第11話「冗談ですよ」
(1)
怒声と共に立ち上がった被告──畦田安吾に対し、良平は身動きが取れなかった。
初めて務める独裁で、会ったことの無い大人に怒鳴られたのだ、当然である。
(ど、どうしよう……)
(…………)
狼狽える良平を三町は涼しい顔をして眺めていた。
彼女について詳しい人間がいたとするならば、その表情について気付いたかもしれない。
三町は良平を観察していると──。
「何が懲役だ! ガキが偉そうに!」
大袈裟に足を鳴らしながら、畦田は良平の席へと歩を進めていく。
その右手に鈍く光るナイフが握られていることに気付いて、良平は震えた。
「さ、三町さん!」
良平が助けを求めて声を上げたが、三町はまるで聞こえていないかのように冷たい視線を送るだけだ。
そうしている間にも、畦田は良平に迫っていく。
(どうしよう……どうしよう……!?)
焦る良平がきょろきょろと見回すと、傍らのノコの存在にようやく気付いた。
この状況に於いても呆けた顔をしている広角可動式端末、UMA-PHONE。
(『加害者』に対してなら、わたし達にもここまでする権利は与えられているわ──)
級友を襲った狩葉の台詞が、救いの言葉のように良平の脳を巡る。
(──『索敵』、『断罪』。そう唱えればいいだけ──)
迫り来る「加害者」に対峙して、
「し、『索敵』、『断罪』!」
良平はノコに攻撃を命じた。
「…………はえ~?」
きょとんとしたノコの情けない声が法廷に響いた。
畦田のナイフの輝きが、良平の瞳に鈍く映る。
(え……? どうして……?)
やっぱりノコはユマホとして劣っているのだろうかなどと、そこまで思考を巡らせる余裕は良平には無かった。
(終わりだ、殺される……!)
走馬灯のように頭の中に浮かんだのは、両親の姿や幼い自分の姿。そして──
「ふかちゃん……」
ずっと隣にいてくれた不可子の名を、良平は呼んだ。
何でもない日常を日向のように暖めていてくれた、大切な幼馴染み。
(今日はどうしているだろう? 今日の出来事を、笑いながら聞いてほしかったなあ……)
狂気を露にした畦田がナイフを振りかぶる。
良平はぎゅっと目を閉じた。
「──『断罪』」
低い男の声と共に、バチッと何かが弾ける音が響く。
良平はおそるおそる目を開いた。
(え……?)
うつ伏せに倒れている畦田と、いつの間に現れたのか──その背に腰掛けていたのは、
「毒村さん……?」
「あー、おう。おつ」
喪服のようなスーツをまとった、毒村秀太二等独裁官だった。
「ネタバラシ……最初から、いたんだよ俺は。お前の近くに。ユマホ、俺のカメレオン、名前はロメオ。よろ」
毒村がとんとん、と左のこめかみを指先で叩くと、
「どーもどーもいや本当お疲れ様です元気ィ?」
細長い舌をひらひらさせながら言葉を話すユマホが現れた。
呆気に取られた良平をよそに、
「よくあるパターンの擬態的なヤツで隠れててさァ! ヤバくなったら出てこいって秀太が三町に言われてたワケよォ」
「……喋りすぎ、お前」
再び毒村がこめかみを叩くとロメオは姿を消した。
畦田の背に乗ったまま、毒村はスーツの内側をまさぐり、取り出した煙草に火を点ける。
「禁煙ですよー」
いつの間にか傍に来ていた三町に、
「仕事終えて一服、最高っすよ」
そう返して、毒村は煙を吐いた。
(2)
被告・畦田安吾には公務執行妨害の罪状も加わり、十五年の実刑判決が告げられた。
「なんつーか、まあ、ドンマイって感じで」
「だーかーらー! 禁煙なんですよこの建物全部!」
肩を落とす良平をよそに、毒村と三町は言葉を交わしていた。
「あ、あの……すみませんでした」
「ん? 何がです?」
「いえ、裁判……全然ちゃんとできなくて」
頭を下げる良平に対して三町はあっさりと、
「いえいえ! 初めてですし、期待してませんでしたから!」
そう快活に笑って、毒村が咥えている煙草をむしり取るように奪った。
取り出した携帯灰皿に吸い殻を納め、不服そうな毒村を一度睨んでから三町は良平に向き直る。
