしはパス」
「わたくしは、紅茶の研究に勤しみますわー!」
そう言って詩乃とミローは姿を消し、教室にはヌマチと良平、そして狩葉の三人のみになった。
「天野さんは、どうしてここに……?」
「超裁に残ってたら危ねェっていうリークがあったから拉致ッた。オーケー?」
良平の問いに答えたのはヌマチだった。
黒板に近い席に、良平と狩葉は座っている。
机の上ではミローが淹れた紅茶が、薄く湯気を昇らせていた。
対してヌマチは黒板に向かい、チョークでかつかつと音を立てながら文字を刻み始めた。
『切符』『国家』『砂獏』。
三つの単語を書き終えて、ヌマチは良平達に向かい合う。
「まァ、簡単に言うと……俺達の暮らすこの『国家』は、神様を創る一大事業に取り組んでいる」
「……かみさま?」
呆気に取られた様子の良平を見て、ヌマチは嘆息した。
「……だよなァ。馬鹿みてェな話だからなァ。狩葉、お前には話したよな? 解りやすく説明できるか?」
「……あまり悪事を働いていない国民から『切符』を奪って、集めて……一枚の綺麗な『切符』を作る。それを誰かに埋め込めば、善性の塊のような神様の出来上がり──」
──そんな感じかしら。
ぼそぼそとつまらなそうに話す狩葉だったが、その内容に良平は愕然とした。
「『切符』を奪う? そんなことをしたら、その人は……!」
「まァ、人間じゃなくなるよな。『切符』を持たない人間は『国民』ではない──それが『国家』の決め事だ」
憂鬱な気配を漂わせながら、ヌマチは続ける。
「国民ひとりひとりの体内に埋め込まれている『切符』を、『国家』は読み取ることが出来る──例えば、お前達が持つユマホを使ったりしてな。国民の誰が、いつ、何をしたか。全部、分かる」
つまり、誰の『切符』が綺麗なのか、『国家』にはお見通しって訳だ──。
そう結んだヌマチの説明が、良平には遠い国の言葉のように聞こえた。
(──分かっちゃうんです。誰がどんな悪事を働いたか──)
(──視覚、聴覚、嗅覚などの個人が持つ感覚。更に、それに伴う感情の起伏──)
(──その時の脳波の動きまで──)
良平が初めて超裁を訪れた時に、三町から聞いた台詞だった。
(証拠を集めて、速やかに裁判を進めるための方策だと思ってたのに……)
ヌマチの言うことを真に受ければ、『国家』が求めているのは『悪事を働いた証拠』ではなく、『悪事を働いていない証拠』だ。
そして、『切符』を剥奪されるのは──何も悪いことをしていない善人である。
「ひどい……!」
良平の端的な感想は、心の底からのものだった。
(お天道様が見ているからね──)
誰かの声が、再び良平の耳朶を打つ。
「んで、まァ……その神様とやらを複製して複製して……全ての国民が優しく等しい、綺麗な世界を創ろうってのが『国家』の目的らしい。なァ、どう思う?」
「どう……って、そのために人々が犠牲になるのは、間違ってると思います」
真っ当な良平の意見に、だよなァ、とヌマチは首肯した。
しかし、頷いた姿勢から顔を上げた後、真逆のことをヌマチは語る。
「ただ、まァ、何をするにしても犠牲ってもんは付きもんさ。今後、百年なり二百年なり……『国家』の平和が保証されるのなら、アリじゃねーか?」
「……ヌマチさん、何を……?」
ふふん、と鼻で笑いながら教壇を降りて、ヌマチは良平の瞳を射抜くように見つめた。
「フェアプレーが好きなだけさ。相手の方にも正義はある、当然だ」
「それで、じゃあ『砂獏』の目的は?」
しばらく黙っていた狩葉が口を開いた。
落ち着いた、冷たい声音だ。
「目的、ねェ……。単純な話だ」
そう小さく呟いてから、ヌマチは両手を翼のように大きく広げて、高らかに謳う。
「俺達は! 人間の善性を信じている! 監視社会? くだらねー! 神様? んなもん要らねーだろ! 個々人の優しさと自由な意志を! 俺達は尊重する!」
「……だからといって、独裁官を襲うのはどうなの?」
「俺達が狙ってるのは独裁官の持つUMA-PHONEだ!」
冷徹な狩葉の物言いにも、ヌマチは動じなかった。
(これが……『砂獏』……!)
舞台役者のようなヌマチの台詞に、良平は純粋に感動していた。
「……ごめん、訊ねておいてあれだけど、どうでもいいわ、わたしは──」
──協力し合えれば、それで良い。
欠伸をしながら、狩葉は本当につまらなそうにそう言った。
超等裁判所やそこに属する独裁官にとって、『砂獏』は明確な『敵』だ。
しかし、『敵』とされる者達にも考えがあり、目的があり、美学がある。
超等裁判所四等独裁官、平良良平。
彼は今まさに、正義と正義の間で揺れていた。