第16話「何かの奇跡を起こせるとしたら」
(1)
「毒村さん、長谷部さんは一体……」
先を行く毒村と狩葉に追い付いた良平が問うと、足を止めないままの毒村は頭をぼりぼりと掻き、
「あー、なんつーかまあ、終わりって感じだ」
「終わり……?」
怪訝な表情の良平に面倒臭そうな顔をして、
「天野、あとよろ。俺ぁちょっと仕事あるんで」
手のひらを軽く振って、足早に去っていった。
「天野さん……」
名を呼ばれた狩葉は、ぴたっと立ち止まる。
医務室を離れてエレベーターに向かう廊下の途中だ。
ガラス張りの窓の向こうでは雨が降っている。
梅雨明けはまだまだ先だというニュースを耳にしたことを、良平は思い出した。
「『徳』については、この間話したわよね」
「……ユマホをしつけるための、あれのこと?」
「そう。そうなんだけど、何ていうのかしら……」
少し言葉を探るようにしながら、狩葉は話を続ける。
「裁くことによって──正しいことをすることによって『徳』は積まれる。その中で、時々……正しさに取り憑かれる人間が現れるのよ」
正義病、なんて呼ばれているわ──狩葉はそう結んだ。
(──交通事故の防止と、育ててくれた施設への恩返しです──)
(──『情状酌量』や『故意ではない傷害や破損』については、認めてほしい。それが若年裁判官として、今のわたしが望んでいることです──)
いつか聞いた桃花の台詞が、良平の脳裏に蘇った。
正しくて、優しい。
それが良平が桃花に抱いていた印象だった。
どこか、自分と似ている……そんな風に思って、これから独裁官として共に過ごしていけることを頼もしく思ってもいた。
(正義病……? なんなんだよ、それ!)
良平の憔悴した様子を見て取って、狩葉はまた話し始める。
「一定の確率でそうなってしまうのよ。積んだ『徳』の使い方に問題があるらしいわ。長谷部独裁官──彼女は加害者の懲役年数を縮めることにばかり『徳』を使用していた──。どうやら上手く発散出来ていなかったみたいね」
桃花を擁護する訳でもない、突き放すような物言いに良平は戸惑った。
「長谷部さんは、どうなるの……?」
良平が狩葉に問い掛けたその時、ひとつの影が廊下を過っていった。
狩葉が転入初日の教室に招き入れたのと、全く同じ姿の刑官だ。
真っ白な仮面と真っ黒な外套をまとった刑官は、時折街中でも見掛けることがあった。
社会学の授業で習った限りでは、裁判官の道具として存在する兵器──それが刑官だとされている。
「…………」
一言も発することなく、足音さえ立てずに去っていった刑官を一瞥して、
「ああなるのよ」
短く、狩葉はそう答えた。
「刑官に……?」
「そう。正義に侵された独裁官の成れの果てが、刑官なのよ。体内の『切符』も剥奪されて、人間ですらない生物……」
「そんな言い方しなくても……!」
怒りを露にする良平を、狩葉はびしっと指差す。
「あなたも、わたしも、同じよ。いつかああなる可能性がある。……覚悟したって仕方無いけど、心には留めておいた方が良いかもね」
その台詞を聞いて、狩葉は決して冷徹な訳ではないんだと、良平は思った。
(他人事じゃない……自分にも当てはまるから、努めて冷静に振る舞っているのかも知れない)
そう感じながらも、救いを求めずにはいられない良平は、
「長谷部さんを助ける方法は無いのかな……」
「……何かの奇跡を起こせるとしたら──」
──『徳』を積み続けることね。
溜息と共に、狩葉は答える。
どこか投げやりな物言いに、良平は言葉を返せなかった。
(2)
「被告に、懲役二年を言い渡します……!」
良平にとって二度目の独裁は、何の問題も無く終わった。
三町が『砂獏』と戦ってから数日が経っている。
「まあ、フツーね」
「上々って言ってやれよ」
見守っていた狩葉と毒村は、自分達の出番が無かったことに安堵した。
そして、二度目にして初めて上手くいった独裁にほっとしていたのは、もちろん良平本人だ。
「原告の方、被害者支援特例の案内がありますので、宜しければフロントの方にお越しください」
攻撃能力を持たない良平のユマホ──ノコの指示が的確だったのもあって、今回は無事に閉廷を迎えた。
原告と被告を見送ってから良平が法廷を出ると、扉の傍にひとりの女性を見付けた。
原告の席に座っていた女性、つまり被害者だ。
「ありがとうございました。これで、今夜から安心して眠れます」
深々とお辞儀をして、女性は去っていった。
(独裁で救われる人々は確かに存在しているんですから)
(独裁官はねー、悪いひとから正しいひとを助けるヒーローだよー)
桃花と不可子の言葉を思い出しながら、良平は軽く拳を握る。
(困っている人を助けるのなんて、当たり前のことだ……。それでも、こうして積んだ『徳』で長谷部さんを救うことが出来るのなら……!)
諦めたような狩葉の声音は一旦忘れて、良平は決意を新たにした。
(3)
「長谷部から奪りました」
「俺もやっといた。あんたが捕らえた『砂獏』の二人から……まあ、ゴミみたいなもんだけどな」
向かい合う三町と毒村。
二人がいるのは超裁の地下──一般には公開されることの無い、独裁官の中でも極一部の者にしか入ることの許されない場所だ。
質素な椅子に腰掛ける二人の間には、シンプルな造りのテーブルが二つ。
その上に、赤黒い血液で汚れた三枚の『切符』が並べられている。
「汚れ仕事……国家のためには、仕方ありませんね」
煙草をふかしながら、三町は檻の中を眺める。
「まあ、俺はいくらでもやれますけどね」
何本目かの煙草に火を点けながら、毒村は笑った。
「……それと、天野狩葉。気になるのはあの娘です。碌に『徳』を使っていないはずなのに、どうしてあの娘は……」
「ああならないのか、ですか? 俺の方で調べてみますよ」
三町に倣って、毒村も顔を向ける。
広く暗い檻の中では、正しさに飢えた無数の刑官が蠢いていた。




