第17話「忘れちゃってもいいから」
(1)
狩葉が姿を現さなくなって、二週間が経過した。
梅雨明け間近の土曜日、良平は不可子に誘われて超裁の庭園に来ている。
「何度来ても、天国みたいな場所だよねー」
色とりどりの花を眺めて上機嫌の不可子とは反対に、良平の表情は暗かった。
「……心配? 天野サンのこと」
「うん、まあ……捜索はされてるみたいなんだけどね……」
良平の二度目の裁判の後、狩葉は行方を眩ませた。
いや、眩ませたというのは三町の言い分で、誰かに連れ去られた可能性もあると良平は思っている。
(長谷部独裁官の件もありますし、嫌になったんじゃありませんかね)
そう唱えながらも、三町は捜索の指示を出した。
『切符』の秘密を知り、『徳』の仕組みを知り、ユマホを手にしている独裁官、天野狩葉。
国家としては、例え遺体であっても確保しなければならないらしい。
(無事であることを祈るしかない……)
良平はそう思いながら、狩葉の分の仕事もこなそうと独裁に励んでいた。
もちろん、桃花を救いたいと思う気持ちもあってのことだ。
「悩んでも仕方無いこともあるよー。良くんが何かした訳でもないし。……無事だと良いね!」
明るく笑う不可子に頷いて、良平も薄く微笑んだ。
(いつだって、ほしい言葉をくれるよな、鮫島は……)
不可子に対して抱いている感情が恋と呼ぶべきものであることに、良平は未だ気付いていない。
「ほら、こっち来て! お花きれいだよー」
明るい髪に陽を当てながら手招きする不可子の存在は、良平の中で日に日に大きくなるばかりだった。
「本当に、癒しだよ。鮫島は」
「……そう? わたしもだよ、ありがとう」
加害者を裁き続ける日々の中、学生としての休日を謳歌出来たのはこの日が最後だった。
(2)
「忘れちゃってもいいから」
別れ際、良平の唇に唇を重ねて不可子はそう呟く。
普段とは違う、どこか思い詰めた様子の不可子に良平は気付かず、ただ自分の心臓の高鳴りに戸惑っていた。
乗合自動車で去っていく不可子を見送った後、気を引き締めるために良平は自分の両頬をぱんぱん、と軽く叩いた。
(せっかくの休みだけど、三町さんから何か聞けないかな……)
狩葉の捜索状況について訊ねるために超裁内に入ろうとした時、
「動くな。動いたら裁く」
背後からの誰かの恫喝が、良平の鼓膜に響く。
「え、」
「『索敵』も『断罪』も使えねーんだろお前? いいか、ゆっくりあっちに進め」
背中にごつごつとした何かが当てられて、良平は脂汗を滲ませる。
何が何だか分からないまま、恐怖心でいっぱいの良平はその言葉に従うしかなかった。
(ユマホの──ノコのことを知っている──?)
「よーし、そっちだ。そのビルとビルの間に入れ」
明らかに人目に付かない場所に導かれて、そこで初めて良平は後悔した。
(なんとかノコを使って、誰かに連絡を取るべきだった……)
しかし、背後の人物はどうやらユマホの存在を知っているらしい。
連絡を取ろうとすることに気付かれたら、何をされるのか分かったものではなかった。
「おら、もうちょっと奥まで行け」
背中をごりごりと押される度に、良平の焦りは増すばかりだ。
「よーし、そこで止まれ。ゆーっくり、振り返れ」
言われた通りに、おそるおそる良平は足を動かした。
(女の人……?)
声の主は女性だった。
良平がこれまでの人生の中で出会ったことの無い、変わった服装をした長身の女性だ。
金色の長髪を背に垂らし、丈の長いスカートを履いている。
どこかの学校の制服なのか、真っ赤なスカーフが胸元に揺れていた。
その姿を見る者が見れば、ある感想を持っただろう。
古いタイプのヤンキーだ、と。
女性は良平の顔を睨み付けるように一瞥して、それからにかっと笑った。
「間抜けそうだけど、その分悪いヤツじゃねーみてーだな。ヌマチさんの言ってた通りだ」
(ヌマチ……? ヌマチって……)
聞き覚えのある名前を耳にして、良平は記憶を探る。
脳内に蘇ったのは、いつかの三町の台詞だった。
(──そう呼ばれている『砂獏』の親玉です──発見次第、裁いてください──)
「『砂獏』……!」
「おおっと、でけー声出すなって」
非合法組織の名を唱える良平の口を片手で塞いで、
「大当たりだ。ヌマチさんは有名人だな」
機嫌良さそうに、女性はそう続けた。
その手にはいつの間にか、無数の釘の刺さった大きな
バットが握られている。
(あれで僕は背中を押されてたのか……)
凶器を目にして怯む良平を一笑して、女性はそこで初めて名乗りを上げた。
「あーしは空井。そんで、平良良平クン──捜し人は見つかったのかい?」
「えっ……?」
ごつん。
唐突な問いに虚を突かれた良平の頭部に、鈍い痛みが走る。
骨を抜かれたように、だらんと身体の力が抜けるのを良平は朦朧とした意識で感じた。
「安心しろよ、あーしは優しいんだ」
仰向けに倒れ込んだ良平が最後に見たのは、太陽に照らされた釘バットのきらめきだった。
(3)
「……やりすぎですわよ、詩乃」
「ヒット二本でくたばる方が悪いだろー? ここまで運ぶの大変だったんだぜ?」
「自業自得ですわ。……ああ、ヌマチ様、お帰りなさい」
「おう。ミロー。……『様』はやめてくれ。それァまともなヤツに付ける敬称だ」
「畏まりましたわ、ヌマチ様」
「面倒臭ェなお前……。まあ、いいか」
「あ、目ぇ覚ましそうだぜ! ほら、起きろ! あーしが悪者みたいだろー!」
ごりごりと脇腹を撫でられる感覚と共に、良平は意識を取り戻した。
少し薄暗い、学校の教室程の面積がある一室だ。
(……殴られて、運ばれて来たのか……)
徐々にはっきりとしてきた記憶と共に、殺されるかもしれないという恐怖が良平を襲う。
脳裏に浮かんだのは、傷だらけの三町の姿だった。
「『砂獏』……!」
身体を起こし、良平は身構える。
辺りを見回すと、その一室は本物の教室のようだった。
ただ、教室の前面にあるのはモニターではなく、資料でしか見たことのない黒板だ。
黒板の手前、教卓の上に腰掛けた一人の少女が、立ち上がった良平に向かって両手をひらひらとさせる。
「……別にそう名乗った覚えは無ェんだけどな。まァ、好きに呼んでくれ。会えて嬉しいぜ、平良良平。──お母さんは元気かい?」
冗談のような文言を付け加えた少女は、三町から受け取った写真の人物そのものだった。
前髪の揃ったボブヘアーに、猫を想像させる瞳。
実物を見ると、良平よりもだいぶ年下に見えるその少女は、静かに名乗る。
「改めまして、こんにちは──。裁判所が憎い、独裁官が憎い、ユマホが憎い、『切符』が憎い──でお馴染みの、俺がヌマチだ。以後宜しく」