「まあ、最初はあんなもんです。気にすることはありません。それよりも……『断罪』は誰に教わったんですか?」
「ああ……」
狩葉の名前を出していいものか一瞬迷ってから、
「天野さんです。学校にいる時に、ちょっと」
良平は正直にそう答えた。
(天野さん、叱られたりしなければいいな……)
不安げな良平を見透かすように、三町は微笑む。
「初めてで『断罪』を唱える人なんて、見たことがありませんよ! それだけでも大したものです!」
「いえ……結局、全然駄目でしたから。……やっぱり、ノコが不良品だとか、そういうことなんでしょうか? それとも、僕のやり方が間違っているとか」
良平の言葉を受けて、ふむ、と三町は首を傾げた。
「古いヤツっすからねアレ。どっから引っ張り出してきたんすか?」
「余計なことは言わなくて宜しい。ノコ──空想種型のユマホにも、『索敵』及び『断罪』の機能は備わっているはずです。発動しなかったのは、そうですね……たまたま調子が悪かったのか、あなたの『徳』が不足しているのか……」
「『徳』?」
聞きなれない言葉に反応する良平に、
「とにかく、独裁を繰り返すことです。正しいことをたくさん行えば、それがあなたの力になります」
そう言って、三町はまた微笑んだ。
「古くてダメなんじゃないっすかね?」
「黙れ毒村。だーかーらー! 禁煙!」
煙草に火を点けようとする毒村を諌めて、
「じゃあ、今日のところはお帰りになりますか。エレベーターがおすすめですよ?」
「あ……はい。ありがとうございました。毒村さんも」
そう言って、良平は三町と毒村にお辞儀をした。
「いーって。またな」
「お気を付けて! またご連絡差し上げますね!」
二人の明るい声音を受けてエレベーターに向かおうとしたが、良平は思い立って一度振り返った。
「すみません……ひとつ、疑問があるんです。加害者を攻撃することは罪に問われないんですか?」
「ええ。私達独裁官は、国家から許されています。ちなみに、一般の市民による報復行為は禁じられています」
立て板に水といった感じで、三町はすらすらと答えた。
「それと……僕は意見のひとつも言わず、全てはノコ──ユマホが行いました。ユマホがあれば、独裁に人間は要らないんじゃありませんか? 被害者と加害者のどちらが正しいのか、それは大切かもしれません。でも、一方を悪者にして僕は終わりなんですか?」
良平は時に愚かな程の優しさを秘めた人間だ。
全ての人間は善良であるはずだと信じている良平にとって、「必要悪」とも呼ばれる独裁官の仕事は荷が重いのかもしれなかった。
思ったことをそのまま伝えた良平に対し、ふう、と三町はひとつ息を吐いた。
「悪者は悪者です。申し上げておきますが、加害者と知りつつ裁かなかった場合、独裁官は国家によって罰せられます。正しい裁きを続けることが、私達の責務です。ユマホについてはご存知ですよね? ユマホと『切符』は結び付いてる──つまり、あなたが独裁官を辞めるときは、あなたが人間でなくなるときです」
「……人間じゃなくなる……?」
「ええ。動物園はお好きですか?」
「えっ?」
虚を突かれた表情の良平に、
「まあまあ! 冗談ですよ、冗談。ささ、丁度エレベーターが来ましたよ!」
三町は明るい声音で、優しく良平を追い払った。
疑念を抱いたままの良平を乗せたエレベーターが降りていくのを見守って、三町は煙草に火を点ける。
「禁煙じゃないんすか?」
そう言って愉快そうに笑う毒村に、
「いーのいーの、ガキの前でくらいちゃんとしとかないとね。大人らしく」
荒い口調で三町は応じた。
「ははっ。違いねぇ」
同意しながら毒村も煙草を取り出し、紫煙を吐きながら三町に告げる。
「あっちのユマホのメンテ、ちゃんとしといた方がいいっすよ? 好き放題される前に」
「わかってるわよ……あーあ。上手く行くかしらね、国家のお望み通りに」
三町ネコ一等独裁官は、溜息を吐いた。




